イラク:ようやく国会が召集されたが…
2022年1月9日、イラクで第5期国会の最初の本会議が招集され、2021年10月の選挙での当選が確定した議員が宣誓と議長の選出を行った。本会議の招集がここまで遅れたのは、国会議員選挙の結果を受け入れない党派が街頭での抗議行動も含む様々な方法で抵抗したことも一因だが、国会の召集から新内閣の組閣までに至る今後の政治過程に関する、イラクの政治エリートたちの実践や、展望の相違がより重要な障害である。
9日の本会議では、前期の国会で議長を務めたムハンマド・ハルブーシー氏が再任された。今後の手続きとしては、30日以内に国会で大統領を選出し、その大統領が「国会の最大会派」に組閣を委任する、という展開になる…はずだ。しかしながら、問題はこの「最大会派」なるものが何なのか、という点である。本邦においても選挙が終わったとたんに所属を変更する議員が相次いだり、ひどい場合には次の総選挙を待たずして党派が分裂したり消滅したりして有権者の負託をないがしろにする事例がみられるが、イラクの事例は本邦の国会での実践を基準にして考えると全く理解不能なくらいアクロバチックな実践がまかり通っている。まず、「最大会派」であるが、これは選挙で獲得した議席数に基づくものではない。2021年10月の選挙では、サドル派が329議席中73議席を獲得したのが「最大」である。「最大」といっても総議席数の4分の1にも満たない勢力なので、選挙での獲得議席の「最大」を基準にしてサドル派が組閣を試みたとしても、連立交渉が難航するのは必至である。しかも、イラクにおいて組閣を委任される「最大会派」とは、選挙後に諸党派の離合集散によって形成されるものであり、各政治勢力は、選挙によって議席の過半数なりの多数派を獲得するのではなく、選挙後の離合集散・合従連衡によって最も有利な立場に立つ程度の議席獲得を目標としている。案の定、9日の本会議では選挙後に形成された会派である「調整枠組み」が、自派の所属議員を88人と主張し、サドル派との間で「どちらが最大会派か」を巡って小競り合いを演じた。「調整枠組み」は、民兵組織の「人民動員隊」を基盤とする会派(先の選挙では大幅に議席を減らした)と、マーリキー元首相が率いる会派などからなる。
2003年以降のイラクの慣行では、首相はシーア派から選出することになっているので、会派間の対立はシーア派の中に複数存在する政治勢力間の競合を反映している。すなわち、選挙期間中は有権者に対し帰属する宗教・宗派・民族に沿った選挙運動や動員が行われていたとしても、一度当選すると議員や政治勢力にとっては宗教・宗派・民族的な帰属よりも自らの政治的権益の獲得や他派との競合の方が重要になるということだ。そうした中、これまではなるべく多数の政治勢力を包含する、「挙国一致型」の内閣の編成が追求されてきたが、現在はサドル派が単純過半数を抑えるだけでよい「多数派型」内閣の編成を目指し、クルド人やスンナ派の政治勢力への働きかけを進めている。既に、2019年以来の抗議行動を基盤とする会派の中に内閣への不参加を表明した会派が複数あるため、「挙国一致型」を希求しても組閣が難航するのは必至であるが、「多数派型」の組閣を目指す場合でも、これは宗教・宗派・民族を政治的な権益配分の単位とし、政治的決定はそこでの全会一致によって行うというこれまでの慣行とは異なる発想に基づくものなので、容易に事が進まないと思われる。
イラクが抱える政治的課題は、「イスラーム国」対策、電力や上下水道や医療などのサービス提供、民兵組織の統制、イラン・トルコ・サウジ、アメリカなどの外交関係などなど多岐にわたり、とりわけ人民へのサービスの提供は毎年大規模な抗議行動の原因となっている。しかし、今般の国会議員選挙→結果を巡って紛糾→ようやく議会を招集→最大会派の座を争って紛糾→組閣→役職や権益を巡って紛糾…という政治エリート間の競合・紛糾が繰り返されることにより、諸課題への対策は一向に示されない。また、何度選挙をやっても、諸課題への対策の内容や実行力が問われたり、それに対する有権者の意向が人事や政策に反映されたりすることもまずない。イラクは元々はアフガニスタンと並ぶ「テロとの戦い」の最前線のはずだが、ここでテロリズムの対極をなす「平和的な政治行動による意思決定と実行」がうまくいっていないことは、アフガン政府の瓦解とターリバーンによる権力奪取に劣らない失態ともいえる。