アナウンサーからの仕事人生、転機をつかんでFPへの転身
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載
このところ、第二次、第三次の起業ブームが起きています。個人がサラリーパーソンから独立し、士業やコンサルタント、また個人事業主として食っていくとき、どのような困難が待ち受けているのか。私は一人の独立した人間として、他の先人たちに興味を持ちました。彼らはどのように独立して、食えるにいたったのか。それはきっと起業予備軍にも役立つに違いありません。さきほど、「第三次の起業ブーム」と入力しようとしたら、「大惨事」と変換されました。まさに大惨事にならない起業の秘訣とは。フリーアナウンサーであり、ファイナンシャルプランナーとしてテレビでも大活躍中の山口京子さんにお話を聞きました。
――山口さん、今日は宜しくお願いします。以前お聞きしてびっくりしたのですが、温泉で局アナ試験があったのですか?
はい。バブルまっただ中のある日、私は愛知県の温泉で地元テレビ局のアナウンサー試験の面接を受けていました。面接と言っても温泉に入り、女子大生達がアナウンサーの指導のもと和室で原稿を読むという和やかなもので、リクルートスーツを着て行った覚えもありません。バブル期を知らない世代には驚かれますが、学生が就職活動をするだけで接待が受けられるという時代だったのです。浮世離れしていたのは、就職試験だけではありませんでした。
和室で、当時のアナウンス部長から「君はおもしろいから、フリーでやっていったら」と言われ「そうですね、いろんな局に出たいし、ラジオもやりたいからフリーでやっていきまーす」と、キャピキャピ女子大生であった私は答えました。どう考えてもここは、「いえ、御社で頑張らせて下さい」というシーンです。就職試験に行って「は~いやめま~す」と辞退するなんて、キャピキャピというより、アホアホ女子大生と言った方がいいかもしれません。
後日、その放送局に勤める先輩から「最終面接すごく上手だったそうだよ、おしかったね」と聞いたときは、時すでに遅し……。こんな恐れ多いことが出来たのも、当時の私は、基本給はおろか、有給休暇、傷病手当、産休、退職金、厚生年金という言葉を何ひとつ知らなかったからです。
ともかく、ここから私の完全歩合制『最初から起業家』の道が始まりました。
その後、どこかの会社員になっていたり、同級生の多くが歩んだ専業主婦への道を選んでいたりしたら、この原稿を書く機会には恵まれなかったでしょう。お声がかかったのは、これから起業する多くの人にとって、私の『最初から起業』人生がいくらか勇気を与えるからだと推測しています。
――それでは、オーディションについて、お話しいただけますか?
大学在学中から、テレビ、ラジオのレギュラー番組があり、週末はアイドル歌手や芸能人のイベントの司会をしていたので、お小遣いには困ったことがありません。当時のギャラは、1並びから3並びくらい。つまり、源泉税込みで11,111円か33,333円。30分ワンステージで、手取りで1万円から3万円もらえたのですから、今から考えても相当いいアルバイトでした。
最初にギャラをもらったのは、金沢のデパートで竹中直人さんのトークショーの司会でした。「竹中直人さんで~す」と呼び込んでも、照れてステージのはしに隠れるようにしたかと思うと「ワッ!」と急に大声をだしたりして、とにかく大変なステージでした。
ところが、この時の司会が評判良く「難しい現場は山口に頼め」という噂が広まったかどうかは知らないものの、広告代理店やレコード会社から次々にお仕事を頂きました。
なんとかなるだろうと思って社会人になったものの、毎日仕事があるわけではなく「行ってきます」と家を出て、ミニシアターでセルゲイ・パラジャーノフの「火の馬」なんてマニアックな映画を見て時間をつぶす日々でした。遅ればせながら「初任給」「ボーナス」という言葉を知り、放送局のボーナスは100万円と知ったその日から、頑張らなきゃいかんな~と、自宅でデモテープ作りに励みました。
窓口となっていた事務所に、どうしてもレギュラー番組が欲しいので一緒に局めぐりをして欲しいと頼み込み、アマチュアカメラマンに撮ってもらった写真を、ワープロで作った自作のプロフィールに貼り、カセットのデモテープを持って名古屋の放送局を全て回りました。
努力は実り、社会人1年目の秋からはラジオの音楽番組を月曜日から金曜日まで担当することになりました。プロモーションに名古屋に来たミュージシャンが毎日、日替わりゲストとして出演するような番組で、年間300本くらいコンサートを見ていました。毎年特番をやられていただいていた松任谷由実さんに、「きょろちゃん、将来すごい人になるよ」とありがたい予言をしていただいたのもこの頃です。
輝かし仕事の影には、仕事にならなかった数々の不合格通知があります。局巡りだけでなく、スポーツ新聞や週刊誌を見て、映画でも番組でも一般公募されていたものは何でもオーディションに応募しました。最初のうちは、オーディションに落ちると、何がいけなかったのだろうと、自分を責めて落ち込む日々だったが、30回位オーディションに落ちると、いちいち落ち込んでいたら身が持りません。
「あ~、残念。おしい人材を逃しましたね」と、すぐに気持ちが切り替えられるようになりました。よく前向きとか、楽天的ですね、と言われるのは、そうでもしないと自分がおかしくなりそうなので自己防衛本能が働き、そういう性格になったのだと思います。
――フリーになってからの収入はどうだったのですか?
