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問われる引き出し屋の自立支援(3) 監視カメラの死角で、脱走計画を立てた

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
蒼真さんが脱走前に集めた地図や資料、メモは、今も箱に大切にしまってある/筆者撮影

ひきこもりや無職、不登校等の状態にある人を支援対象とする民間の自立支援施設「ワンステップスクール」の湘南校(神奈川県中井町)から、脱走して福祉施設に保護される人が相次いでいる。運営母体の一般社団法人若者教育支援センター(東京都港区)の広岡政幸代表理事は、2018年にトラブルが報じられた集団脱走事案について、外部の人間による「勧誘」や「連れ去り行為」があったと自身のサイトで説明しているが、その後も施設から逃げ出す人は出続けている。1年前に脱走した若者の話を紹介する。

■ 真冬に夏物の若者

沖縄県の本島南部出身の比嘉蒼真さん(仮名、21)は2019年10月に湘南校から身一つで脱走し、この1年、なんとか生き延びてきた。

筆者が蒼真さんと出会ったのは、脱走から3ヶ月ほどが経った、今年1月のことだ。

2018年に施設側とのトラブルが報じられた10人の脱走者と同様に、蒼真さんも行政の手続きを経て生活保護を受給し、関東南部の福祉施設に保護されていた。当時は、まだ親との連絡が取れておらず、警察やワンステ関係者に見つかって連れ戻される「再ピック」に怯える日々だった。「ピック」とは、広岡氏が筆者の取材に語ったところによると、「お迎え」を指すワンステ用語である。

まもなく「寒の入り」だというのに、蒼真さんの服装は夏物だった。沖縄出身の人が、初めての関東の冬を夏服で乗り切れるとは到底思えなかったが、記録的な暖冬に助けられ、なんとかやり過ごせているという話だった。

蒼真さんが、ワンステにピックされたのは、まだ19歳だった2019年8月15日のことだ。リビングでスマホをいじっていたとき、父親がドアを開けて「東京からお客さんが来たよ」と言った。それに続き、3人の男たちが入ってきた。

「あなたたち、誰ですか? 警察ですか?」

そう戸惑う蒼真さんをよそに、彼らは名乗りもせず、まず、危険物がないか、一通り部屋を見回ってから、リーダー格の男がリビングからの通り道を塞ぐように立ったまま、説明を始めた。

「俺たちは、関東でひきこもり支援をしている施設からきた。警察と連携して、指揮することもある組織だ。君、今の状況を自分でわかってる? 何してんのか自覚あるの?」

リーダーらしき男は、警察とのつながりや、警察の上位組織のようなものであることをやたらと強調した。

「あんまり働いてはいないです……よくないとは思ってますけど」

蒼真さんがそう返事をすると、今度は、テーブルを挟んだ席に座った別の男が替わって説明を始めた。

「君には、神奈川県の湘南というところにあるフリースクールみたいなところで最低でも半年は生活してもらいます。施設まで来て、集団生活でその状況を変えなければいけない。そこで職業訓練をしてもらいます」

2人の強い口調に、蒼真さんは、「東京から来たどこかの公務員か委託機関に強制的に連れて行かれる」と勘違いしてしまった。

「数日間考える時間をください」

そう言ってみたが、はねのけられてしまった。

「拒否できるんですか?」

こうも聞いてもみたが、リーダー格の男が間髪を容れずに、こう横槍を入れてきた。

「お前は未成年なんだから、拒否権なんてない」

どうにも不信感が拭えず、蒼真さんは、

「警察でも勝手に身柄を拘束したり荷物は探さないと思います。捜索令状をみせてください」

と言ってみた。しかし男には、

「俺たちにはここを調べる権利がある。未成年であるお前には知る権利がない。止められる筋合いはない」

と言われてしまった。そこで蒼真さんは、仕方なく「強制執行」に従った。この時に、通帳、財布、免許証、スマホは全て取り上げられてしまった。

車に乗る時、それまで一言も話さなかった3人目の男が、「大丈夫、普通は半年だけど、君なら3ヶ月で出られるよ」と言った。

男たちが、広岡代表と、湘南校の施設責任者であるスタッフAであることの他、車の前で「3ヶ月で出られる」と言った3人目の男が、沖縄県の若者支援分野で有名な人物であることは、しばらく後で知った。

