【鎌倉殿の13人】鎌倉幕府4代将軍となる三寅の御所建造を陰陽師が「不快」とした理由
貞応2年(1223)11月29日、後に鎌倉幕府4代将軍となる三寅(藤原頼経)の御所建造について、北条義時(幕府執権)の屋敷で評議がありました。その席において、義時は、日頃の天変や、本日轟いた雷について、懸念していたそうです。そして、陰陽師を召して、占いをさせたのです。
陰陽師の占いの結果は「最吉ではないが、悪くはないでしょう」というものでした。続いて、義時は天変や雷鳴について質問。陰陽師・安倍知輔が詳細に回答したようですが、その回答は『吾妻鏡』(鎌倉時代後期の歴史書)には記されていません。
翌日もまた雷鳴轟き、風雨が吹き荒れる日でしたが、御所造営のことが話し合われました。そこにもまた陰陽師が7人も呼ばれていたのです。今日の占いの結果は「不快」(良くありません)というもの。「近頃、天変が頻りに起こり、歳星(木星)が房星(さそり座の西北隅にある星)を犯しております。五惑星が房星を犯している時には、人は余計なことをすると失敗します。三寅様は、来年は7歳。計都星(九曜星の一つ)に当たります。皆様、御所の工事をしてはなりません」というのが、陰陽師の見解でした。
鎌倉在住の陰陽師の見解では信用できなかったのか、六波羅探題を通して、京都の陰陽師に聞いてみようということになったそうです。鎌倉の陰陽師としては(だったら最初から、京都の陰陽師に聞けよ)と内心思ったかもしれませんが。