カズと重なるバスケ界の先駆者 イラン戦で渡邊雄太が見せたプレーと姿勢
13年ぶり勝利の立役者に
バスケットボール男子日本代表には、歴史がまさに変わろうとする瞬間の高揚感がある。サッカーでいえばブラジルから三浦知良が帰国し、ワールドカップ(W杯)初出場に向かっていた1990年代前半の感覚に近い。
バスケ界にとって「カズ」と同種の存在が、24歳の渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)と20歳の八村塁(ゴンザガ大)だ。二人の帰国組が、一時は苦境に陥っていたチームを救った。9月にスタートしたFIBA W杯アジア地区2次予選で、彼らを加えた日本は連勝スタートを切った。
17日に大田区総合体育館で開催されたイラン戦は、日本が70-56で勝利している。イランは日本より完全に格上で、13年ぶりという歴史的な勝利だった。ヒーローインタビューの一番手に指名された選手が渡邊だ。
代表合宿参加こそ直前だったものの、既にその存在感は明らかだった。攻撃は30分51秒のプレータイムで18得点を記録。鋭いドライブから6つのファウルを受け、10本のフリースローも獲得している。守備では最大の脅威だったイランのSGベヘナム・ヤハチャリの対応を途中から任されてよく封じ、3スティールを記録している。
「本当にすいませんでした」
ただし試合後のインタビューで心境を問われた渡邊はこう口にした。
「皆さんはもっと僕のことを期待して見ていたと思うんですけど、その通りの活躍が出来なくて本当にすいませんでした」
渡邊は13日のカザフスタン戦後も「個人的に今日の出来は最悪だったと思っている」と述べていた。不機嫌そうな気配は一切なく、爽やかな笑顔で低い自己評価を口にしていた。「やれる」という自負があるからこその、ネガティブな自己評価なのだろう。しかし本人がどう言おうと渡邊と八村は日本バスケの宝だし、イラン戦勝利の決め手だった。
守備でイラン戦勝利の立役者に
渡邊は日本バスケットボール協会の登録だと203センチ・89キロ。手足の長さとフットワークの鋭さをあわせ持っている。基本のポジションはスモールフォワード(SF)で、インサイドよりはウイングの位置で生きるプレイヤーだ。自分より小柄な選手でもしっかり対応できる守備力、左利きのアドバンテージなど、ユニークな強みも持っている。
17日のイラン戦で、チームは第1クォーターを16-22のビハインドで終えた。まだリードを許していた第2クォーターの残り5分28秒に、試合のターニングポイントを演出したのも渡邊だった。彼は鮮やかなスティールから自ら持ち込んでシュートを決めると、そのまま咆哮し、場内を激しく煽る。アリーナ全体を勢いづけ、流れを引っ張り込むプレーと行動だった。
渡邊はこう振り返る。
「ダンクをしたらすごく喜んでくれたので、自分もテンションが上がってやりました。26-26に追いついて振り出しに戻ったので、そこがターニングポイントだと感じた。自分がシュートを決めたし、会場が一体になって盛り上がってくれたらなと思った。だから『みんなと一緒に盛り上がろう』というジェスチャーをした」
高校、大学で期待以上の成長
彼は両親、姉がいずれも日本のトップリーグで活躍していた「サラブレッド」だが、エリート街道を直進してきた選手ではない。中2の3月に香川県選抜としてジュニアオールスター(都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会)に出場したときは、174センチとサイズも平凡だった。高校入学の時点でも、全国のトップ校から誘われる選手ではなかったと聞いている。しかし尽誠学園高校に入学すると身長、技量とも大きな成長を見せ、高2と高3のウィンターカップでいずれも準優勝に輝いた。
彼は高校を卒業後に渡米し、プレップスクール(大学進学のための準備学校)を経て、2014年にNCAA一部のジョージ・ワシントン大学へ入学した。最終学年は全33試合に先発し、平均36.6分のプレータイムを獲得。得点、リバウンド、ブロックの全てでチーム最多を記録するなど、チームの中心を担った。3歳下の八村もそこに続いているが、NCAAの主力としてこれだけのスタッツを残した日本人選手は彼が初めて。つまり渡邊は日本バスケの先駆者だ。
2018年夏のドラフトは指名こそ受けられなかったが、NBAメンフィス・グリズリーズと契約を結んでいる。傘下のマイナー組織(Gリーグ)におけるプレーが前提だが、昇格の可能性も十分にある「2ウェイ契約」を結んでいる。
2次予選残り4試合の出場は?
一方でW杯予選への参加は2次予選が初めてだった。1次予選のうち4試合はNCAAのシーズン、残り2試合がNBAのサマーリーグと重なっていたからだ。NCAAはNBAと同様にFIBAのスケジュールを考慮しておらず、シーズンオフ以外は代表参加が難しい。
八村は6月29日のオーストラリア戦、7月1日の台湾戦に参加したが、渡邊はNBAのサマーリーグを優先して欠場した。サマーリーグは渡邊がNBAとの契約を勝ち取るために重要なアピールの場で、そこが優先になるのも前提だ。田臥勇太に次ぐNBAとの契約、公式戦出場は日本バスケにとって世界大会出場に並ぶ念願で、そちらも重要なチャレンジになる。
渡邊はNBA挑戦についてこう語っていた。
「自分の想像を絶するような世界で、これからやっていかないといけない。難しい世界だけどチャンスもあると思っているので、帰ったらガンガンアピールして試合に出られるようにしていきたい。メンフィスではもうみんなで練習をやっていて、自分は少し遅れている状態ですけど、さぼっていたわけではない。日本代表でしっかり戦っていたので、帰ってからアピールしていきたい」
残る2次予選の4試合については、参加できない可能性が高い。渡邊はこう述べる。
「僕も(八村)塁も何とか日本に帰ってきて、次は2戦とも日本なので参加したい気持ちが強いんですが、自分たちにもチームがあるので、こればかりは正直しょうがない。協会、チームとしっかり話して、自分たちにとって一番いい手段を選べたらと思っている」
「ボールは友達」を地で行く渡邊
イラン戦はオフコートでも、渡邊の凄さを感じる場面があった。試合開始の約1時間半前、筆者が関係者エリアを歩いていると、バスを降りてロッカーに向かう選手たちとすれ違った。渡邊は利き手と反対側の右手を使い、コンクリートの床にボールを突きながら歩いていた。ボールと戯れているという様子ではなく、真剣な表情でドリブルをしていた。
試合後の彼にそのことを問うと、こんな答えが返ってきた。
「FIBAのボールとNBAのボールで全然感覚が違ったので、今回はボールを借りました。部屋にいるときもずっとボールを触って、移動するときもずっとボールを持っていました。それで(入場時も)持っていた」
彼はさらっとそれを口にしていたが、生半可なことではない。『キャプテン翼』を思い出すような「ボールは友達」を地で行くその行動は、心からバスケが好きという気持ちの表れだろう。試合後の不満げなコメントも上を目指している、そこに到達できると信じているからなのだろう。
2メートルを超す身長、高いスキルは素晴らしい財産だ。しかしそれ以上に重要な、神様の「ギフト」を生かすハートが渡邊にはある。彼が日本とアメリカで続けてきた偉大な成長はまだ続くだろうし、それは日本のバスケ界にも還元されるだろう。