■檻付きの部屋で、原稿用紙3枚の「反省文」を毎日書かされた

湘南校につくと、Aとは別のスタッフが同意書の類いを出してきて、「これにサインと捺印をしなければ、ここで寝泊まりできないから」と言った。

「それは、『ここで生活させてください』といったことが書かれている『願書』の様なものでした。その他に、『ここの生活で損害を被ってもワンステには補填できません』とか、『規則を守ります』といった同意書や、僕は未成年だったので、ワンステが代理人のようなものになることに同意する文書がありました。そこにいたスタッフからは、詳しい説明は何もありませんでした」

連れ去られない暮らしを取り戻し、再出発した/筆者撮影
連れ去られない暮らしを取り戻し、再出発した/筆者撮影

バイトの経験があった蒼真さんは、以前、辞める時に労働契約書の写しが手元になくて困ったことがあった。そのことを思い出し、「後で確認したいので、これって、コピーもらえますか?」と聞いてみた。しかしスタッフには、「ルールは部屋にあるから」とはぐらかされ、何ひとつもらえなかった。

入所が、行政による強制ではないことを蒼真さんが知ったのは、その後だった。

「夜、寮で年齢の近い沖縄出身の子に会ったので不思議に思っていることを話してみると、そこが民間の施設だと言われたんです。そこで初めて、『ハメられたんだ』と知りました」(蒼真さん)

湘南校に着いて翌日からの1週間は、「考査部屋」と言われるところで生活した。この1週間は、「ノイローゼすれすれ」になったという。

部屋からは出られるが、廊下は監視カメラで見張られていた。廊下の先にはガラスの仕切りがあり、出ようとすると警報が鳴る仕組みの監禁エリアだった。部屋にある2つの窓の片方は15センチしか開かず、もう一方には「檻」が付いていた。

毎日原稿用紙を3枚渡され、これまでの生活ぶりについての「反省文」を書かされた。たいていすぐに書き終わり、することがなくなった。テレビやネットはなく、たまたま家から持ってきていた高校の教科書を読んでやりすごした。

考査部屋を出た後の生活も、蒼真さんにとっては不可解だった。

「最初の3ヶ月は『前期』で、寮が生活の中心という話でした。4ヶ月目以降の「後期」になって初めて、進路の相談ができると聞かされました。しかし、実際には、何年も入れられている生徒が何人もいて、何をすれば卒業できるのか、基準が全くわかりませんでした」(蒼真さん)

また、曜日ごとに、筋トレ、体育館やグラウンドでの運動、買い物、ボランティアなどのスケジュールは決まっていたが、社会人教育的な研修は2ヶ月に1回と聞かされた。たまに、農家の手伝いもあった。こうしたスケジュールで何かをやるたびに、スタッフに、「お母さんに送る」「オレの趣味」と言われて、写真を何度も撮られた。

■相次ぐ脱走と精神科病院送り

周囲の人たちと話ができるようになってくると、施設に友好的な生徒と、反感を持つ生徒がいることもわかってきた。自分にとって誰が味方になってくれる人物なのかもわからず、蒼真さんは神経を尖らせて過ごした。

8月下旬。生徒の一人が脱走した。

その人は、10人脱走に関する神奈川新聞の記事(2018年12月17日の共同配信記事)のコピーを入手していた。記事を親に宛て、「ここから帰してください。お金がない」という手紙を付けてこっそり送った結果、無事、親の協力が得られ、脱走できた。

9月中旬。またひとり出ていった。

その人は、実情を訴える手紙を親に出して説得し、迎えに来てもらっていた。不審がる家族とスタッフが、面談室で何時間も揉めていたが、兄弟が「連れて帰る」と一歩も引かなかった。彼は、迎えの車に荷物を全部積んで、帰っていった。

