Yahoo!ニュース

「着物の汚れは濡れたおしぼりで拭かないで」。YouTubeで和服のシミ抜きをライブ配信する染色補正師

吉村智樹京都ライター/放送作家
「染色補正師」の栗田裕史さんは「シミ抜きYouTuber」という顔も持つ

「着物のシミ抜き」をライブ配信する染色補正YouTuber

京都で今、YouTubeで“着物のシミ抜きのライブ配信”をやっている人がいます。それが「染色補正師」栗田裕史さん(52)。

栗田「始めたきっかけは、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言でした。お客さんが店にパタッと来なくなり、シミ抜きの仕事がほぼゼロになってしまったんです。問い合わせの電話はいっこうに鳴らず、大げさではなく、本気で『手を打たなければ野垂れ死ぬ』と考えるほど焦りました。そこで思いついたのが、シミ抜きライブ配信だったんです。仕事を増やしたいというより、とにかくモチベーションを保ちたかった」

YouTubeチャンネル「なをし屋」では栗田さんが「キムチ」「マジック」「マスカラ」など毎回テーマを決めてシミ抜きをライブ配信する
YouTubeチャンネル「なをし屋」では栗田さんが「キムチ」「マジック」「マスカラ」など毎回テーマを決めてシミ抜きをライブ配信する

着物のシミを抜くのは「着てほしいから」

「京友禅」で知られる着物の街、京都。しかしながら京都はコロナ禍によって約2年のあいだ、人々は外出や会合が制限されました。着物を身につける機会は激減していたのです。

壬生(みぶ)で着物クリーニング・シミ抜き・色彩補正専門店「なをし屋」を営む栗田さんは「京都の和装界が受けた打撃は計り知れない」と、苦渋の表情を浮かべます。

栗田さんの職業は「染色補正師」。「染色補正師」とは和服のシミや汚れを取り除いたり、染料を調合して染色の不具合を直したりする技術職です。

栗田さんの仕事は「染色補正師」。京都には推計約150人の染色補正師がいるという。高齢化や跡継ぎ問題などでその数は減り続けている
栗田さんの仕事は「染色補正師」。京都には推計約150人の染色補正師がいるという。高齢化や跡継ぎ問題などでその数は減り続けている

栗田さんは「一級染色補正技能士」「京友禅伝統工芸士」「クリーニング師」の三つの国家資格を取得した、和服シミ抜きのエキスパート。三十年以上も前にできた古いシミでもほぼ抜き取り、さらに生地の変色・脱色をも修復する、まさに「補い、正す」スペシャリストなのです。

栗田「私の仕事は『着てもらうこと』だと思っています。着物のシミをなぜ抜くかというと、きれいにする、元に戻すだけではなく、『着てほしい』からなんです。『タンスにしまったままだった着物を、実際に着てお出かけしませんか』と伝えたい。染め織り技術の粋を集め、工芸品や美術品としての価値が高い着物を身につけて京都を歩くと、また違った気分になって、楽しいものですよ」

「着物をきれいにするだけではなく、着てもらうのが自分の仕事」だと栗田さんは語る
「着物をきれいにするだけではなく、着てもらうのが自分の仕事」だと栗田さんは語る

失敗しても隠せない。一発勝負のシミ抜きライブ

そんな染色補正師・栗田さんは毎週金曜日、着物のシミ抜きをYouTubeでライブ配信しています。数多いる「シミ抜きYouTuber」のなかでも、栗田さんは「ライブ」にこだわるのが特徴。「マスカラ」「油性マジック」「キムチ」「カレー」、果ては「血液」まで、毎回ワンテーマを設け、解説を交えながら汚れを抜き去ってゆくのです。

栗田「あえてライブ配信というスタイルをとるのは、チャット欄を通じて視聴者からのご質問にその場で答えられるからです。それに動画編集をしないことで、作業一つひとつにかかる時間や手間もご理解いただける。『これだけ時間がかかりますよ』『インクのシミを抜くのは簡単ではないですよ』といった面倒な部分をちゃんと伝えられるし、そこを意外と面白がっていただけるので」

プロの仕事とはいえ、ライブ配信は失敗しても隠しようがない一発勝負。「染色補正師としてのワザを無料で惜しげもなく公開してもいいの?」と視聴しているこちらが心配になるほど、気前のいい配信です。生地のシミだけではなく、自分の心の汚れも落ちるような爽快感があります。

