【参院選】選挙における公正なファクトチェックはいかにして可能か
「選挙期間中にファクトチェックをすると、選挙に影響を与える可能性があることをどうお考えでしょうか。従来、メディアは、公正な選挙の妨げにならないよう、選挙中に候補者に不利な影響を与えるような報道は自重してきたのですが…」
昨年8月、日本記者クラブの記者向け研修会でファクトチェックをテーマに講演したところ、あるテレビ局の記者からこのような趣旨の質問が出た。
伝統的に日本の大手メディアは、選挙期間中になると「モード」が変わる。たとえば、氏名や写真の露出が特定の候補者に偏らないよう、編集や表記の面で細心の注意を払う。そこまではよいとしても、陣営から不公平な扱いだと抗議されることを恐れ、特定の政党・候補者に対する批判、あるいは不都合な事実や疑惑の報道も極力控えることになる。それは投開票が終わって”平時”に戻ってからやればいい、という考え方が支配的だ。
冒頭のような質問は当然出るだろうと思っていた。それで、私は次のように答えた。
新基準のガイドラインのもと5媒体が参加
参議院選挙が始まった。私が事務局長をつとめるファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)は、公示前日の3日、記者会見を開いて参院選でのファクトチェックを呼びかけた。FIJは相互に協力しながらファクトチェックを行うメディアパートナーに、「疑義言説自動収集システム」などで得た情報を提供する。何をファクトチェックするかの判断は各メディアが行い、掲載する。理事長の瀬川至朗・早稲田大学教授ら5名の「編集委員会」は、各メディアが発表した記事がFIJのガイドラインを満たしているかどうか審査したうえで、FIJのサイトで紹介する予定だ。
今回の参院選では、バズフィード(BuzzFeed Japan)、琉球新報、中京テレビ、ニュースのタネ、ワセッグ(Wasegg)が参加を表明している。新聞、テレビ、ネットメディア、NPO、学生ゼミ、と多様な団体が参加しているのが特徴だ。バズフィードは、今回からFIJが推奨するガイドラインのレーティング(判定)基準を採用してファクトチェックを行う方針を明らかにした。
昨年9月の沖縄県知事選では、FIJのプロジェクトに複数の現役記者がボランティアで参加し、いくつかの記事化に貢献した。NHK出身のジャーナリスト、立岩陽一郎氏が代表をつとめる調査報道NPOニュースのタネ(大阪市)は今回、広く参加を呼びかけている。現役記者、フリージャーナリストはもちろん学生など誰でも参加でき、記事を発表する機会がある。FIJは、一般からの情報提供の呼びかけやサポーターの募集もしている。
世界に大きな遅れをとっている日本のファクトチェック活動
ファクトチェック(真偽検証)とは、真偽が定かでない言説・情報について、事実に基づいているかどうかを検証し、根拠情報などを提供する営みのことだ(FIJサイト参照)。これを「フェイクニュース」(多義的、曖昧な概念なので要注意)に対抗する活動だ、というのはやや単純すぎる捉え方である。全くでたらめな情報、悪意のある捏造を取り上げることもあるが、実は虚実ないまぜ、真偽判断が容易でないものが大半である。真偽の二択ではなく、中間的な判定基準をもつ団体がほとんどだ。
ファクトチェックは世界各国でますます活発に行われており、主なメディア・団体は国際ファクトチェック・ネットワーク(IFCN)に加盟して活動している。残念ながら日本はこの分野で最も遅れており、一つも加盟団体はない(それがFIJを立ち上げた理由でもある)。今年のIFCN主催の世界ファクトチェック会議(南アフリカ・ケープタウン)にも50カ国以上から約250人が参加した。私は2017年から参加しているが、今年強く感じたことは、世界のファクトチェックは「原則」を踏まえつつも「進化」しつつあることだった。
「公正」なファクトチェックとは?
