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「俺たちは透明人間ですかね」 "送料無料"が引き起こす運び手軽視の波

橋本愛喜フリーライター
都内を走る電車で目にした光景。車両が「送料無料」でジャックされていた(筆者撮影)

これは昨年末、都内を走る電車の中で目にした光景だ。

「送料無料」の文字でジャックされたその車内。長年この4文字の表現に「なんとかならないのか」としてきた元トラック乗りにとって、その空間は正直気分のいいものではなかった。

「この広告を打った企業の配達員をやっていますが、実際この広告を見た時、すごくモヤっとしました。自社はデリバリー業界の会社。それを大々的に送料無料ってしちゃうのは何か違う気がします」(都内20代フードデリバリー配達員)

周知のとおり、「送料無料」という表現を使っているのは、何もこの企業だけではない。規模や知名度に限らず、ありとあらゆるネット通販サイトやデリバリー企業が、この「送料無料」を"サービス"として当たり前のように打ち出している。

消費者にこの4文字は魅力的に響く。本来ならば自身の足と時間を使って取りに行かねばならないものを、"無料"で届けてくれるのだから。

が、その荷物を運ぶドライバーや配達員にとってこの表現は、自身の労働価値を否定された気分になり、言いようのない虚無感に襲われるのだ。

「俺たちは透明人間ですかね」(40代長距離トレーラー)

「運送・物流はボランティアじゃない」(40代大型中距離青果食品系)

「自分がやっている仕事を『タダでいい』と言われれば誰であってもいい気分になるはずがない。そんな失礼な言い方が一般に浸透して許されているのが不思議」(50代関東地方トラックドライバー兼運行管理者)

「送料無料」の違和感

少し考えれば想像に難くないが念のため言及しておくと、「送料無料」は実際のところ"無料"ではない。

"無料"と謳っているとはいえ、その輸送や配達には少ないながらも必ず運賃・配達料が発生していることは、もはや周知の事実だろう。

そんなウソまで付かずとも、運び手の存在を示しつつ消費者に「お得感」を提供できる表現には、「送料込み」「送料弊社負担」など他にいくらでもある。

にもかかわらず、通販・デリバリー企業がこの「送料無料」という言葉を使いたがるのは、やはり消費者から「無料」「タダ」という言葉のウケがいいのだろう。

なかでも筆者が眉をひそめてしまうのは、ネットで「送料無料」を画像検索すると大量に出てくるトラックのイラストだ。

そのトラックの荷台には、ご丁寧に「送料無料」、中には「¥0」と書かれたものまである。

繰り返しになるが、送料は無料でも"¥0"でもない。

トラックの荷台に描かれた「送料無料」「¥0」の文字。送料はもちろん、積荷も無料ではない(Yahoo!画像検索より)
トラックの荷台に描かれた「送料無料」「¥0」の文字。送料はもちろん、積荷も無料ではない(Yahoo!画像検索より)

「送料無料」という表現を用いると、おかしなことも起きる。

「○○円以上で送料無料」なる文言だ。

普通に考えれば、商品を複数買って合計金額が上がれば、重さやサイズ、荷物の価値も大きくなるため、運賃も比例して高くなるはず。が、「○○円以上で送料無料」は、言葉通りに解釈すれば、その「普通」とは真逆のことが起きていることになるわけだ。

できるだけ多く注文してもらうために「お得感」を出したいのは十分理解できる。

しかし、ならばやはり「○○円以上で送料弊社負担」「○○円以上で△割引」とするべきで、仕事(配達依頼)を出す側が、立場の弱い他業種の運び手に対して何の断りもなく、平然と「無価値化」するような表現を使って自身の販促に利用するのは筋が違うのではないだろうか。

「昔からテレビショッピングとかで、今ならお値段そのままで同じものがもう1つ!みたいなのを見るとイライラしてました」(40代中距離定期便食品輸送)

