「私の仕事はお客さんの現実逃避のお手伝い」。店主がアコーディオンを演奏する京都「せるろいど焼菓子店」
謎に包まれたウワサの洋菓子店
「いつも『胸がきゅーんとするお菓子がつくりたいな』、そう思っています。『おいしい。かわいい。きゅんきゅん。どきどき』、そんなふうに感じていただけたら嬉しいです」
『せるろいど焼菓子店』を営むパティシエール、「ゆっけちゃん」こと大瀬由紀子さんはそう語ります。
京都の西ノ京に「おいしくて、ちょっぴり不思議な洋菓子店がある」と話題になっています。その洋菓子店はなんと閉業した電器店のなかにあり、「パティシエールがアコーディオンを演奏している」というではありませんか。
電器店のなかに洋菓子店があってパティシエールがアコーディオンを演奏……いったいどういうシチュエーションなの? まるで明け方にみる夢のようにシュールな光景が実在するのか、さっそく現地へ確かめに行ってきました。
閉業した電器店のなかに洋菓子店があった
JR山陰本線ならびに京都市営地下鉄東西線「二条」駅から西へ徒歩8分。地図が指す場所には、おお! あった。「中川電化ショップ」と掲げられた電器店の建物がありました。
ドアには2022年(令和4)12月31日で閉店したと記す貼り紙が。閉店しておよそ半年が経っています。創業は1970年(昭和45)。昭和、平成、令和と三つの時代を駆け抜け、52年もの長きにわたってこの地で営業をしていたようです。
店のドアは2つあり、もう一つのドアには『焼き菓子と食べるラー油 せるろいど』(正式名称:せるろいど焼菓子店)と書かれています。噂通り、本当に「電器店のなかにある洋菓子店」でした。立地が謎なうえに「焼き菓子&食べるラー油」の組み合わせもこれまたミステリアス。「?」マークを頭に幾つ思い浮かべても足りません。
「シフォンケーキのなかで暮らしたい」
おそるおそる、かつて電器店だった場所に足を踏み入れると……店頭にはフルーツたっぷりのシフォンケーキやパウンドケーキ、ナッツやゴマなどをふんだんに使ったクッキー、猫のかたちをした愛らしいメレンゲやチョコレート、特製プリンなどが並んでいます。どれも、とてもおいしそう。
これらの商品はすべて、店主であるゆっけちゃんが一人でこしらえているのです。
ゆっけちゃん(以下、ゆっけ)「フルーツケーキにはいちごやパインなど旬の素材を惜しみなく、がっつり入れています。フルーツがいっぱいだと幸せな気持ちになれますから」
シフォンケーキを一つ、いただきます。うわあ。なんというふわっふわ加減。感動です。「甘い空気」というか、歯なんかいらないくらいエアイン。柔らかで、なめらかで、綿飴のように溶けてゆきます。
ゆっけ「お客さんから『ふわふわやね~』とよく褒められます。幼い頃から、ふわふわしたお菓子が好きだったんです。ずっと『シフォンケーキのなかで暮らしたい』『プリンのお風呂につかりたい』、そんな夢を見ていました。それは今も変わりません。ふわふわに包まれたやさしい世界で生きていきたい。そんな気持ちを込めて焼いています」
ゆっけちゃんがつくるお菓子は引く手あまたの大人気。店頭での小売り商品のみならず卸しやオーダーメイドの受注も多く、「朝5時から仕込まなければ間に合わない」忙しさです。
ゆっけ「寝る間がないほど、ずっとお菓子を焼いていますね。でも、お菓子づくりが大好きなので平気です。昔から睡眠時間が短いんです。楽しければ、2日徹夜も当たり前でやれちゃいますね」
街の井戸端会議に使われた電器店を改装したくなかった
疲れを見せず、まるでメレンゲ菓子のようにほわんほわんな笑顔で迎えてくれたゆっけちゃん。それにしても摩訶不思議な空間です。お菓子を焼くキッチンとイートインできるカウンター以外は、昨年末に店を閉じた昭和生まれの電器店のまま。いわゆる「スイーツの店」には見えないのです。
ゆっけ「改装したくなかったんです。うちは電器屋さんでしたけれど、街の憩いの場でもありました。ご近所さんが集まってきてね、お茶をしたり、お喋りしたり。あののんびりした雰囲気が大好きやったから、できるだけ当時のままの姿で残しておきたかったんです」