シミ抜きのYouTubeライブではプロの技術を惜しげもなく公開。手元もしっかり映しだす
シミ抜きのYouTubeライブではプロの技術を惜しげもなく公開。手元もしっかり映しだす

栗田「いやあ、ライブにしている本当の理由は、単に『編集する時間がないから』なんですが(苦笑)」

緊急事態宣言が明けても売り上げは以前の半分

栗田さんが拠点とする「なをし屋」は、阪急京都本線・京福嵐山本線「西院」駅で降り、南へ徒歩8分の場所にあります。

緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が現時点では終了している昨今、染色補正師としての仕事量は元に戻ったのでしょうか。

栗田「シビアに売り上げだけで言うと、まったく元には戻っていないです。やっとコロナ禍以前の半分まできたところ。ただ、YouTubeを使ったシミ抜きライブやSNSをしていなかったら、きっと、もっとどん底だったのだろうと思います」

栗田さんは、しみじみと言葉を噛みしめます。そこには「今が踏ん張りどころだ」という強い決意が表れていました。

「売り上げはまだコロナ禍以前の半分。しかし、YouTubeライブなど手を打たなかったら事態はもっと悪化していただろう」。そう語る栗田さんの表情には現状を打破しようとする強い意志がみなぎっていた
「売り上げはまだコロナ禍以前の半分。しかし、YouTubeライブなど手を打たなかったら事態はもっと悪化していただろう」。そう語る栗田さんの表情には現状を打破しようとする強い意志がみなぎっていた

食生活が多様化し、着物につくシミも多種多彩に

栗田さんにシミ抜きの作業を見せていただきました。この日は「赤ワインのシミ抜き」。グラスが不安定なのか、ワインのシミを抜く依頼はとても多いのだそうです。

赤ワインのシミ抜き。和食の席でもワインを飲むのが一般化したからなのか「ワインのシミ抜きの依頼はとても多い」のだそうだ
赤ワインのシミ抜き。和食の席でもワインを飲むのが一般化したからなのか「ワインのシミ抜きの依頼はとても多い」のだそうだ

栗田「結婚式場で誤ってデキャンタに入った赤ワインを頭から浴びせられたお客さんがいたんです。お父さんが仕立ててくれた大切な着物が汚れ、どこの業者からも、『これはもう直らない』と断られたのだとか。それで最後にうちにまわってきました。汚れが広範囲にわたっていたのでシミ抜きは長い時間がかかりましたが、なんとか修復しました。これは喜んでもらえましたね。このように着物だけではなくお客様の大事な記憶も預かるので責任は重大ですが、喜んでくださったときは、『この仕事をやっていてよかった』と思います」

栗田さんはワインの成分を分析し、溶剤を調合。成分ごとにていねいにシミを抜いてゆきます。作業中も「ボールペンのインクがにじんだ」「タンスに入れていた着物にカビがはえた」と、お客さんの来店や電話が絶えません。これで、コロナ禍以前のまだ半分だなんて……。「和服のシミを、これほど多くの人が悩んでいたのか」と改めて驚かされました。

栗田「食生活が多様化し、世界中の食べ物が日本に入ってきますから、なかには初めて見る汚れもあるんです。『なにこれ?』って。旧来のやり方では抜けないシミもあり、初挑戦の連続ですよ。新しい溶剤が発売されたら試してみたり、新製品の化粧品や塗料、筆記具などを購入し、自分でわざと汚したり。そういった実験はつねに行っています」

薬品や機器がずらりと並ぶ作業場。新しい溶剤やシミ抜き方法を試す実験室も兼ねている
薬品や機器がずらりと並ぶ作業場。新しい溶剤やシミ抜き方法を試す実験室も兼ねている

高度成長期は「座っているだけで仕事があった」

栗田さんはキャリア28年の染色補正師。今は亡き父親・順弘さんの家業を1994年に継いだ二代目です。父親の代までは着物や反物の製造過程で生じたミスをケアするのが主な仕事。つまりメーカーの下請けでした。一般向けに門を開くことはなく、「看板すら取り付けていなかった」のだそうです。

師匠である父・順弘さん。先代が座っていた場所をそのまま引き継いでいる
師匠である父・順弘さん。先代が座っていた場所をそのまま引き継いでいる

京都で着物が盛んにつくられた時期はてっきり洋服文化が入ってくる以前なのかと思いきや、ピークは「昭和の高度成長期」。この頃に爆発的に着物がつくられ、売られ、そのため補正の仕事が盛んになりました。

