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アフガニスタン:続・続・ターリバーンと暮らす清く正しく美しい生活

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年末に、アフガニスタンで政権を掌握するターリバーンが女子向けの中等・高等教育を停止したことが世界各地で反響を呼んだ。本件については国連をはじめとする国際機関や関係各国が様々な働きかけをしているようだが、ターリバーンが「国際的な常識」や「普遍的な価値」に沿うような形で振る舞う可能性は限りなく低いようだ。そうした中で刊行されたターリバーンの月刊機関誌の最新号は、女性への教育やアフガニスタンの文化状況など、まさに昨今焦点となっている問題について異例の件数の論考を掲載し、まさに「特集を組んだ」かのように論じてくれた。以下では、それらの論考を基にターリバーンが女性への教育をはじめとするアフガニスタンの将来像についてどのように考えているのかを紹介する。

 はじめに留意すべき点は、女性教育、人権などの「国際社会」との摩擦の原因となるような諸問題に対するターリバーンの態度だ。ターリバーンの機関誌を眺めていると、どのような問題についても、同派の態度には一定の規則性があるように思われる。それは、焦点となっている問題について、ターリバーンは諸般の権利を尊重するし、それはイスラーム法(シャリーア)も認めるところではあるが、権利の行使などの実践はアフガニスタンの伝統やシャリーアの枠内でなされるべきだ、という考えに基づくものだ。そして、権利などの問題で摩擦を起こすのは、「それを尊重しないターリバーン」が悪いのではなく、「諸問題を政治的な争点とする方が悪い」という結論に落ち着く。女性の教育、報道の自由、人権などの諸問題で、「ターリバーンは(自分たちなりに)これを尊重しているので、それを政治問題化する方が悪い」という論法は、「ターリバーン論法」と名付けてもいいくらいの紋切り型の発言・作文として、ずっと主張され続けてきたものだ。

 「ターリバーン論法」があることを前提に最新号の論考群を眺めてみると、それらは女性教育の停止が「あくまで一時的」であるとの主張で足並みをそろえている。では、なぜ女性教育が「一時的に」停止されなくてはならないのか、どのような条件が整えば「再開」されるのか、そして将来女性を含むアフガニスタンの高等教育をどのように運営するつもりなのかが具体的な焦点となる。論考の一つは、女性への教育を「一時」停止する期間は、占領者が定めた教育法を脱するとともに、男女の混合を防止する分離教育が可能になるまでだと述べている。もっとも、ターリバーンが希求する(はずの)イスラームに基づく教育方法とその実践の仕組みがなんであるのか、それをどうやって整備するのか、そして男女を分離する制度や設備をどう構築するのか、そしてそれが達成されるまでにどのくらいお金や時間がかかるのかを示してくれる論考は一本もない。

 大学教育の分野では、より具体的な(そしてより憂鬱な)将来構想を提起した論考がある。それによると、宗教教育と近代的な教育を同時に行うことが標榜されているものの、必要な教育はせいぜい応用科学分野の技術教育であり、人文科学も社会科学も一顧だにされていない。特に重視されているのは医学・薬学分野で、これは荒廃したアフガニスタンの医療の立て直しや、国防部門での勤労奉仕のために大学生の男女を医療ボランティアとして「学徒動員」のように医学・薬学研修に動員し、国立病院での診療や、ムジャーヒドゥーンの基地での医療・行政管理に動員する構想が提起されている。この構想では、経済的苦境や自然災害に対処する保健省も国防や情報機関同様の安全保障官庁と位置付けられ、大学生(男女)は専攻や学業の進捗状況を問わず医療要員として動員されるようだ。さらに、構想では大学生(男女)は全員卒業後の雇用が医療要員、ジハード要員として保証されると謳われ、「旧アフガン軍(2021年8月に崩壊した軍や治安部隊を指すように思われる)」の者たちの動員を解除し、彼らを雇用市場に供給することが提唱されている。早い話、高等教育は安全保障やジハードに従属し、そのための人員を育成・供給するものと位置付けられ、学生(男女)は現在の非常時には主に医療要員として、将来は軍事技術(生物・化学・核兵器も含む)の研究開発や装備の運用要員としてのみ教育を受けられる。その中で、女性は保健・医療・救援分野の要員として高等教育を施す対象と考えられている。人員育成がうまくいけば、アフガン人民は災害支援や医療援助で国連をはじめとする(反イスラーム的でスパイ活動を行う)怪しげな援助団体を必要としなくなるということらしい。ちなみに、この構想でいう薬学とはアフガニスタンで採取される薬草の類を用いる薬学であり、これを奨励することは薬品の生産や供給を独占して植民地主義的支配を拡大しようとするユダヤへの対抗策である。

 さらに興味深い点は、教育についての構想を論じる中で携帯電話、インターネット、衛星放送をはじめとするテレビがイスラーム教育を害する娯楽として排撃の対象とされていることだ。ターリバーンやその仲間たち自身もインターネットや携帯電話は広報活動で大いに利用しているのだが、自分たちに都合の悪いものはイスラーム的教育に反する娯楽として監視・排斥するという志向が改めて表明されたといえる。かくして、これらの設備やサービスは娯楽要素を排除した実践的な方法でのみ使用が認められることが提唱されるが、その監視や取り締まりのためにどれだけ費用や手間がかかるかは論じられていない。ターリバーンの月刊機関誌最新号の論考群は、これまでのターリバーンの政策や実践の中で欠如していた、福祉や医療分野での人材育成の構想の一端が示されたものの、(男女の)教育全般については、学生、ひいてはアフガン人民全てをターリバーンの言う国家建設の労働力としてしか扱わず、個々の適性や職業・進路選択の自由を顧みないことは当然のようだ。つまり、ターリバーンの言うイスラーム法やアフガニスタンの伝統は、それがなんであるかという解釈や現場での実践で、諸外国や国際機関はもちろん、ターリバーンの制圧下にある一般のアフガン人民がそこに参加する余地がまるでないということを前提としているもののようなのだ。過去20年間のアフガニスタンにおける「テロとの戦い」や諸外国が支援した「国造り」の失敗を論じる際、イスラームやアフガニスタンの伝統への敬意や配慮が足りなかったという反省が盛んに論じられているが、その一方で、ターリバーンも同派が掲げるイスラームとアフガニスタンの伝統がなんであるか、という議論にアフガン人民を参加させるつもりがないという現状から目をそらすべきではないだろう。イスラームや伝統を尊重すべきという議論は一見もっともなようだが、当事者の一部が主張するイスラームや伝統に迎合するだけではアフガニスタンの経済・社会・教育の状況が改善することは期待できそうにない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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