そう、ゆっけちゃんは電器店の店主だった父・中川敏和さん宅の次女。要介護となった妻の世話と「もうトシやから」という理由で引退した敏和さんの店を継いだ、業態こそ大きく違えども2代目なのです。
ゆっけ「お父さんはイケメンやったし、お母さんはミス真珠に選ばれるほどべっぴんさんでした。お姉ちゃんはいつも5、6人の男の子を引き連れて街を練り歩く、暴れん坊。私はこの家で、大好きな家族に囲まれて過ごしました」
実は理にかなっている電器店内の洋菓子店
ゆっけちゃんが、父が営む電器店の店内に『せるろいど焼菓子店』をオープンしたのが2015年9月16日、ご自身の誕生日。つまり8年間ものあいだ、電器店と洋菓子店が一つ屋根の下で仕切りもなく営業していたのです。おそらく、日本で(もしかしたら世界で)唯一の多角経営(?)でしょう。
ゆっけ「以前はよく『ヘンやね』って言われました。『あんた、なんで電器屋さんのなかでケーキつくってんの?』って。外観が電器屋さんそのまんまやから、お客さんがビビって、なかなか来てくれはらないんです。4、5回、店の前を横切って、やっと入ってきてくれる。『5年前から店のなかに店があるのは知ってたんやけど、今日はじめて勇気を出してやってきました』とか言わはってね」
一軒家の異業種交流を怪訝に思い、当初はお客さんが「おそるおそる」来店したといいます。正直に言って僕もはじめはそうでした。しかし、ゆっけちゃんは「不思議だと捉えられる方が不思議」と意に介さぬ様子です。
ゆっけ「調理に使っているオーブンも冷蔵庫も電化製品です。うちは電器屋さんやから、壊れたらすぐ取り替えられたり、お父さんが修理してくれたりします。めっちゃ便利なんです。だから、電器屋さんのなかにお菓子屋さんがあるのは、私には違和感がないんですよ」
なるほど! 言われてみれば筋が通っています。そもそも、昭和の時代は店頭の電化製品を使ってお客さんに料理をふるまっていたのだとか。
ゆっけ「私が幼い頃、ナショナルさん(現:パナソニック)がオーブンなど電化製品をPRするために、月に何度かうちの店で料理の実演をしていたんです。母と私はナショナルさんのお手伝いをするうちに、たくさんの料理をおぼえました。『グラタンっていう料理があるんや~』と驚くなど、毎回すっごく楽しかった。あの楽しい時間の記憶が頭にずーっと残っていたんです。だから、電器屋さんでクッキーやケーキを焼くのは、私の中ではぜんぜん不自然じゃない。むしろ『つながった』という感覚でしたね」
スイーツの店には見えないけれど、スイートメモリーがたっぷり詰まった、せるろいど焼菓子店。イートインはカウンターだけではなく、往時の商談テーブルでもお菓子をいただけます。電球やコード、書類を眺めながらしみじみとケーキを味わう。こんなステキ不条理な経験ができる店は、他にありません。
ゆっけちゃんの「店内で焼き菓子屋さんを開きたい」との申し出に反対するどころか『好きなことを一所懸命やれ』と、自ら電気系統の工事まで買ってでた父の敏和さん。父の応援に報いるためにも、「とにかく、おいしいお菓子を」と日々スキルを磨いています。
ゆっけ「お客さんのなかには『話のタネに来てみたんで味は期待してなかったけど、意外においしいんやね』って言わはる人がいるんです。いやいや、めっちゃおいしいんですって」
店からアコーディオンの音色が聴こえてくる
ゆっけちゃんにはもう一つ、「店内でアコーディオンを弾いている」という噂があります。確かに、店のいたるところにたくさんのアコ―ディオンが置かれていました。これらは、実際に演奏しているのでしょうか。
ゆっけ「はい。弾いています。私が講師になって、店内でアコーディオンのレッスンをしているんです。コロナ前までは『ゆっけちゃんの歌声広場』というイベントも開いていました。お客さんが歌って、私が伴奏してね。そして、うちのお菓子とお茶をお出しして。ご町内の寄り合いの場になっていましたね」
店内にあるのはアコーディオンだけではありません。スイーツの店でありながら、ピアノやギター、木琴など、さまざまな楽器が置かれているのです。
