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【逃げ上手の若君】鎌倉幕府方の名越高家が赤松一族の強弓で討死した理由

濱田浩一郎歴史家・作家

集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月から9月まで、アニメとして放送されていました。「逃げ上手の若君」の主人公は、南北朝時代の武将・北条時行(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の子。幼名は亀寿)です。元弘3年(1333)4月中旬、足利高氏・名越高家とその軍勢が都に到着します。後醍醐天皇方の諸将を討伐するため、鎌倉から上洛したのです。

高家は「大手の大将」として、鳥羽の作道から、高氏は「搦手の大将」として西岡から、八幡・山崎にいる官軍の討伐に向かいます(『太平記』)。それを知った官軍方(千種忠顕・結城親光・赤松円心)も幕府方の攻撃に備えますが、同書によると東国勢1万に対して、約4千人ほどであり、劣勢でした。「搦手の足利殿は未明には京を立ちました」との報せがあったので、名越高家は気が気ではありませんでした。高氏に先駆けされて、手柄を奪われると思ったのです。よって、高家は久我縄手の深き泥濘に馬の足を踏み入れ、我先に進みます。高家は同書によると「元来、気早なる若武者」(元々、せっかちな若武者)だったとのこと。今度の戦にて、人の耳目を驚かせて、名を揚げようと、馬・物の具・笠印は「あたりを耀か」すものでした。「厚い総飾りの付いた馬の尻にかける紐は燃え立つばかり」であり「朝日の影に耀かして光り渡りて」見えたようです。高家は、要は派手な出立ちで、先頭に進み出たのです。

その事もあって、官軍方は「今日の大手の大将はあれぞ」とすぐに分かりました。そして、雑兵ではなく、高家1人を討とうとしたのです。高家は狙われやすい状況を自ら作ってしまったのです。しかし、高家は「打物の達者」(剣の達人)であるので、近づく敵を次々と切り殺していきます。高家の勢いに官軍方は浮き足立ちます。その時、官軍方の赤松氏の軍勢には、佐用範家(赤松一族)という武者がいたのですが、彼は弓の名手でした。高家は最終的に範家の強弓により、眉間を撃ち抜かれて落命するのです(『太平記』)。血気に逸り軍勢の先頭に立ったことが高家が討死する要因となったのでした。ちなみに、高家の格好が戦場で目立ったので、早くに討ち取られてしまったとする見解もあります。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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