「進化」については改めて書くとして、ここでは「原則」について触れておきたい。
IFCNのファクトチェック綱領の第1原則には「公正性・非党派性」(Fairness and Non-partisanship)が掲げられている。「フェアネス」の理念が薄い日本では誤解されやすいことだが、綱領の注釈には「全てファクトチェックを同じ基準を用いて行う」「片方だけのチェックに集中しない」「政治的主張を唱えない」と書かれている。日本では、政治的公平性を(特に選挙において)「量的なバランス」で体現する考え方が根強いが、そうではない(ちなみに、BPO放送倫理検証委員会は2016年、放送法4条の「政治的公平性」について「量的公平」ではなく、政策の内容や問題点など有権者の選択に必要な情報を伝えるために、取材で知り得た事実を偏りなく報道し、明確な論拠に基づく評論をするという「質的公平」だと指摘する見解を発表している)。
IFCNの中心メンバーであるポリティファクト(PolitiFact・米国)のアーロン・シャロックマン事務局長は、この理念を野球のストライク・ボールにたとえて説明してくれた。わかりやすくいえば、どちらのチームの打者もストライクゾーンの判定は同じでなければならない(審判が好きなチームに判定を甘くすればアンフェア)ということだ。その結果、Aチームが三振が多くて無得点、Bチームがホームランが何本も出て大量得点という結果になっても、同じ基準で手加減なく判定している限り、公正(フェア)といえる。
対立陣営の「フェイク」を叩くのがファクトチェックではない
最近、東京新聞なども「ファクトチェック」を掲げた記事を出すようになり、注目される動きだ。ツイッター上にも「ファクトチェック」という言葉の頻度は格段に増えてきた印象がある。ファクトチェックの認知度が高まってきたことは喜ばしいことだ。
ただ注意してほしいのは、ファクトチェックは、特定の見解・立場・党派を攻撃、批判する目的で行うものではないという原則だ。さもなければ、かえって対立・分断を助長して本来の趣旨に反するし、結果的にファクトチェック自体が正確性を欠く内容になってしまう。党派的な「偽ファクトチェック」が跋扈し始めると、言説空間をますます混乱させる恐れがある。
もう一つ、注意してほしいのは、「ファクトチェックが絶対に正しい」というわけではないという点だ。IFCNも訂正明記の原則(Open and Honest Corrections)をわざわざ掲げている。もちろんファクトチェックの誤報は極力避けるべきだが、それでも間違い、思い違い、検証不足はあり得る。神ならぬ人間が作る、あらゆる情報コンテンツに言えることである。
ただ、ファクトチェック記事が他の一般記事と異なるのは、検証プロセス、情報源をできるだけ具体的に開示している点だ(それをしていない記事は、ファクトチェックとは言えない。綱領第2原則参照)。読者に結論を押し付けるのではなく、ファクトチェックの妥当性を読者が検証できるようなコンテンツを志向している。だから、他のニュースコンテンツなどと同様、ファクトチェック記事も結論だけを鵜呑みにすることなく、疑いながら読み、自分の頭で理解することが求められるのだ。そうした健全な懐疑精神で「ファクトチェックをファクトチェックせよ」との指摘があるなら、必ずしもおかしなことではない。
結局、ファクトチェックにおいて大事なのは、立場・党派を超えて首肯せざるを得ない事実とは何かを謙虚に、手抜かりなく追求しようとする知的誠実性(インテグリティ)なのだと考える。
IFCN、ガイドラインを年内策定へ
IFCNの綱領は抽象的な文言で書かれており、個別具体的なケースでの判断基準にはなりにくい。実際、個別の記事が綱領に違反しているかどうかを判断することはしていない。その綱領に照らしてメディア・団体の活動全体を評価し、加盟を認めるかどうかの審査が行われているという。
IFCN側も綱領の抽象性は認識しているようだ。バイバーズ・オルセク代表は6月20日、FIJのインタビューに対し、「綱領自体は変えないが、各原則の詳細なガイドラインを年内に作る」との方針を明らかにした。
綱領問題を担当しているピーター・ジョーンズ氏も「国によって政治体制が異なるため、公正性の解釈は難しい」としてガイドラインの必要性を認めた。FIJは、個別のファクトチェック記事の最低限の要件を具体化したガイドラインを独自に策定しているが、この「公正性」原則については具体化するには至っていない。IFCNの議論を注視していきたいと思っている。
ファクトチェックはまだ歴史が浅く(IFCNは2015年設立)、試行錯誤の過程にあり、スタイルも多様化している。欧米各国では、誤情報対策に必要不可欠な手段として認識されているが、社会からの信頼性を高めるには、まだまだ改善が必要であろう。
FIJは、メディアパートナーとともに、個々の実践を通じて課題を浮き彫りにし、議論しながらファクトチェックを改良させていく。そうしてファクトチェックの実践を重ねることが、ひいてはメディアの信頼性向上や民主主義の基盤強化につながると信じて。