ゆっけ「ピアノを『弾きたい』というお客さんがいたら『どうぞ、どうぞ』と演奏してもらっています。駅のフリーピアノのように常連さんが弾きにいらして、そのメロディを聴きながら私はお菓子をつくる。そんな昼下がりのひと時がとても好きなんです」
音楽が切っても切り離せない、せるろいど焼菓子店。ゆっけちゃん、実はミュージシャンなのです。京都を拠点に結成23年目を迎えるロカビリーバンド「Bambino(バンビーノ)」のメンバーであり、夫の大瀬明さん、息子の晴紀くんとともにファミリーバンド「はるぼんず」、チンドン屋形態の「はるぼんず通信社」などで活動しています。知らず識らず、彼女が弾くアコーディオンの音色を耳にしている京都市民は少なくないでしょう。
筋肉少女帯に救われた少女期
ゆっけちゃんが音楽に目ざめたのは、中学生の頃。あるバンドとの出会いがきっかけでした。
ゆっけ「お姉ちゃんが日本のロックが好きでしてね。一緒に『ミュージックトマトJAPAN』を観ていたんです。すると筋肉少女帯の『元祖 高木ブー伝説』のミュージックビデオが流れてきました。私、すっごい衝撃を受けたんです。当時の私は、人見知りのダメ人間。めっちゃ暗い子でした。生きてんのがしんどかった。でも筋少(筋肉少女帯)に出会って、眼の前が明るくなった。『私の神様が見つかった!』と本気で思ったんです」
大槻ケンヂが歌う筋肉少女帯を知り、ゆっけちゃんのライフスタイルは「180度、大きく変わった」といいます。フリフリのロリータファッションを着て、ラバーソールを履き、お人形を抱いてライブへ通うバンギャ期へと突入していったのです。
ゆっけ「筋少のライブは本当に楽しかった。見るもの、聴く音、好きなものだけしか存在しない世界。こんなに自分が肯定される幸せな世界があるんだなって。筋少が私を救ってくれた。自分の居場所をやっと見つけられた。そんな気がしたんです」
ゆっけちゃんはその後、筋肉少女帯をきっかけに彼らと親交が篤いケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)率いる「有頂天」を知りました。さらにKERAが運営する「ナゴムレコード」の復活を知り、有頂天の相関図から「電気グルーヴ」へと駒を進め、テクノポップも好きになり、KERAのユニット「LONG VACATION」(ロング・バケーション)の影響で渋谷系にハマり、「フリッパーズ・ギター」へ……と多種多彩な音楽を貪欲に吸収していったのです。
ミュージシャンを目指すもののメジャーへの道から遠ざかる
高校に進学後は同級生の女の子3人と打ち込みをバックにピアニカを演奏するテクノユニットを結成。文化祭で披露するなど人前に立ち始めます。高校卒業後はプロのアーティストを目指し、大阪で一人暮らしをしながら音楽の専門学校へ。5つ以上のバンドを掛け持ちし、「どんな辺境の音楽でも受け容れる」と呼ばれたなんばベアーズをはじめ、さまざまなライブハウスで頭角をあらわすのです。
ゆっけ「私の原点は筋少ですから、ヘヴィメタルとか、ノイズとか、うるさい音楽が大好きでした。ノイズコアバンドを組んでベアーズに出演し、轟音を鳴らしながら、ステージでおはぎを食べたり、しゃぼん玉を吹いたり。カッコいいと思うことは手当たり次第なんでもやっていましたね。ミュージシャンになりたくて音楽の専門学校へ進んだのに、好きな音楽がアンダーグラウンドすぎて、メジャーからどんどん離れていきました(笑)」
バンド、ユニット、ソロ、ギター、ベース、鍵盤楽器とさまざまな表現に挑んでいたゆっけちゃん。そのうちの一つが、店名にもなっているニュー・ウェイヴテクノバンド「せるろいど」です。彼女の囁くような脱力ヴォーカルは「早すぎたビリー・アイリッシュ」と呼ぶべき比類の才能で、現在も伝説として語り継がれています。「ゆっこちゃん」がなまり、「ゆっけちゃん」になったのも、この頃でした。
「食べるラー油」で人生が変わった
ではなぜ、音楽に夢中だったゆっけちゃんがケーキやクッキーの店を開く運びとなったのか。実は、発端は「洋菓子ではなかった」のだそうです。
