どんな木目が美しい?業界と世間のズレを考える
高級牛肉と聞けば、誰もが思い浮かべるのは黒毛和牛の霜降り肉だろう。赤身の間に脂が入った、いわゆるサシ(霜降り)の入った肉だ。価格も格段に高い。たしかに霜降り肉のステーキを口に含むと、甘みがある脂が広がりとろけるようで柔らかい。美味い! と感じる。
だが、最近の消費動向は、霜降り肉の人気に陰りが見られるようになったそうだ。霜降り肉はあまりに脂が多くて、しつこく感じる。むしろ赤身の旨みを求める消費者が増えてきたのだ。しかし今も生産現場では、霜降り信仰が根強い。肉の価格もサシの入り方で等級をつけて決められる。
……そんな話を聞いて、私も思い当たることがあった。
仕事がら、製材所や建築現場を覗くことがある。ホームセンターでもつい木製品売り場に足が向く。そこで角材や板材を目にして、詰まった木目がまっすぐ走っていたり節が一つもないと、「いい木だなあ」と思ってしまう。
が、瞬間「いやいやいや」と頭を振る。「この木目がいいと思った自分の感覚は世間と一緒なのか」と自問するのだ。
木材業界や林業界では、そうした木が「いい木」であり、値段も高い。年輪幅が狭くて均一に並んでいるかどうか、節の数は少ないか……が重要なのだ。ときに素人には区別がつかないほどの差で、価格が大きく変わる。そして木目の美しい木材を銘木とか役物と呼ぶ。
私もそんな目で木材を見てしまっているわけだ。しかし、それは業界の慣習にどっぷり浸かってしまったからで、本当に世間の感覚と合致しているだろうか。
以前、私は「柾目」が苦手だった。柾目とは年輪がまっすぐ平行に走った状態だ。それが幾何学的で単調に感じて好きになれなかったのだ。むしろ木目が楕円だったり波打っていたりして曲線になっている「板目」の方が好みだった。年輪幅もある程度広く、節もある方が自然に感じた。
ところが、仕事で林業や木材産業に触れるうちに、業界人と同じ感覚に染まって行ったわけだ。目の詰まった木目は美しい(と感じる)。年輪が細かければ太くなるまで長い年月がかかり、節を無くすために林業家がとった苦労も想像する。そんなドラマを読むことで、「いい木」の基準を身につけたのだろう。
しかしバブル崩壊以降、木材業界では銘木と言われた木々が売れなくなっている。価格も暴落した。木材消費の量は外材に取られる中で、銘木に頼ってきた日本の林業は大きな痛手を被った。
世間は銘木を求めなくなった……と言われる。たしかに住宅が洋風化して柱も梁も見えない家では、銘木を使う場がない。だから売れなくなった。価格も下落した……だが、そんな考え方に落とし穴があるのかもしれない。
肝心の木材を求める消費者は、そうした業界的な「いい木」を本当に自らの好きな「いい木」と感じているのか。大枚を払っても欲しいと思うのか。むしろ業界人の決めた銘木の木目を好ましいと感じず、価格に納得できないから欲しがらないのではないか。
銘木かどうかは、消費者の望む木目で決めるべきだ。本当に好ましく感じる木目の木材ならば、そこそこ高値でも欲しい。身の回りに見えるように使いたい……はずだ。現代人は、デザインにこだわりを持つ人が多い。
しかし、魅力的な木目の材が見つからない。それを無視しているから売れないと考えるべきだろう。
もちろん、木目が均等で無節の材は加工がしやすく、乾燥に伴う伸縮や割れなども抑えやすい。だから製材や建築関係者が喜ぶ面はある。しかし、それは消費者の好みとは別次元の話だろう。
私は、業界の感覚に染まらないように日々気をつけているつもりだが、それでも一般人と「美しい木目」の感覚がズレてきたのかもしれない。そのことを自戒しつつ、ぜひ業界人も自らの感覚を見直してほしい。それは精肉業界や木材業界だけの話ではない。
ちなみに私も、霜降り肉より赤身肉の方が好きである。