「自分が出入りする会社が『○○円以上で送料無料』としてますが、我々運送の人間をエサにしている感じがして不快です」(30代中距離アパレル系)

一方、これまでこの「送料無料の表現に対する違和感」について言及するたび、世間からは「みんな送料無料が本当は無料じゃないと分かっているのだから、別にそんな細かいことはいいじゃないか」、「たかが表現。些細なことを気にしすぎ」という声がしばしば聞こえてきた。

が、トラックドライバーや配達員の置かれている「過酷な労働環境」に目を向けると、「送料無料」がいかに彼らを軽視する言葉なのかを痛感すると同時に、「たかが表現」ならば尚更なぜ変えないのか、という思いがこみ上げるのだ。

トラックドライバーの置かれている環境

トラックドライバーたちの過酷な労働環境については、これまでにもいくつか紹介してきた(フードデリバリーの配達員については後日改めて記事化する)。

長時間労働に繋がる無意味な時間調整」、「タダ同然の附帯作業」、「段ボールのわずかな擦れでの返品・弁償」、「路駐せざるを得ない立場に対する無理解」など、彼らは「送料無料」の裏側で、世間が求める利便性や行き過ぎた顧客至上主義によるしわ寄せを一挙に受けている。

それでも業界やドライバーに相応の運賃・給与が支払われていれば、「送料無料」や「¥0トラック」に笑えもする。

が、彼らの長時間労働・低賃金は他産業と比べても深刻で、仕分け、検品、棚入れといった附帯作業など、文字通り「無料で強要されるサービス」も実際に存在するのだ。

1袋30kgの米袋を440個、手で積み降ろす現場(読者提供)
1袋30kgの米袋を440個、手で積み降ろす現場(読者提供)

一向に上がらない運賃に対しては、現在業界の最重要課題の1つでもある「ドライバー不足」の原因になっているとして、国が荷主に対して「標準的な運賃」という指標まで示すほどだ。

しかし、その指標の運賃通り支払う荷主は限りなくわずかで、その金額の5~7割程度しか支払われないという実態がある。しかも荷主側に実質的な罰則はない。

さらに運送業界には、昨年末から「燃料」や、ディーゼル車の走行に欠かせない「アドブルー」の価格高騰が直撃。

本来であれば、飛行機のように「サーチャージ」として高騰分を運賃に上乗せできてしかるべきなのだが、運送側はこれまで幾度となく制度定着を試みるも、「安いもの勝ち」の物流業界にほとんど根付かず。

そのため、昨今各業界で相次ぐ「商品の値上げ」の中、運賃はほぼ据え置き状態。むしろ「コロナ禍で物量が減って経済的にキツい」と、元請けや荷主からさらなる値下げを要求されるケースもあるほどだ。

これらの影響は、給与カットや高速道路の利用料金を浮かせるための下道走行などとして、末端で働くトラックドライバーたちに集まるのが現状なのである。

荷主や顧客のため、労働環境が過酷化するなか、その客たちからは「送料無料」と自分たちの存在を「無価値」にするような表現が平然と使われる。

さすればドライバーは、後ろに積んだその「世間の生活」を一体どういう思いで運べばいいのだろうか。

長年、一斗缶を手で積み降ろししたことで曲がった指(読者提供)
長年、一斗缶を手で積み降ろししたことで曲がった指(読者提供)

加速する「現場の見えない化」

「送料無料」という言葉がここまで悪びれもなく使用されるのは、「世間に輸送の現場が見えないこと」も1つの原因だと個人的には感じている。

前回記事「トラックドライバーたちの気性」でも言及したが、トラックドライバー、とりわけBtoB(企業間)輸送を担うたちは、社会インフラを下支えしているにもかかわらず、世間との直接的な関わりが非常に少ないがゆえに、空気のような存在として扱われる。