ゆっけ「はじめは“食べるラー油”でした。初めて食べたとき、あまりのおいしさにびっくりしたんです。何にかけても、すっごくおいしく変化する。『これは魔法の食べ物やな』と」
音楽の道を志しながら大阪の金龍ラーメンでアルバイトをしたり、フードコートのビビンバ専門店で店長をつとめたりするなど調理経験は豊富だったゆっけちゃん。インターネットで得たレシピを基に独自の「魔法の味」をあみだし、友人などにおすそ分けをしていたのだそうです。その味が「おいしい」と次第に口コミで広がってゆきました。
ゆっけ「売ってくれ、売ってくれって、あちこちからめっちゃお願いされるようになったんです。はじめは『趣味でつくってるだけやから売らへんよ』と断っていたんですが、熱意のすごさに断りきれなくなってきて」
特製の食べるラー油を手始めに、京都の百万遍の手作り市に出店したところ、たちまち売り切れてしまいました。
ゆっけ「50個も用意したのに、すぐになくなってしまったんです。とはいえ『流行ってるから売れるんやろうな。みんな、じきに飽きはるやろ。こんな人気、続くはずがないわ』と、けっこう冷静でした。ところが毎回、売れ続けるんです。しかも『もっと売って!』と言われる。そのとき『あ、これ、運命やな』。そう感じました。逃げたらあかん。私がつくるラー油が求められているのならば、つくらなあかんねんなって」
「運命」とは。ゆっけちゃんは、音楽とともに歩んできたなかで、自分なりの真理をつかんでいたのです。
ゆっけ「ものごとは需要と供給のバランスが大事やと私は思うんです。音楽やったら、たとえ『普通じゃない』『ヘンな音楽』と言われても、需要と供給の量が合っていれば、続けられる。みんな幸せになれる。だったら、自分がすごく必要とされたら、そのときはそれを仕事にしなあかんなって。ただ『まさかラー油でそれがくるとは!』って、とても意外でしたが」
人生の「意外」はさらに続きます。「ラー油だけだと売り場が寂しい」と、隣に並べて売り始めたキャラメルアーモンドラスクとパウンドケーキがさらに好評となり、ゆっけちゃん、いよいよ店を開く決意をしたのです。
ゆっけ「店を開けば『これなら24時間、好きなことだけをやり続けられる』と思ったんです。ラー油づくりもお菓子づくりも、楽しいうえに、求めてくれる人がいる。これ以上に幸せなことって今後あるんかなって。仕事と趣味が別だなんて生き方、私には時間がもったいない。生きている時間のすべてが楽しい。それが理想。それが私の夢だったから」
私の仕事は「お客さんの現実逃避のお手伝い」
そうして8年。今日もゆっけちゃんは、ふわっふわにふくらんだケーキを焼き、楽器を奏で、人々に夢のようなひと時を提供し続けています。
ゆっけ「私の仕事って、お客さんの“現実逃避のお手伝い”なんやろなって思うんです。私自身『なんで毎日こんなにつまらないんだ』と感じて、つらかった時期があったし、今でも夢の中にいるように生きていたいと本気で考えているんです。現実って、しんどすぎるじゃないですか。そんなしんどい時間を忘れられるような、きゅんきゅんどきどきする甘くておいしいお菓子といい音楽を、これからもつくり続けていきたいです」
電器店のなかにあって、パティシエールがアコーディオンを演奏する洋菓子店は、間違いなく存在していました。そしてこの店にいると、やさしく、やわらかく、温かなものに包まれている気持ちになるのです。まるで夢を見ているかのような。
高度成長期、家電は人々にとって憧れであり、夢でした。一見すると異業種に変わったかのようなこの店は、実は父が営んだ電器店の正統な承継者ではないか、そんな気がしたのです。
せるろいど洋菓子店
所在地:京都府京都市中京区西ノ京西月光町6−9
電話:050-7128-2001
アクセス:JR山陰本線(嵯峨野線)「二条」駅西口徒歩 8分
営業時間:14:00~19:00
定休日:土日祝
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