9月の下旬には、またひとり脱走した。

彼は福岡から来ていた20代半ばの人で、テレビのカメラに追いかけ回されていた。「テレビで映像を使わないでください」と言い続けていた。寮で出されるお菓子を、いつか脱走する時のために「非常食」として溜めていた。

なかには、何度も脱走して、失敗してしまっている人もいた。ある時は交番に行ったが施設に連絡され、連れ戻されていた。その人は、考査部屋に数日監禁されたあと、県内の精神科病院に連れて行かれた。

精神疾患があると見られる人もいた。30代か40代ぐらいのその人は、「ここにいたら死んでしまう」と思うような状態に見えた。その人も、上の人と同じく、精神科病院に送られていった。

反抗的な態度をとった人も、精神科病院に送られていた。施設に診察に来ていた医師から「おまえを入院させるのは簡単だ」と言われた20代前半の男性が、「やれるものならやってみろ」とけしかけたら、本当に病院に送られてしまった。この男性は、今年4月にも脱走を試みたが、警察署から連れ戻されたと風の便りに聞いた。

脱走直後の蒼真さんが一番気にかけていたのは、施設の中で当時一番若かった10代の少年のことだった。医師の問診後に、「脅された」という相談を蒼真さんにしていたからだ。

毎週施設に来ていた医者は、本人の同意も取らずに診察し、情報を勝手に施設と共有していた。10月中旬に差し掛かって初めて、診察情報をワンステに共有することへの同意書が配られたが、蒼真さんはサインもせずに紙を捨てた。

■みんな「御殿場送り」に怯えた

9月下旬、静岡県御殿場市にあるワンステの御殿場校から古参のスタッフBが異動してきた。

御殿場校は、2015年から同市にある教育・派遣業者と共に始めたワンステの「職業訓練校」という位置づけの施設である。この業者を経由して、大手企業の関連工場のラインで働くことができることを、ワンステでは大きなウリにしていた。

スタッフBと蒼真さんはそれまで面識がなかったが、かつて、一時的に湘南校の寮長という立場だったBには、信頼を寄せている生徒たちも少なくなかった。

元生徒からスタッフになって久しいBは、寮長だった当時、生徒たちの置かれた状況を理解する良心的なスタッフだと噂される人物だった。しかし、彼が御殿場校に異動した後の湘南校は、蒼真さんのピックに同行してきたスタッフAが仕切るようになっており、蒼真さんの目には、戻ってきたBがスタッフAのただただ言いなりになっているように映った。

脱走から1年が過ぎた10月中旬、支援者に近況を報告に行く/筆者撮影
脱走から1年が過ぎた10月中旬、支援者に近況を報告に行く/筆者撮影

湘南校では、スタッフAの管理下では外部就労が認められなくなった。進んでいた就活やバイトの面接を中止させられた人もいた。その代わりに、生徒たちが、どんどん御殿場校に移動させられていった。成人した生徒は、一定期間がすぎると湘南校から御殿場校に行くコースが標準化した。「御殿場送り」という言葉がいつしかささやかれるようになり、生徒たちはみな怯えていた。

たまに、御殿場校から戻されてくる人もいて、「御殿場では、高額な寮費を取られて、手元に残る給料は多くて毎月1万5千円ほど」であることや、「風呂掃除は水1滴まで拭き取りさせられる」といった管理が厳しすぎるという話が聞こえてきた。

筆者も、御殿場校を出てきた人たちから直接、同様の話を聞いたことがある。

■「人身取引」の啓発ポスターと脱走計画

相次ぐ脱走者や、精神科病院送り、御殿場送りの様子をみて、蒼真さんは、日に日に「自分は違法に拘束されている」という認識を改めて強めていった。

ある日、役場の一角にある多目的ホールで運動プログラムがあったときのことだ。トイレに行こうと通った廊下で、蒼真さんの目に、「人身取引」の啓発ポスターが飛び込んできた。