意識されるのは毎度決まって、迷惑行為があったときばかりだ。

さらにこのコロナ禍によって急速に普及した置き配や宅配ボックスによって、ラストワンマイルの輸送(宅配)においても、指一本で購入した商品が、翌日には誰にも会うことなく玄関前に届くようになり、消費者に「人のリレー」で運ばれてきているという実感が湧きにくくなりつつある。

そんな「目に見えない現場」に、「形に残らないサービス形態」が相重なったことで物流は軽視され、結果的に「送料無料」といった言葉が平気で使用・定着するようになったのではないだろうか。

実際、SNSでは「送料無料」以外にも、「送料払うの馬鹿らしい」という言葉までもが並ぶ。

「"送料無料"、やめます」の反響

そんな中、まだごく一部ではあるが「送料無料」に違和感を抱き、行動に移す荷主も出始めている。

関東地方にある小さな書店、「ポルベニールブックストア」もその1社だ。

昨夏、「"送料無料"をやめる」と宣言した店主のツイートには、トラックドライバーたちだけでなく、一般ユーザーからも多くの称賛が集まった。

同店は昨夏以降、ウェブショップをオープンした当初から実施していた「1万1千円以上の注文での送料無料」を、表現だけでなく実質的にもやめたという。

「実際無料でないものを『無料』とすることに違和感を抱いたこと、『無料』に見せるために正当な見返りを受けられない人の存在に気付いたこと、そして彼らを見えなくする言葉を使うのは、世の中を健全に回していくためにはよくないのではと思ったのがきっかけです」

しかし、この「○○円以上送料無料」をやめる前と後では、客の購入方法に大きな「違い」が出たそうだ。

「送料無料をやっていたころは、買い物合計が1万1千円台にギリギリ乗るような支払金額ばかりで、明らかに送料無料を意識したお客さんが多かったですね。ところが送料無料をやめて以降、同額を超える注文がまったく来なくなりました(笑)。まあ予想はしていましたが」

それでも「送料"有料"」は今でも続けているという。なぜなのか。

「『無料』とすることでそのサービスの存在を軽く見る心理が働けば、現場で働く人への敬意を欠くことに繋がる。そんなことにはしたくない。荷主として配送をお願いする立場でも、荷物を運んでくれる人との関係性は、上とか下とかではなく『フラット』。仲間でありパートナーであるべきだと思うんです」

必要な時だけ持ち上げられる現場

ご存じの通り、コロナ禍で社会インフラを支えるトラックドライバーは「エッセンシャルワーカー」と聞こえのいいネーミングで呼ばれるようになった。

コロナ禍以降、世間から「お疲れ様」「ありがとう」という声が届くと、現場からも「嬉しい」「励みになる」という喜びの反応が聞こえてくる。

が、その一方、一向に変わらない労働環境と「送料無料」の言い方ひとつ変えてくれない世間に対し、「大変な時だけ持ち上げるのは都合がよすぎる」という切実な本音も挙がるのだ。

「コロナで自分たちはエッセンシャルワーカーとか言われ始めましたが、都合のいい時だけ持ち上げられても、というのが正直なところ。新しい命名はいいので、まずはこれまで言い続けてきた"送料無料"や、何度も無料で再配達ができるおかしな現状に違和感を抱いてほしい」(20代ラストワンマイルドライバー)

「送料無料」の表現の裏では、運び手に肉体的にも、金銭的も、そして精神的にも大きな負担と犠牲が伴っている。

が、誰かの「犠牲」が伴うサービスは、もはや「サービス」ではない。

いい加減「送料無料」というのは、もうやめにしないか。

夜中のサービスエリアでは駐車スペースが足りないほど並ん だトラックの中で、ドライバーがひとり時間調整や車中泊をしている(筆者撮影)
夜中のサービスエリアでは駐車スペースが足りないほど並ん だトラックの中で、ドライバーがひとり時間調整や車中泊をしている(筆者撮影)

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フリーライター

フリーライター。大阪府生まれ。元工場経営者、トラックドライバー、日本語教師。ブルーカラーの労働環境、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆・講演などを行っている。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)。メディア研究

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