韓国の宗教学者が語る統一教会③ なぜ日本の信者は「そんな話」を信じたのか
「韓国人の見る統一教会」を綴るシリーズ。
韓国人の多くが統一教会に無関心、というなか、話を聞くならこの人だ。
釜山チャンシン大学のタク・チイル教授。宗教学者としての顔の他、宗教メディア「現代宗教」の理事長兼編集長も務める。
前回の「日米韓での教団比較論」に続く話を。
教団は「韓国中心的」で日本は「サタン」
ではなぜ、統一教会の被害が出た多く出た国が韓米日のなかで日本だけだったのか。
まずは教団側が「強い姿勢に出た」ということがあります。統一教会の「原理講論」にはこうあります。
まず特殊な点は「韓国中心的」だということ。神が韓国人。神が降り立ったのも韓国。その神の王国が築かれたのも韓国。そして統一教会の原理が説く最後の結論が何なのかというと、世界の言語も韓国語にしなければならない。
いっぽう、日本はどう描かれているのか。第2次世界大戦の戦犯国。ドイツ、イタリアとともに。その時期に日本はサタンの勢力だった。そのサタンたる日本は韓国を侵略して韓国人に対して大きな苦痛を与えた結局この神様の秩序において回復するためには 罪を犯した日本が韓国の民族に対して犯した罪を贖罪するために何かをしなくてならない。
合同結婚式により韓国に移住した女性のうち、圧倒的に日本人女性の比率が多かったのもその理由からでした。
統一教会の教義に符合した「日本社会の特性」
とはいえ…普通、日本の人がこういう話をされたからと言って信じますか?
でも信じてしまったのです。
これは日本社会側の事情があったとみています。日本社会の独特な事情として一つのキーワードがあるのでは。そう感じています。
「寂しさ」
日本には「いじめ」そして「オタク」という言葉があるでしょう。いまでこそ韓国でもいまでこそ認知されていますし、韓国にも同様の出来事や人々が存在しますが、30年ほど前まではまったく理解がされませんでした。なぜいじめのようなことが起きるのか。やり返さないのか、周りは放っておくのか。オタクについても「なぜ部屋にこもって一つのことを熱心に追及したりするのか」と。韓国にはない「寂しさ」があるのではないかと想像します。
日本での霊感商法の過程を分析しても、そういったことは言えます。統一教会の教義を前面に押し出すのではなく、基本的に個人が経験している疾患や不幸といった様々な悪縁を解決する、と説明するのです。
元来、宗教はこういった寂しさを解消するひとつの方法でもあると思います。実際に日本の多様な宗教のなかには、「穏やかな心の安らぎ」を謳うものが多い。天理教は「非常に現実的な心の安堵」をすごく強調しています。
教団の「優しさ」はじつは「韓国風」
そこに入ってきたのが統一教会です。
「入り方」には2つの特徴がありました。「押して、引いた」とでもいいましょうか。
1つ目は前述した内容です。「強い姿勢」。これは言い換えれば、非常に家父長的で、最も権威的だったということです。つまり、文鮮明氏の演説などでの力強いモノの言い方です。
文鮮明、韓鶴子が韓国やアメリカでスピーチをする姿と、日本でやるときは雰囲気が違います。ふたりが日本で献金の話をしている動画を見ましたが、ただただ強要をしているんですよね。
こういった日本の文化コードを、教義でより合理化していきます。「おまえたちはサタンの勢力だ。韓国に対して罪を犯した。償え」と文鮮明が強く説いていくのです。これによって外部の人から見ると「搾取」ということが当事者からすれば「献金」となる。外部の人たちが見る「労働力の搾取」も彼らからすれば「献身」。
もうひとつは、教団の「優しさ」です。
日本の信者にとってのメリットは「信者同士の絆、所属意識」だったと見ています。これは韓国的な特徴が日本でもプラスに作用したと分析しています。
韓国ではどの宗教でも信者同士が非常に親しくする。韓国を旅行された方は見たことがあるでしょうが、町中にキリスト教の教会が多くあります。あれは社会の中で「家族」「学校」「近所の集まり」と似たようにコミュニケーションを図る場なのです。女性は年上の人を「オンニ(お姉さん)」などと呼んで非常に仲良くする。
これ、じつは現代韓国の宗教の特徴的な姿の一つです。自分が献身する宗教・宗派に献身的に尽くして、所属感を持ち、そのなかで時には家族より近い迎えられ方をする。しかし、いっぽうでそこには厳格さもあります。他の場所に行くということは許され難いことなのです。
実のところ韓国社会は、一度親しくなった人同士はかなり親密になりますが、それ以外は繋がりにくいという特徴があります。日本の人たちには「02年ワールドカップでの一体感」というイメージがあるかもしれませんが、あれは例外です。親しくなりにくいからこそ、みんなでまとまれる機会が尊かったとでもいいましょうか。
そういったなかで、親しいと信じたい家族との関係が難しくなる時もある…そこが宗教の出番です。コミュニティのなかで感じる絆、所属意識により「治療」が出来るのです。ただしそこに献身してこそ、絆が得られる。
これは日本の「平和な」宗教観とは少し違うものです。日本では両親が仏教徒でも子供はキリスト教系大学に行くでしょう。ICUはとても人気の大学だと聞きます。その合格祈願のお祈りに神道の神社に行ったりもするでしょう。韓国ではなかなか考えにくいことです。
自分たちの「強さ」と日本社会の「優しさ」。この2つの点を、もともと文鮮明が知っていたのか、あるいはたまたま日本でハマったのか。はっきりとした資料はないのですが、文鮮明は10代の頃、日本への留学経験があります。韓国とは違う日本の文化コードを読み解いた。そういった推測は十分にできます。
もう一つ言えるとしたら、文鮮明の出身地たる平安道(現在は北朝鮮にある)はキリスト教の影響がとても強い場所だということ。小さい頃からつぶさにキリスト教徒の姿を観察していた可能性はありますね。
【これまでの話】