栗田「父親の時代は着物メーカーさんや和装関連企業からの依頼だけで十分に食べていけました。いくらでも仕事があり、羽振りはよかったと思います。ただ父は酒が大好きで、すっかり散財してしまいましたが」

先代が手作りした湯気を発生させる装置。現在も工房で活躍している
先代が手作りした湯気を発生させる装置。現在も工房で活躍している

ネットで知った「着物のシミで困っている人々」

栗田さんが家業を継いだ頃には着物生産の最盛期は過ぎ、下請けの仕事もゆるやかに下降傾向にありました。同じ時期、人々の暮らしにインターネットが普及し、栗田さんはネットを通じ、「着物のシミで困っている一般の人々」の存在を知るようになるのです。

栗田「それまでうちのお客様は業者さんだけだったので、『世の中には着物のシミで悩んでいる人がこんなにたくさんいるのか!』と驚いたんです。確かに街のクリーニング屋さんは洋服が専門ですから、和服のシミ抜きは得意ではない。なかには『シミがついたから着物を廃棄した』という人もいた。それはあまりにももったいないなと、心が痛みましてね」

シミがつくのは自分の着物だけではありません。ネットの上にある声の多くを占めたのが、「タンスのなかでシミだらけになった形見の着物をどうするか」問題でした。

栗田「街に呉服屋さんがたくさんあった時代は、シミがついても買ったお店に相談ができたのです。しかし『形見の着物』となると、そうはいきません。時間が経ってしまって、亡き母親がいったいどこで購入したのかが定かではない。たとえ判明しても、店が廃業してしまっている場合が少なくはないのです。そういった声を読み、いてもたってもいられなくなりました。つねづね『職人は、お客様の役に立てるからこそ存在意義がある』と考えていたので、困っている人を救いたい想いが日増しに膨らんでいったんです」

「インターネットを利用するようになって、着物のシミに困っている人がこんなに多いのかと驚いた。自分の技術で悩みを解決してあげたいと考えはじめた」
「インターネットを利用するようになって、着物のシミに困っている人がこんなに多いのかと驚いた。自分の技術で悩みを解決してあげたいと考えはじめた」

同じ頃、父親が半年の入院をすることとなり、家業を足元から見直す転換期でもありました。そうして栗田さんは2007年に着物クリーニング・シミ抜き・染色補正の専門店「なをし屋」をオープンしたのです。

「なをし屋」は栗田さんのワンオペで営まれます。客と向きあってのカウンセリングから、見積もり、お渡しの際の経過説明まで、栗田さんが一貫して行うのです。分業制を敷く京都の職人界では異例のこと。開業当時は異端児扱いされ、イヤミをいう人もいました。しかしながら、「待ってました!」とばかり依頼が殺到。たちまち一般客からの持ち込みが業者からの下請け量を上回ったのです

栗田「それこそ、『ドーンときた!』印象でした。特に、窓口として作成したWebサイトに全国からメールでの問い合わせが数多く寄せられ、インターネットの可能性を感じましたね

「なをし屋」は栗田さん一人で切り盛りする
「なをし屋」は栗田さん一人で切り盛りする

「着物は濡れたおしぼりで拭かないで」

およそ300年ものシミ抜きの伝統「幾久屋(いくひさや)流」を受け継ぎ、高い技術力を誇る栗田さん。そんな栗田さんでも、「これは弱ったぞ」と頭を抱える依頼があります。それが「濡れたおしぼりで汚れを拭いてしまった着物」なのだそうです。

栗田「着物で食事をして汚すと、誰しも気が動転してしまうんですよね。そして、汚れた箇所をとっさに濡れたおしぼりで拭いてしまう。気持ちはわかるのですが、これが本当によくないのです。着物が汚れたときに避けてほしい『濡れたもので拭く』と『生地をこする』を同時にやってしまっているんです。自分では拭かなくても、店員さんがよかれと思っておしぼりで拭いてしまう場合もあります。そうして汚れがさらに広がって大惨事になる」

「食事中に着物が汚れても、濡れたおしぼりで拭かないで」と栗田さんは訴える
「食事中に着物が汚れても、濡れたおしぼりで拭かないで」と栗田さんは訴える

「濡れたおしぼり」を使うべきではない理由は二つ。先ずは、おしぼりが含んだ水分が汚れの範囲を広げてしまうから。

栗田「我々は手間賃仕事なので、シミがにじんだ面積が広ければ広いほど料金を高くせざるを得ないんです」

もう一つは、染料そのものがにじんでしまうから。たとえば京友禅は筆で挿しながら染めます。挿した色は、すべてが水に強いわけではないのです。

栗田「僕らは“色が弱い”という言い方をするのですが、浸透力が弱い染料だと、水で濡らすと柄の色がにじむ場合があるのです。水って実はリスクが大きいんですよ。我々も水の扱いはとても気を使います。霧状にしたり、吹き付けてすぐに乾かせるように専門の機械を使ったり」

