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「支援は爆弾ではできない。パンと水の問題だ」中村哲さんが語っていたこと

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
(写真:ロイター/アフロ)

 古ぼけた取材ノートには2008年2月16日と日付が記載されている。当時、毎日新聞岡山支局の若手記者だった私は中村哲さんの講演会と、終了後に短いインタビューをしていた。ノートによると、講演会が開かれたのはお寺の一角で、中村さんは落ち着いた口調でアフガニスタンの現状を報告した。

「爆弾で支援はできない」

 中村さんは対テロ戦争を念頭に置き、「極悪非道なタリバンがいなくなり、アメリカによって自由とデモクラシー、解放が進んだという認識は間違っている。餓死や凍死の恐れが残る人がまだたくさんいる」と語った。

 私が一番、印象に残っているのは「アフガン支援とは爆弾でできるものではない。パンと水の問題だからだ」という言葉だ。中村さんは農業をアフガニスタンの「生命線」であると語り、本当の支援とは軍事作戦ではなく、井戸や用水路を掘り続け、水源を確保することから始まるのだと言った。

 取材では日本国憲法についても語っていた。曰く、アフガニスタンの人々は「日本が一度も戦争をせずに戦後復興を果たしたことを知っている。広島と長崎で何が起きたかも知っている。憲法9条があったから、日本人だから命が救われたという経験を何度もした」と。「一緒に水源を作るといった人々の生命にかかわる事業を進めれば襲撃されることはない。武器を持たないことが力になることがある」というのは、単なる理想ではなく、彼のリアリズムだったと思う。

体現した平和主義

 「日本には平和憲法があり、それを活用した人道支援を」という声は当時も今も、よく言われる。だが実際にどうしたらいいのか。実行されない文章は「机上の空論」である。中村さんたちはただ手を動かすことによって、平和主義を体現していた。中村さん自身はクリスチャンだったが、宗教に分け隔てはなく、現地に住む人々の生命を第一に考えていた。

 「中村哲」の名前は学生時代から知っていたが、その活動が多くの国際NGOからも尊敬されていたことは、岡山時代に知ったことだった。岡山市には、日本でも屈指の実績を誇る国際医療救援団体「AMDA」の本部がある。AMDA創立者で医師でもある菅波茂さんも、「徹底的な地域密着」で活動する中村さんに敬意を払っていたことを思い出す。

代表的日本人

 取材ノートを読み返しながら、あらためて思う。内村鑑三の名著『代表的日本人』にならえば、日本人であるという意識を持ちながら、アフガニスタンの現場に飛び込みリアルな「平和主義」を実行し続けた中村さんは戦後日本における「代表的日本人」であると言えないか。中村さんが残した言葉に、受け継がないといけないものは残されている。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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