自閉スペクトラム症と診断された京都の少年「みー君」が古生物大好きアーティストとして注目されるまで
不登校を経験した少年アーティスト
京都在住の中学生アーティスト「みー君」こと尾上瑞紀(おのうえ みずき)くんが注目を集めています。
みー君が描くのは主に深海の古生物。これまでInstagramに投稿した膨大な古生物など生き物の絵がバズり、2023年11月にテレビ番組『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』で特集が組まれるなど、さらに話題になりました。現在はショップやイベントからの出展依頼が相次ぎ、学校へ通いながら制作にいそしむ日々を送っているのです。
13歳のみー君は幼少期に「自閉スペクトラム症」と診断され、小学校では不登校を経験しました。アーティストとして開花するまでには、困難に立ち向かわねばならない日々もあったのです。そんなみー君と家族に会いたくて、宇治市にあるお宅へおじゃましました。
自宅内ギャラリーはまるで古生代の深海
「……こ、これはすごい。素晴らしいな」
筆者は息をのみました。玄関のドアを開けるとそこは、みー君の作品ギャラリー。深海の生き物たちに囲まれ、まるで自分自身も海底に潜っている気がしてくるのです。
「もともとこの場所は、夫が趣味で乗るバイクの車庫を兼ねた玄関でした。みー君の作品が増えるにしたがい家のなかに展示できる場所が少なくなってきましてね。夫はバイクを売って、この玄関をギャラリーに改装したんです」
みー君の母、尾上夕香里さんはそう語ります。
天井からぶらさげられた大きなアノマロカリス(古生代カンブリア紀の海に生息していたと考えられる節足動物)の模型や、床に大きく展開する海底を模したジオラマは「家族で作った」のだそうです。そしてこのギャラリーは、尾上さん一家のファミリーヒストリーでもありました。
溢れ出る創作意欲。家のなかは作品で満載
家のなかも生き物を描いた絵画や造形作品でいっぱい。尾上さんは、みー君の幼少期からの作品をすべて保存しています。その数は「小さなものを含めると1万点を超える」というから驚きです。
尾上夕香里さん(以下、尾上)「みー君が小学校1年生の頃から、家のなかに作品を飾るようになりました。はじめは階段の壁に展示していたのですが、どんどん侵食していって、現在はこのような状態です。キッチンも作品が占拠しており、『どこで料理を作るの?』という感じなんですよ」
そう言って笑う尾上さん。作品のモチーフの多くは、一般的に「グロテスクだ」と嫌われる場合が多い生きものたち。それらが部屋のあちこちでうごめいています。犬や猫など愛玩動物がお好きな方なら、冷や汗をかくかもしれません。
尾上「ゲジゲジとか、巨大なヤスデとか、脚がいっぱいあってゾワゾワする生き物が好きなんですよ」
平面作品の多くは、小学5年生のときに父から買ってもらった「iPad Pro」に指でダイレクトに描いています。
みー君「お父さんに専用のペンを買ってもらったけれど、指の方が思い通りに動くので」
描き始めると休憩なし。図鑑や動画を見ることもせず、没頭して一気に描き切るのが、みー君流。
みー君「描くときは何も参考にしないです。一度見たら憶えているので。それで一気に描きあげるとイメージ通りになる場合が多いです」
事前に「みー君は絵を描くのに没頭して、まったく口を開こうとしない場合がある」と聞いていたのですが、この日は柔和に話をしてくれました。
サファリパークへ行っても「アリを見ていた」
みー君が生物に関心をいだいたのは4歳の頃。
尾上「夫が持っていた深海の古生物の図鑑を見て興味を持ったんです。図鑑に載っている生き物の名前をぜんぶ憶えてしまうほど夢中で読んでいましたね」
とりわけ、みー君の心を捉えて離さなかったのが、ギャラリーの天井にも吊られていた「アノマロカリス」。
みー君「図鑑を見ていたら、1メートルくらいあるアノマロカリスが三葉虫に襲いかかって捕食している絵があったんです。見るからに『強いんやろうな』って感じでカッコよかった。そっから古生物に興味を持つようになりました」
ただ、憧れのアノマロカリスに関して、その後「残念なお知らせ」が届いたようです。
みー君「研究が進むにつれ、実際の大きさは『最大でも40センチくらいなんじゃないか』とわかってきたんです。それでも他の生き物よりも大きいんですが、図鑑に載っていたほどじゃない。それに歯が弱くて、三葉虫を食べるなんてできなかったんじゃないかって。想像していたものよりどんどん弱体化していって、ショックを受けました」