塗れたおしぼりにはらむ危険性は「こする」行為にも表れます。

栗田「着物の素材の多くは絹です。絹は丈夫な生地ですが、濡れた状態だと摩擦に弱いんです。濡れたおしぼりでこすると絹は簡単に毛羽(けば)立ってしまう。僕らは“スレ”と呼ぶんですが、ダメージを受けた部分が白く光ったように見える。こうなると修正がとても難しい。毛羽立ちって元に戻らないんです」

汚れの範囲を広げ、柄をにじませ、生地を傷めてしまう「濡れたおしぼり」による応急処置。では、食事中に着物が汚れたら、どうすればよいのでしょう。

栗田「身も蓋もない言い方をすると『なにもしない』が一番いい。とはいえ、そうはいかないでしょう。だったら、乾いたティッシュで固形物をつまみとり、乾いた布でそっと押さえるようにして水分や油分を吸わせるのがよいです。つい、慌ててこすってしまいそうになるのですが、落ち着いてくださいね」

他にも意外と手ごわいのが「墨汁」。同じように濡れた布では拭かないでほしいのだそうです。

見事なワザに歓声があがる「出張シミ抜き」

「着物についたシミ、いったいどうやったら消えるの」と迷える人たちの声に耳を傾け、今日も依頼品という名の強敵と格闘する栗田さん。遂に新しい事業として「出張シミ抜き」を始めました。

取材にうかがった日はちょうど、うっかりこぼしたロイヤルミルクティーのシミ抜きを実演中。およそ100万円をかけた、まるでコクピットのようなシミ抜きマシンを駆使し、「脂肪分やたんぱく質を多く含む牛乳」「色が濃い紅茶」と段階的に抜き落としてゆきます。

新しい事業「出張シミ抜き」。およそ100万円をかけたシミ抜きマシンとともに栗田さんはイベントでの実演を始めた。観客はロイヤルミルクティーのシミ抜きの様子を熱心に見つめている
新しい事業「出張シミ抜き」。およそ100万円をかけたシミ抜きマシンとともに栗田さんはイベントでの実演を始めた。観客はロイヤルミルクティーのシミ抜きの様子を熱心に見つめている

依頼者や見学の人たちはシミ抜きの様子を、まるでテーブルマジックを鑑賞するかのように身を乗り出し、固唾をのんで見つめていました。ロイヤルミルクティーのシミが抜け落ち、元の生地色に戻った際には拍手喝采の大盛り上がり

会場には栗田さんのYouTubeチャンネルを観てファンになったという人が、わざわざ沖縄から京都へ駆けつけていたのだそうです。はじめは苦肉の策だったライブ配信の効果が如実に表れはじめたのでした。

栗田「お客様の元へお預かりに行くサービスも新たに始めました。LINEによる見積もりも受け付けています。職人がじっと座ってお客さんを待っていれば仕事が来る時代は終わりました。これからはさまざまなツールを使い、職人もどんどん表へ出ていかなければなりません」

YouTubeやSNS、移動型シミ抜きマシンを操作しながら伝統の技術を現代に伝えようと努める栗田さん、実は誕生日が7月4日。奇しくも「ファッションお直しの日」なのだそうです。お直しの申し子として、これからもしみついた古い価値観を抜き去ってくれることでしょう。

京都300年の伝統を受け継ぐ染色補正師として、シミ抜きYouTuberとして、栗田さんはさらに活躍の幅を広げる
京都300年の伝統を受け継ぐ染色補正師として、シミ抜きYouTuberとして、栗田さんはさらに活躍の幅を広げる

なをし屋

所在地:京都府京都市中京区壬生西桧町16-7

13:00~18:00

定休日:日曜・祝日(臨時休業あり)

電話:075-204-7738

https://www.naoshiya-kyoto.com/

京都ライター/放送作家

よしむら・ともき 京都在住。フリーライター&放送作家。近畿一円の取材に奔走する。著書に『VOWやねん』(宝島社)『ビックリ仰天! 食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。朝日放送のテレビ番組『LIFE 夢のカタチ』を構成。

吉村智樹の最近の記事