人身取引とは、現代の奴隷制ともいわれ、<“搾取を目的”として、“暴力や脅しやだましなどの手段”を利用して、“人権を侵害する行為”>(引用元:NPO法人ライトハウス)を指す。人身売買等の手段を用い、性的搾取や労働搾取を行うビジネス形態も多く、日本国内にも被害がある。国連が定めた人身取引を禁止する議定書に基づき、日本でも、関係省庁の連絡会議が設置されている。

ワンステのビジネスが人身取引に相当するかどうかは慎重に精査する必要があるうえ、一概には言えないが、ともかくその時の蒼真さんはポスターを見てこう思った。

「これ、まさに僕の状態じゃないか」

それでとっさに、ポスターに書かれている法務局の電話番号をメモした。その足で、役場に向かった。湘南校の生徒たちの間では、「町役場は助けてくれる」という話がささやかれていたからだ。

役場の窓口に着き、「ワンステにいるんです。逃げたいんです」と伝えると、職員が慣れた感じで対応してくれた。「(役所を頼っても)大丈夫だ」と言ってくれたので、蒼真さんはかなり安心した。

その日は他の生徒と共に寮に戻った蒼真さんは、脱走の計画を立て始めた。施設のいたるところに設置されている監視カメラの死角で、拾った紙の裏に、「すべきこと」を書きつけていった。

・自分がどういう状況に置かれているかを伝える(10分)

・どう助けてほしいか(10分)

・今後の動きについて(10分)

・スタッフに感づかれたらトイレとかの言い訳をする

・告発文はちゃんと渡す。信じてもらえないようなら(神奈川)新聞かブログ(ワンステを批判するツイートを使った誰かのブログ)のことも、伝える

決死の覚悟が伝わる/本人撮影(加工は筆者)
決死の覚悟が伝わる/本人撮影(加工は筆者)

写真は、蒼真さんの手元に今も残る計画メモだ。助けを求める先で伝えるべき内容がさらに細かく整理され、項目ごとに「10分」と、時間配分まで具体的に想定して考えてある。当時の切迫感が伝わってくる。

その頃、台風19号が未曾有の被害が懸念される勢力のままで、東日本に接近しつつあった。蒼真さんは、上陸が予想される前日の10月11日を脱走する日に決めた。

***

筆者は本稿掲載にあたり、広岡氏に対し、支援等に関する質問を送ったが、期限の22日までに回答はなかった。翌23日深夜、代理人弁護士から届いた一部の回答は以下の通り。

▼本人に訪問を事前に伝えたり、事前の合意を取り付けたりしないままのピックを続ける理由と、ピックに男性ばかり3人以上のスタッフがいる理由を教えてほしい:

「支援対象予定者の背景事情は千差万別で、マニュアルに沿って画一的に対応できものではございません。その時々の個々の対応は一般論としてご回答できるものではございません」(原文ママ)

▼湘南校の考査部屋はどのように使うのか。また、警報装置や廊下の監視カメラの設置は、支援対象者を監視状態に置くためか?:

回答は得られていない。

▼広岡氏は寮の「出入りは自由」と説明しているが、脱走者を連れ戻しているのはなぜか?:

「廣岡さんが「脱走」という用語を用いるのと、言葉を職業上の資本とするジャーナリストである加藤さんが「脱走」という用語を用いるのでは、その意味合いが全く異なります」

「『脱走した人』が何人であるかを特定できなければ、ご質問いただいております、その連れ戻しの意図についてもご回答しようがございません」

質問に対して全く言及がないものもあるが、一部については「誠意を持って回答する」意思が示されていることから、期限後ではあるものの当初質問に対する回答を引き続き受け付けていく。

なお、広岡氏は、筆者の過去の取材や自著、これまでの各社報道では、意に反する引き出し行為そのものを否定している。脱走については、自著や取材で改めて定義を確認することなく、自ら何度も言及している。

(リンク:問われる引き出し屋の自立支援(4) 沖縄の若者たちはなぜ狙われたのか

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋と社会的養護を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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