収入も当然、ジェットコースターのようにアップダウンが激しいです。会社員なら、基本給が1割下がってもショックですが、レギュラー番組が終われば、1割減るどころか、1割になることもあります。普通は4月と10月が番組の改編期で、年に2回リストラの危機がありますが、早い時は1ヶ月でコーナーが終わったりして、毎日がリストラの危機でした。むしろ安定している方がイレギュラーです。最初からこんな調子なので、あまり不安になったことはありません。いちいち収入が減ったくらいで、胃に穴を開けていたら、胃がいくつあっても足りないからです。
もし、自分が会社員の道を選択していたら、どうなっていたでしょう。平均年収を見てみると男性の年収が入社から50代まででおよそ倍以上になるのに対し、女性は、どの年代も大きく変わらず、倍に増えることはありません。私の場合、戦略的に起業の道を選んだわけではないものの、収入は、最初の少なかった時に比べると倍、倍、倍と大きく増えていったので「フリーでやっていきます」宣言をしてよかったのだと思います。
――結婚を機に東京へ出てきた時は、コネ無し、仕事なしの大ピンチを迎えたそうですが……。
どんな小さなツテでも頼って、いただいた仕事は何でもありがたくお受けしました。どんな業種でもそうですが、起業をすることは簡単でも、継続することは難しいです。独立したてのころは、ご祝儀で今までのお取引先や、友達が仕事を振ってくれることがあっても、ご祝儀相場は長くは続かないからです。
――山口さんに訪れた転機についてお話しいただけますか。
収入を得続けるためには、収入があるうちに次の手を打たなくてはいけない、と私は思っていました。東京に出てきて、キー局でラジオのスポーツ番組を月~金でやっていた時のこと、メインパーソナリティーの局アナの男性とスポーツ解説者の元プロ野球選手があまりに面白すぎたので、このしゃべりには勝てないと思ったからです。さらに東京は、フリーアナウンサーが地方から押し寄せる激戦区です。かわいいだけで、仕事が来る年齢はとうに過ぎていました。念の為に、かわいいと思っていたのは顔ではなく、「声」です。
偶然、書店で「FP(ファイナンシャルプランナー)になろう」という本を手にした私は、稲妻が体を駆け抜けるような衝撃を受けました。「こんな資格があったのか!」もともと名古屋人は貯め上手で、お金のことが大好きです。これからは、お金に特化したしゃべり屋さんになろうと決心したのです。この転機がなければ今の私はありません。
半年間、FPの専門学校に通い、中学受験以来必死になって勉強しました。算数も数学も2だったくせに、「好きこそものの上手なれ」の力は大きいです。単位が「円」に変わっただけで、難しい計算も一気にクリアし試験も合格しました。こんなことなら、学生時代の数学も円をつけてやっておけばよかったです。
前職で何も営業しなくても、レギュラー番組や仕事が次々入る先輩がいました。こちらから、あちこちへ頭を下げてプロモーションしている私とは大違いです。まるで向こうから仕事が歩いてくるように、改編期ごとに番組が決まるのです。いつかその先輩のように「仕事が忙しすぎる」なんて言ってみるのが夢だったが、FPになって16年。気がつけば「仕事が忙しい」日々が続いています。ホームページのお問い合わせがフォームから、テレビ番組の出演や、新聞・雑誌の取材、個人のお客様のお問い合わせが届きます。書籍を執筆したり、講演会をしたり。企業だけでなく、官公庁とお仕事をさせていただくこともあります。
まだ残念ながら、セレブと言われるには程遠く、自家用ヘリも海外にセカンドハウスも持ちあわせないが、私くらいのプチ起業は会社勤めのスキルがあるあなたなら成し遂げられると思います。最後に、普段気に留めていることと、していないこと参考までにお話しします。興味がある人だけ、聞いていただければ。
――それでは、山口さんの「虎の巻」ぜひ教えてください。
●ご縁があったら3倍返し
ご相談にいらっしゃったお客様には、とにかくトクをして帰っていただきます。椅子に座っていただいただけで、大体100万円くらいトクをする節約術をお話します。住宅ローンの見直しのご相談が多いが、900万円節約した方もいます。保険の見直しだけで、300万円くらいトータルの保険料が安くなることもよくあります。
●お客様が劇的に変わる個別相談を心がけています。貯金通帳もなくし、確定申告もしていないダメダメさんが、翌年にマンションを買ったり、親子でハワイに行った人もいます。貯金の必要性を認識し、奥様が何十年ぶりにパートに出たりすることもあります。
●テレビなどの取材では、必ず求められること以上のネタを用意しておきます。編集しやすいように話します。
●セミナーや講演会では、主催者と一緒にゴールを設定します。お客様の満足度が高いのはあたり前です。スポンサーの立場で今必要なニーズは何かを聞き出します。
●セミナーや講演会などのギャラは相手のご予算を先に伺います。
●いくらおばさんでも、身なりはきれいに。上品に。優しく。
●顧客とクライアントの幸せを最大限に祈ります。
<プロフィール>
山口京子(やまぐち・きょうこ)
ファイナンシャルプランナー、証券外務員、生命保険、損害保険、変額保険、少額短期保険募集人。オールアバウト『家計管理』『お金美人のすすめ』執筆
1966年名古屋生まれ。金城学院中学、金城学院高校、金城学院大学卒業
大学時代からテレビ・ラジオに出演。番組の司会や芸能人やミュージシャン、スポーツ選手などのトークショーMCを勤める。番組ゲストと合わせるとその数、のべ300人以上。
初出:「会社を辞めたぼくたちは幸せになったのだろうか」の一部を大幅に加筆して掲載