憧れのヒーローは悲しいかな想像よりしょぼくなっていきましたが、反面、みー君の生き物愛はさらにディープになっていったようです。
みー君「図鑑を見てから恐竜以前の古生物、深海生物が好きになりました。ほかは、磯にいる生物、微生物、昆虫、爬虫類、両生類、無脊椎動物、軟体動物、節足動物、無腸動物、無顎類、ウミウシ、ダニ、蜘蛛、蛆虫……あと、なんだろ。鳥類だったらハシビロコウが好きです。最近はウイルスにも興味があります」
尾上「サファリパークへ連れて行っても、ずっと地面を這うアリを見ているんです。ジンベイザメがいる海遊館でも、興味を持つのは水槽に貼りついている小さな生き物。ジンベイザメが横切っても見向きもせず、小さな生き物を1時間でも眺め続けているんです。私がそばにいることを忘れて熱中していますね」
哺乳類の絵は描かないのでしょうか。
みー君「んん……あまり興味がないです」
尾上「みー君は犬や猫に関心を示さなくて。でも犬や猫はみー君が大好きで、歩いているとどんどん寄ってくるんです」
紙という紙に古生物の絵を描いた
みー君は建築タイル職人の夫と尾上さんのあいだに授かった次男です。千葉へ嫁いだ長女は30歳。長男が26歳。長女とみー君は17歳の差があり、まるで家族全員の子どものようにかわいがられて育ちました。
尾上「私は長女を厳しくしつけるあまり、叱りすぎてしまった経験があったんです。その反省から、『みー君はトム・ソーヤーのように自由に育てよう。顔中がチョコレートで汚れていたってかまわない。冒険心があって元気な子に育ってほしい』と願っていました」
みー君が生き物の絵を描き始めたのは4歳の頃。絵を描きたい衝動が溢れ出てしまうのか、画用紙や折り紙など用意された紙では足りず、段ボール箱など紙という紙を絵で埋め尽くしたのだそうです。
尾上「たとえばピンク色のペンで、段ボール箱いっぱいに生き物の絵を描くんです。遠目には『ピンク色の箱なのかな』と思えるほど、びっしりと」
みー君は、絵を描き始めた瞬間の記憶が現在も「ある」と言います。
みー君「図鑑を見ていて、『この生き物を違う角度から描きたい』という気持ちが湧いてきて、それで描きはじめたんを憶えています。そして描きながら、『今、自分の好きなことをしているな』と感じたんです」
診察の結果は「自閉スペクトラム症」だった
そうしてみー君は家だけではなく、幼稚園でもひたすら生き物の絵を描くようになっていきました。
みー君「僕が好きな生き物は、先生や友だちが知らないものが多いので、『説明したい』と思って描きはじめたんです。自分では、それが変なことやという意識はなかったかな」
このように、みー君は生き物が大好きで、絵を思う存分に描く元気な子……ではありますが、ときとしてその様子が周囲を心配させてもいたのです。
尾上「同じクラスのお母さんが、みー君のことを心配して、私に『ちゃんと病院に連れて行ってあげている? 自閉症の症状のど真ん中よ』と声をかけてくださったんです。当時の私は自閉症の知識がなく、みー君の気ままな行動は『わんぱくなんだ』くらいの認識でした」
みー君は集団行動が苦手でした。他の園児と一緒に同じ曲を歌えない。お遊戯の時間も一人で園庭のはずれで延々と穴を掘っている。鼻を地面にこすりつけるほど昆虫を凝視している。木の幹を見つめたままその場から離れない。石を見るとひっくり返さずにはいられなくなり、整列で歩けない――などなど団体の輪に入れずにいたのです。
尾上「担任の先生におうかがいしたら、申し訳なさそうに、『宇治市に相談をしていただけますか』とおっしゃいました。実は先生もみー君の行動には困っていて、私に言おうか言うまいか悩んでおられたようです」
尾上さん自身も、日々の暮らしのなかで、みー君の生きづらさを感じる瞬間が幾度もあったと言います。ショッピングモールのトイレで水が流れたり、エアー式のジェットタオルが「ぼー!」っと音をたてたりすると、おびえてその場から動けなくなるのです。
尾上「耳を澄まさなければ聴こえない空調の音さえも怖がっていました。それでいて、好きな海や川へ行くと、水が流れる音、波の音、強い風の音、夢中になるとどれも平気なんです。怖い、怖くないの線をわかってあげられず、この子をどうしてあげたらよいのかわからず、私も悩むようになりました」
他の児童の母親から診察を勧められた尾上さん。そして医療機関にて、みー君は「自閉スペクトラム症」と診断されました。
小学校教師の理解もあり少年作家として頭角をあらわす
