貧富格差のガス抜きにもならない、映画『逆転のトライアングル』
貧富格差の巨大さには無力感しかない。もう笑うしかない、ということで出てきたのが、この作品だが、あなたは笑えましたか?
『世界不平等レポート2022年』(世界不平等研究所)によると、世界の上位1%の超富裕層が世界の富の約4割を独占。下位50%の貧しい層は2%の富を分け合っているに過ぎない。
しかも、コロナ禍によって拡大した貧富の格差は、今後インフレによってさらに拡大する見込みだ、という。
「格差解消!」なんて唱えるのが馬鹿らしくなるほどの巨大格差である。
絶望的な気持ちで笑うしかない、ということで生まれたのが、映画『逆転のトライアングル』だ(ろうと思う)。
■邦題に込められた切ない逆転願望
まずこの邦題が切ない。
『逆転の……』なんて、まるで貧富が逆転するかのような。
原題は『Triangle of Sadness』、「悲しみのトライアングル」であって「逆転」のニュアンスはない。じゃあ“貧乏人は悲しい”ということなのか、といえばそれも違う。
「悲しみのトライアングル」とは何か? その答えは作品の冒頭で解説されている。
邦題は、金持ちに一発喰らわしてやりたい、という日本側スタッフの意気込みの表れとみたい。
作品の邦題とは別に、NHKの番組で「逆転のトライアングル」という言葉が使われていた。
これは大意、“格差拡大等で非常に暗い世の中だが、政府と企業と市民社会のトライアングルによって逆転可能。新たな経済成長と社会の豊かさが見込める”というものだった。
だが、企業が政府や市民社会と手を取り合って公共の利益を追求するだろうか? そうなればいいな、と思うが、無理だろう。
お金持ちが急に貧乏人に寛大になるとは思えない。そうであれば、ここまで富を独占的に溜め込んできたはずがない。
よって、逆転なんか起きない、というのが私の考えだ。
■糞尿まみれを笑えるか?
話を作品に戻す。
作品の狙いは、お金持ち、特に成金の滑稽さを笑おう、貧乏人の私たちは笑うことでせいぜい溜飲を下げよう、ということだと思う。
公式ホームページには「権力者を厳しく突き落とす」という作品評の一節が抜粋されているし、スペイン人ジャーナリストたちの評にも「シニシズム(冷笑主義)」とか「社会風刺」とかの単語が踊っていた。
しかし、私には笑えなかった。
1つには、笑いの質の問題。
この予告編を見てほしい(少しネタバレがあるのでネタバレしたくない人は、予告編を見ないで映画館に直行することをおススメします)。
トイレ逆流の糞尿まみれや嘔吐で笑う、というのは、小学生時代に漫画『トイレット博士』で大笑いした私なのだが、キツかった。もう61歳だから。
あと、金持ちの中でもことさら下品な人ばかり集めて、“下品ですねぇ。さあ、笑いましょう”というのもどうだろうか。
下品な人が下品なことをしても笑えない。上品そうな金持ちがパニックになって下品になるという落差、化けの皮が剥げる感が面白いのに。あの『タイタニック』の、無理矢理救命ボートに乗り込もうとした金持ちのように。
■教訓はない。浮世の風が冷たいだけ
2つ目は、笑っている場合なのか?ということ。
世界は富裕層に牛耳られる格好になっている。これが現実。映画を見終わっても何も変わっていない。金持ちの滑稽さを笑ったスッキリ感は瞬時に消え、物価高と賃金据え置きの風がひと際冷たい。
鑑賞後のメッセージとして、“ああ面白かった。明日から明るく生きて行こう!”とはならない。財布は貧しくとも心が豊かになった、ということもない。
せいぜい笑って終わり、である。
格差社会を生きていく知恵、というのは付かないし、金持ちの弱点を教えてくれて、それこそ、人生逆転の方法を授けてくれるわけでもない。
むしろ金持ちは、私が座って2時間ちょっと時間を浪費している間に、しこたま稼いでいるのだろう。
※写真提供はサン・セバスティアン映画祭