子どもと平和教育 教師の負担を減らし、「自分で考える」力を育てるには?ノーベル平和賞の国ノルウェー
北欧ノルウェーと言えば「ノーベル平和賞」の国であり、政府は和平交渉の仲介役を担うこともある。この国で育つ子どもは、特別な平和教育を受けたり、問題解決の責任感が高かったりするのだろうか?
小学生が受賞者のために企画・実行するパーティー
ノーベル平和賞の受賞式当日、12月10日。ノーベル平和センターではノルウェーの「セーブ・ザ・チルドレン」の子どもたちが主催する、受賞者のための「子どもパーティー」が開催されていた。
毎年恒例のイベントで、子どもたちがイベントの企画から実行を全て行う。大人は必要な時に助けるのみだ。
戦場の同世代の子どもがどのような生活をして、どのような気持ちでいるのか?
12人の小学生による実行委員会が、ウクライナの子どもに事前に英語でインタビューなどをして、会場に集まった200人の小学生に共有した。
委員会メンバーである小学校最終学年(12)のコレーリアさん、イーヴェルさん、エレオノーラさんは、9月から企画を開始し、オスロ市長とのミーティング準備などに追われていた。今年は戦争犯罪、人権、報道の自由、犯罪者の権力がテーマだ。
エレオノーラさん「フェスに参加して自分でも何かしたいと思ったんです」
コレーリアさん「世界が平和であればいいとは思うけれど、常に違う考え方をしている人もいて、実現は難しいんだなとも感じています」
イーヴェルさん「それでも、暴力よりも対話でのほうが争いを解決できます」
中学生記者たちが戦場での子どもの様子を伝える
平和賞の取材中、筆者は各地で若いジャーナリストたちに出会った。オーモット学校の13~15歳の中学生記者たちは、「若者新聞」発行のために平和賞の取材をしていた。
同新聞では毎年のノーベル平和賞には特別力を入れて取材をしており、今年は戦場の子どもの様子を聞いていた。
現場の子どもたちから感じたのは、「自分たちにもできることがある」と信じる力と高い自己肯定感だ。
自分の「変える力」を信じるノルウェーの子どもたち
「ノルウェーの子どもや若者は、物事を自分の力で変えられると強く信じている傾向があります。少なくとも行動することで状況をより改善できると。ノルウェー社会がどのように子どもと接しているかも関係しているでしょうね」。そう話すのはノーベル平和センターで教育ディレクターを務めるベンディク・エッゲさんだ。
ノルウェー社会の3つの社会要素をエッゲさんは挙げた。
家庭
「親は家で子どもにこう言い聞かせることが多いです。『あなたはなりたいものになんでもなれて、したいことができる』と。子どもが持つ自由と可能性を強く信じる社会といえます」
学校
「学校では、数学や言語が得意な『賢い生徒』を育てるだけではなく、大人になるための経験を積んだ『活動的な市民』を育てる役割もあります」
団体活動
「各政党には若い世代で構成される青年部があり、政治は大人だけではなく子どものものでもあります」
ノーベル平和センターといえば、毎年の受賞者の活動や授賞理由を展示している場所だが、子どもに平和を伝えるための様々な活動も行っている。
「平和」を子どもはどう解釈しているのか
エッゲさん「気候活動、ジェンダー平等など平和は幅広く解釈できます。特定の分野に関心を持つことで、『ここに自分に何かできる可能性があるぞ』と子どもは発見できるのです」
「ノーベル平和センターでもたくさんの子どもに会いますが、ノーベル平和賞というよりも、気候の闘い、ジェンダー平等、報道の自由など特定のそれぞれが関心ある課題に『自分にできることがある』と親近感を抱いている子が多い印象があります」
「受賞者は誰もが普通の人でした。子どもは受賞者の中から自分のロールモデルを見出すこともできるかもしれません」
「平和」を一方的に教えない、「行動する」スイッチを押す
「平和について情報を与えるだけではなく、受賞者は平和のためにどのような貢献をしてきて、なぜその人が受賞するのか。一方的に語るだけの『モノローグ』ではなく、両者で対話する『ディアローグ』であることが重要です」
ただ『聞く』のではなく、『体験』してもらうことが鍵だとエッゲさんは話す。
「2021年は報道の自由を巡る授与だったために、子どもたちはジャーナリストとなり、ノーベル平和センターの展示物を見ながら記事を書き、専門家から『個々の言葉はこう変えたほうがいいのんじゃない』とアドバイスをもらう体験をしました。結果として、子どもたちは『検閲される』体験をしたのです」
「単に学ぶのではなく、『どうしてそれが問題なのか』を直で感じることができます」
「平和交渉や平和条約へのサインを実演してもらうこともあります。『世界をちょっと良くすることができるんだ』と子どもや若者に信じてもらうことが私たちの役割でもあるんです」