「自閉スペクトラム症」は人とコミュニケーションをとる行為が困難で、こだわりが強いことが大きな特徴です。言葉の遅れがない、あるいは言葉の遅れが診断基準には満たないため外見からはその症状を確かめられず、ときに「発達障害グレーゾーン」と呼ばれる場合もあります。
グレーゾーンにいるみー君は幼稚園を卒園後、「特別支援学級ではなくとも通学が可能である」との判断があり、小学校の通常学級へと進学しました。
しかし、小学校へあがると、自閉スペクトラム症の症状はさらに顕著になっていったのです。自分で制服が着られず、家を出ても気になる昆虫がいると立ち止まってしまうため、同じ町内の児童との集団登校に加われない。学校へ辿り着くだけでも時間がかかるようになりました。
尾上「横断歩道に虫がいたら、信号が赤にかわって車がバンバン行き交おうとも、その場にしゃがみこんでしまうんです。やっと渡りきっても、『やっぱり気になる』と言って同じ場所へ折り返しをしてしまう。危ないので登校はずっと私が付き添っていました」
やっと学校へ到着しても、授業でプリントが配布されると出題そっちのけで表裏にびっしりと生き物の絵を描きはじめる。みー君は次第にクラスの異質な存在となってゆきました。
尾上「1年生の先生が『私はもうすぐ定年ですが、教師生活のなかでこういう子は初めてです』と戸惑っていました。ずっと寄り添ってくださって、1週間に1回、家に来て2時間ずっと話を一所懸命にきいてくださる。先生にとってもハードな1年だったと思います。算数や漢字ドリルなどをいっさいしない子なので、そのぶん『工作をがんばってみよう』と励ましてくださいましてね」
みー君に、さらに救いの手を差し伸べる人物が現れました。それは2年生の担任。自閉症を専門に学び、知見がある教師が大阪から赴任してきたのです。
尾上「先生が『授業中、静かにしているのなら、絵を描いても、粘土で工作をしていてもいいよ』と言ってくださったんです。みー君は受けいれてもらったのを肌で感じたのか、以前より感情が高ぶらず、落ち着いてきました」
クラスメイトも、みー君が描く古生物には関心があった様子。はじめは腫れ物に触る感覚で遠巻きに見ていた生徒たち。先生がみー君を認めたことで、一気にクラスのアイドルになりました。休み時間になると『みー君、描いて!』『作って作って!』と女子も男子も列をなし、行列は20人を超える日もあったのだそうです。
尾上「先生にもクラスメイトにも本当によくしていただきました。個別授業を設けていただき、校長先生も『気になる』といって様子を見に来てくださったり、50メートル走では担任じゃない先生までもが一緒に走ってくださったりしたんです」
できないことをさせるのではなく、できることを伸ばす。この取り組みにより、みー君は行政主催などのさまざまな絵画展で軒並み受賞し、少年作家として頭角をあらわしはじめます。
次第にクラスの「異質な存在」になっていった
早くも小学2年生でアーティストとして認められる素地ができあがってきた、みー君。しかし、学年が上がるにつれ授業の内容は高度になり、みー君はさらについてゆけなくなりました。クラスメイトにも自我が芽生えはじめ、みー君が教室で好きな絵を描くことを許される環境をよく思わないグループもあらわれはじめたのです。
尾上「クラスメイトから『贔屓だ』と思われていた部分がありますし、グロテスクとも感じられる絵なので、いやがられる場合もありましてね。学年があがってクラス替えがあると、みー君を排他したい生徒さんもどうしてもいらっしゃるんです。それによってみー君も、『やっぱり自分って、ちょっと違うんだな』と少しずつ感じてきたみたいで。生徒さんとの対立で学校に迷惑をかけるし、みー君も苦しんでいる。私もどうしたらいいのかわからなくて、疲弊していきました」
通学にストレスを感じていた、みー君。遂に運動会で自制が利かず、テントを揺らすなど、はた目には「暴れる」と見られる行動をとってしまう事態に。
尾上「あのときは大変だったよね。みー君、憶えてる?」
みー君「憶えてる。大暴れしているとき、心のなかで『みんな、僕がいたらしんどいやろな』と思ってた」
暴れる自分と、その様子を客観的に見ている自分。二人のみー君が同時に存在していました。そうしてみー君は5年生からほぼ不登校になります。学校がいやなわけではなく、和をもって尊しとなす小学校教育のなかで、その輪から自らはずれることが最適解なのだと、みー君なりに冷静に判断したのではないかと筆者は感じました。
Instagramをきっかけに知れ渡ったみー君の才能
