「脱豚骨」が加速する福岡で始まった豚骨ラーメンの「逆襲」
博多豚骨の嫡流が満を持してオープン
福岡は言わずと知れた豚骨ラーメンの街であるが、ここ数年急激に増えているのが、豚骨ラーメンではない「脱豚骨ラーメン」を提供する新店である。新しいラーメン店のほとんどが、透明なスープの醤油ラーメンや担々麺など、豚骨以外のラーメンを出す「脱豚骨店」だと言っても過言ではない。
福岡は戦後から続く老舗豚骨ラーメン店や、創業10年から30年程度の中堅店の人気が今も根強く、なかなか豚骨ラーメンで新規出店するのが難しい市場背景がある。そして「脱豚骨」のトレンドに乗る形で、豚骨以外のラーメン店の出店が加速化。それは裏を返せば新たな豚骨ラーメン店の登場が著しく減っていることをも意味している。
そんな中、久々に豚骨ラーメンを提供する新店が登場し、早くも人気を集めている。2019年7月、福岡一の繁華街である天神、親不孝通りにオープンした『まんかい 天神親不孝通り店』(福岡県福岡市中央区天神3-4-14)だ。
「博多純系豚骨らーめん」を謳うが、実は福岡のラーメン店ではない。2013年に大阪で創業し、その後、出店を重ねて大阪市内に3店舗展開。2017年、福岡空港内にオープンしたラーメン施設『ラーメン滑走路』に出店する形で福岡初出店。今回開業した親不孝通り店が、福岡進出2店舗めとなる。
『一風堂』を長年支えてきたベテラン職人
店主の奥長義啓さんは、福岡を拠点として国内外に展開する人気店『博多 一風堂』で20年近くものあいだ、最前線に立って国内外店舗展開の陣頭指揮を執ってきた人物。福岡の一ラーメン店だった一風堂が、グローバルブランドに成長した立役者と言ってもいい。
「元々自分でラーメン屋をやりたくて一風堂の門を叩いたのですが、一風堂創業者の河原成美さんに魅せられて、この人の側にいたいと思うようになり、気がついたら18年も経っていました」(まんかい店主 奥長義啓さん)
3年で独立するつもりが18年。自分の店を持つという夢は封印し、一風堂が世界に広がっていくことが奥長さんの夢となっていった。しかし、45歳の時に一風堂からの独立を願い出て惜しまれつつも退職する。一風堂と共に生きてきた奥長さんだったが、自分自身の店を出すという夢は諦めきれなかった。
「私の父も小さなラーメン屋を営んでいたのですが、55歳で他界したんです。親父が死んだ歳まであと十年と思った時に、最初に一風堂に入った時の夢が一気に蘇ってきたんです」(奥長さん)
「博多純系」の豚骨ラーメンとは
自分の好きなラーメンで自分の店を構えたい。やるならば豚骨ラーメンしかなかった。国産の豚骨を大量に使い臭みの出ないように丁寧に炊き上げたスープは、驚くほどにクリーミーで深いコクを持つ。奇をてらうことなく教わってきたものを誠実に作る。自分の人生すべてを注ぎ込んできた豚骨ラーメンだからこそ、生半可なものは作れなかった。
「『博多ラーメン』という言葉を最初に使ったのは河原さんなんです。僕はその弟子なのですから、師匠の作った博多ラーメンを実直に純粋に作り続けようと決めました」(奥長さん)
『まんかい』では各店舗の厨房で毎朝豚骨スープを炊く。それは親不孝通りの店でも、空港の集合施設でも変わらない。大阪で愛されたメニューを福岡でも変えることなく提供する。それが奥長さんのラーメン職人としての矜持であり、自分を育ててくれた福岡の街への恩返しでもある。大阪のラーメン店でありながら、敢えて「博多純系豚骨」と掲げたのは、そんな奥長さんの一風堂と博多ラーメンへの強い思いが込められているのだ。『まんかい』という店名は、満開の桜の木に集まる多くの人たちの笑顔をイメージして名付けた。
「福岡の人たちに豚骨ラーメンを作りたい」
祇園山笠祭りに沸く福岡の街で、「ラーメンの日」である7月11日にオープンした『まんかい 天神親不孝通り店』。奇しくも古巣の『博多 一風堂』の国内旗艦店である『博多 一風堂 西通り店』も、翌12日に『まんかい』から徒歩圏内の場所にリニューアルオープンした。世界を代表する豚骨ラーメンと、その想いを継いだ奥長さんの豚骨ラーメンが、同じ天神で「脱豚骨ラーメン」のトレンドに対峙する形となったのだ。
「福岡の地下鉄に乗って、すれ違う人たちの顔を見た時、『あぁ自分はまたこの人たちにラーメンを作ることが出来るんだなぁ』って思いました。まだまだ自分は修業中の身。不器用な自分には豚骨ラーメンしかありません。僕が福岡で学んだ豚骨ラーメンを、いつか福岡の人に認めてもらいたいと思ってこれまでやってきました。今回念願の天神というど真ん中にお店を出させて頂けたので、ようやくそのスタートラインに立てた気がします」(奥長さん)
※写真は筆者の撮影によるものです。