このように単に情報をあたえるのではなく『何かをする能力』にスイッチを押させ、『知識を行動に移させる』ことを重要視してしているそうだ。
平和教育を担当する教師の負担を減らすには
同センターには全国各地の6歳からの小学校~大学生が授業の一環として訪れる。
中学生・高校生の訪問が特に多く、義務教育に通う子どもの訪問者数だけでも毎年約600人ほど。歴史、社会、政治、起業、英語など、さまざまな授業の生徒が訪問にくる。
同センターのスタッフには教育関係者もおり、国の指導要綱を熟知している。「先生が何を教えることを求められているのか」「どのような情報や資料を提供したら先生が授業で使いやすいか」を考え、幅広い教材資料を学校に提供するのもセンターの役割だ。
訪問を希望する学校が多いため、全部を受けいることは残念ながらできない。そのため、学校や先生が資料にオンラインでアクセスできるようにデジタル化にも力を入れている。
実際に高校の英語の授業用に提供されている資料がノーベル平和センターの公式HPに掲載されている(英語・無料)。資料(ノルウェー語)
学校の補完として美術館があり、政府が資金を出す
毎年の平和賞の受賞者が発表直後は、ノーベル平和センターはすぐに会議をして、受賞者と活動内容を理解できる資料を用意し始める。
受賞者発表がされた週明けの月曜日には、学校の授業で先生が利用できるようにしているのだ。
スウェーデンの学校にも資料提供され、英語での資料も豊富にあり、先生のための勉強会も開催している。
平和賞受賞者がノルウェー訪問中の際は、子どもと会う機会もできる限り設けている。
先生が平和賞に関して、「自分で調べる負担」を減らすようにしているとエッゲさんは話す。
ゲームや演劇、さまざまな場で平和について考える機会を
ノーベル平和センターの活動はそれだけにとどまらず、今年は受賞者の闘いをテーマで下お絵かき大会を初開催。
マイクロソフトからの提案で、ゲーム「マインクラフト」では受賞者の活動をゲームで体験できる。
それだけではない。ノルウェー政府は全国各地に文化事業を提供することを掲げている。
国立劇場は人口規模が少ない自治体にも出向き、各地でツアーをしている。ジャンヌ・ダルクの演目がある際に、歴史に得意なノーベル平和センターに同行依頼がくることも。ジャンヌ・ダルクは受賞者ではないが、同行すれば子どもたちに会う機会が増えるため、センターのスタッフは演目後に平和についてレクチャーをする。
ノルウェーでは生徒が1日に複数の美術館を訪問することもある。
このように、ノーベル平和センターを含む「美術館・博物館」は重要な授業の一環として考えられ、政府から補助金も出ている。
教える負担を現場の教師だけに任せるのではなく、外部の専門機関を活用することで、全国各地での平和教育が可能となっていた。
人気はマララさん、全ては政治的であることが前提
ノーベル平和賞といえば政治も付きまとうが、展示内容や教育現場への情報提供内容に関して、保護者などからクレームがくることはないそうだ。
エッゲさん「ノルウェーの人々は『全てのことは政治的だ』と受け入れています。子どもが何かに対して疑問を感じたとしたら、その子がどれほど賢いかを証明していることになります」
展示内容などが政治的に偏っているかなどの批判は保護者からではなく、「展示内容はもっとこうするべき」などのクレームはむしろ他国の観光客からくるそうだ。
子どもの質問レベルに驚くことも
ノーベル平和センターを授業の一環として訪問した子どもたちからはどのような質問が飛んでくるのだろうか?これまで同センターで案内役をしてきた教育担当者の方々に聞いて見た。
- 「子どものほうが大人よりも成熟した質問をしてくることもある」
- 「子どもは公正や受賞者全体の肖像について聞いてきます。例えば、なぜ受賞者に女性が少ないのか」
- 「子どもは自分もノーベル平和賞を受賞できるかということよりも、ノーベル平和賞に関する仕事をすることができるのか好奇心を抱きやすいです。必死に活動をした人を自分たちが推薦したり、受賞者の決定に参加できるのかとか」
- 「ノルウェーの子どもはノーベル賞の舞台の裏では何が起きているのかにも関心を持ちやすい」
- 「原子爆弾と平和・争いの関係を話し合っている生徒たちがいて、関心したことを覚えています」
ノルウェーの子どもや若者が普段からこのような活動に積極的に参加していることは知っていたが、ノーベル平和センターが展示以外でこれほどまで平和教育に関与していたことに、筆者は驚いた。
子どもの中に眠る自分で考える力や問題解決力を目覚めさせ、行動するスイッチを押す。専門的で幅広い「平和」というテーマだからこそ、学校の教師だけに負担を押し付けない。美術館が学校の外にある「学びの場」として機能している。
ノルウェーでは、ノーベル平和賞の期間中に子どもの力も同時に育まれていた。