みー君の才能が巷に知れわたるようになったのは、不登校がはじまった5年生の頃から。きっかけの一つが、Instagramへの投稿でした。尾上さんはみー君が小学4年生の頃から作品をアップし始め、これまでおよそ6,000点を掲載してきたのです。
尾上「長女が里帰りしたとき、家のなかに飾ってあるみー君の絵の独特なタッチと数の多さに驚きましてね。『こんなに絵が描けるのに、誰も知らへんままやなんてなんてもったいない。Instagramへあげたらえんとちゃうの?』と提案してくれたんです。なんでも海外の男の子が自分の絵をSNSにあげていたところ、有名なレストランのオーナーさんの目に留まり、『店の壁一面に絵を描いてくれないか』と依頼された例があったそうで。それで『みー君も発信し続けると、誰かの目に留まるかもしれないよ』と勧めてくれましてね」
SNSどころか「スマホに触ることすら苦手意識があった」という尾上さん。はじめは乗り気ではなかったものの、長女が帰省するたびに進言をするため、いよいよ腰をあげました。カメラ機能の扱い方などアドバイスをもとに、悪戦苦闘しながら投稿を開始。
そうして長女の言うとおり、生命力に溢れたみー君の絵は他のユーザーへとじわじわと伝わり、ついにはNHKや民放テレビ局をはじめ各種マスコミから取材の申し込みが相次ぐようになったのです。
さらなる展開が。レストランオーナーの目に留まった海外の少年のように、みー君にも絵画の依頼がきたのです。それは創業安政元年(1854)、140年以上も営業し続けている宇治の茶商「中村藤吉本店」からでした。
尾上「社長のご夫妻がみー君の絵をとても気に入ってくださいましてね。わざわざうちへお見えになり、『夏祭りのイベントの際にみー君の作品を展示したい』とお願いされたんです」
場所は中村藤吉平等院店。12歳だったみー君に、宇治川を一望できる2階をまるごと初個展の場に提供。夏祭りイベントは大盛況。みー君のブースには国内はもとより海外からの観光客も作品を見入り、楽しんでいたのだとか。そしてこの一件が、みー君がアーティストとして大きく活躍する契機となったのです。
現在は衣類のデザインなど多くの注文を抱える、みー君。尾上さんは依頼主に必ず事前に「みー君は世間で言う“カワイイ絵”は描きません。それでもよろしいですか」と念を押します。特に描かないのが「人間」。過去に自分から進んで人の絵を描いた経験は「ない」のだそうです。
みー君「人間……別に嫌いじゃないねんけど、興味ないです。人間って、かたちのバランスがあんまりおもしろくない」
みー君には人間の形状の方がグロテスクに見えているのかもしれません。
作品展開催のために奮闘する母
小学校時代で不登校となったみー君ですが、中学校へはほぼ毎日、通っています。小学校と中学校の先生が連携をとってくれたおかげでスムースに支援学級へと進学できたのです。
尾上「性格が穏やかになったと思います。制服も一人で着て登校しているんです。それまでなぜ自分で着られなかったのか不思議なくらい、あっさりとできるようになって」
そんな尾上さんは現在、初めて自らイベントを興そうと日夜奮闘しています。今年(2024年)8月、InstagramをはじめSNSで交流をもった自閉スペクトラム症の子どもたちを含む学生アート展を開催するために尽力しているのです。
尾上「全国にいる自閉スペクトラム症の子どもたちの作品展は、おそらく初めてだと思うんです。コミュニケーションや対人関係が困難なため、才能を人々に知っていただく機会がなかなかないお子さんがたくさんいます。そして生きづらさを感じ、苦しんでいる。そんな子どもたちが未来へ羽ばたくきっかけになってほしい。そう考えて、馴れないなか、走りまわっているんです」
このイベントではもちろん、みー君の作品も展示されます。みー君、これからの夢は。
みー君「これから……やっぱり、絵を描き続けていたい。あと、ぬるぬるしていて、ぽってりして黒っぽい『ホテイエソ』という魚がいるんですが、その魚が動いている姿が見てみたいです」
アーティストとして注目されながらも、関心がずっと生き物にあるみー君に、なんだかほっとしました。
中学生アーティスト「みー君」こと尾上瑞紀くん。学校を休んでいた時期はあったけれど、学びはやめてはいなかった。光が届かない深海に想いを馳せ、想像力を深く静かに潜らせていった時期は、それはまた自分に課した授業であったのでは。そして自らを救済する時間であったと筆者は感じました。
みー君Instagram