2度半のトミー・ジョン手術を経て、6年ぶりにメジャーリーグへ復帰
4月25日、6回裏に登板したジョニー・ベンタース(タンパベイ・レイズ)は、先頭打者に内野ゴロを打たせ、ワンポイント・リリーフの役目を4球で終えた。
通常であれば、この場面が試合のハイライトとして取り上げられることはない。だが、ベンタースがその前にメジャーリーグで投げたのは、2012年のワイルドカード・ゲーム。6年も前のことだ。
2010年にメジャーデビューしたベンタースは、シンカーとスライダーを武器に、セットアップとして好投を続けた。2010~12年の防御率2.23は、このスパンに計150イニング以上を投げた投手の6位に位置する。230登板は2位タイ、救援229.2イニングは3位、79ホールドは4位だ。2011年に選出されたオールスター・ゲームでは、打者2人と対戦して内野ゴロと三振に討ち取った。当時、アトランタ・ブレーブスで「勝利の方程式」を形成した3人、エリック・オフラハティ、ベンタース、クレイグ・キンブレル(現ボストン・レッドソックス)は「オベントブレル」と呼ばれた。
しかし、ベンタースはその後、左肘の故障に泣かされ続けた。2013年5月と翌年9月にトミー・ジョン手術を受け、2016年7月にも同じ箇所にメスを入れた。レイズは最後の手術を「1/2トミー・ジョン手術」として、合計2度半としている(タンパベイ・タイムズのマーク・トプキンらによると、ベンタース自身がこう呼んでいるらしい)。ベンタースはメジャーデビュー前の2005年にもトミー・ジョン手術を受けているので、この数え方に従えば、通算は3度半だ。2013年以降に3度、通算4度とするメディアも存在する。
28歳から32歳まで、ベンタースはメジャーリーグで投げられなかった。年齢からすると、キャリアの全盛期を棒に振ったことになる。ただ、ベンタースと同じ左腕のトミー・ジョンは、31歳(1974年)の時、後に自身の名が冠される腱の移植手術を受け、32歳(1976年)で復帰すると、その後は左肘を故障することなく、46歳(1989年)まで投げた。メジャーリーグで投げた年数は、手術前よりも手術後の方が長く、登板数とイニングも後者が多かった。
願わくば、ベンタースもジョンのように、これから長きにわたってマウンドに立ってほしい。