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謎のベールに包まれた侍ジャパンの対戦相手。連盟スタッフが語るカナダ野球。

阿佐智ベースボールジャーナリスト
2004年アテネ五輪でベスト4に進んだカナダ代表(筆者撮影)

「でない方」の国、カナダ

 来年の東京五輪の前哨戦ともいえるプレミア12を前に、侍ジャパンはカナダとのテストマッチに臨む。しかし、多くの野球ファンには、カナダと言われてもピンとこないだろう。実際、プロスポーツの世界では、この国は大国アメリカと一体化し、ややもすればその一部とみなされ、独自性がなく、影の薄い存在である。かつては、独自のプロ野球リーグを発足させたこともあったが、MLBドラフトではカナダ人はアメリカ人と同様の扱いを受けるということもあり、このプロリーグも、独立リーグのひとつという扱いしか受けず、トロント・ブルージェイズのみがこの国唯一のMLB球団として存在している。ブルージェイズが加入しているにもかかわらず、その所属リーグの名が、「アメリカン・リーグ」であることが、野球におけるこの国の立場を象徴しているのかもしれない。

 しかし、アメリカ合衆国建国時、大英帝国からの離脱を嫌い、別の道を歩んだように、カナダ人はアメリカ人とは違う独自のアイデンティティをもっている。そして、その野球の歴史においても、アメリカからのゲームが入ってくる以前に、イギリスのボールゲームを基にして行っていた独自の「ベースボール」に起源を求めるなど、大国アメリカに飲み込まれつつも、独自のカナディアン・ベースボールを発展させてきた。その独自の野球発祥の地の近く、セントメリーズには現在、カナダ野球殿堂が建っているが、ここの元館長で、現在は中国で野球の普及活動を行っているのが、トム・バルク氏だ。

中国で野球普及に努めるカナダ人

昨年夏のアジア大会で香港チームを率いたバルク氏(左)(筆者撮影)
昨年夏のアジア大会で香港チームを率いたバルク氏(左)(筆者撮影)

 彼は、昨年夏にインドネシア・ジャカルタで行われたアジア大会で香港ナショナルチームの監督を務め、今年はその活動拠点を広東省の中山市に移している。

 侍ジャパンとの対戦を前にして、彼はカナダの野球についてまずこう口を開いた。

「カナダの高校野球は日本の足元にも及びません。しかし、日本人ほどではないですが、我々にも野球に対する情熱はありますよ。もっとも、我々が一番情熱を注ぐスポーツはアイスホッケーですけどね。しかし、最近は、悲しいことにカナダでは年中通してこのスポーツをするようになりました。プロ選手は、良くないって警告しているのにね。どのスポーツにも、選手には休憩が必要なんです」

 アジア大会では、彼が率いた香港は6位に終わった。本選第1ラウンドの下位チームどうしが対戦するルーザーズステージのトップである総合5位の夢は、パキスタンに絶たれたが、奇しくもこの敵方のメンバーは20年近く前、彼が「野球クリニック」で手ほどきした。「教え子」たちだった。彼は、野球の伝道師として世界を飛び回っているのだ。

カナダ野球連盟のテクニカルディレクター、エグゼクティブディレクターを歴任してきた彼は、カナダの野球について、「日本人の野球に対する情熱は、カナダ人のアイスホッケーに対する情熱。カナダ人の野球に対する情熱は、日本人のサッカーに対する情熱と同じようなものだ」と説明する。つまりは、2番手スポーツということである。

 カナダの少年たちの多くが野球に出会うのは、意外なことに学校であると彼は言う。

「カナダの高校では、体育教育で野球が教えられています。一部の高校には野球やホッケーのチームもありますが、全国大会というのはありません。全国規模の大会となると、クラブチームによるものとなります。野球場を備えた高校もあり、大学野球リーグもありますが、ほとんどが10から12試合のシーズンです。野球レベルは決して高くはないです。高校世代にスター選手が少数しかいないからです。最高の高校ホッケーチームが高校ホッケー全体を引き上げるように、最高の高校野球チームがレベルを引き上げるのです。しかし、ホッケーの世界でも、学校ホッケーは非常に人気がありエキサイティングですが、それでもクラブチームのホッケーにはかないません。同様に、クラブチームの野球は、高校での野球よりもカナダ文化において非常に高度で重要です」

カナダ野球の実情

 日本の高校生と違い、カナダの学生は複数のスポーツを季節ごとに行う。学校が終われば、ティーンエイジャーは、各自の思うがままにスポーツクラブに足を運ぶ。各競技のクラブチームは、年齢別に区分されたチームを組み、様々な大会に出場する。

カナダの野球シーズンは5月から8月まで。社会人のクラブチームは地方リーグを戦い、上位チームともなると、全国を転戦、アメリカへの遠征も行う。多いチームともなれば、シーズンに75試合も行うという。このトップアマチュアクラブには、高校世代の選手も参加することがあるらしい。シーズン中は、トップシニアレベルだけでなく、各年齢別の様々な大会が行われ、最終的には全国選手権が争われる。

秋(9~10月)は、バレーボールやカナディアンフットボールの季節となるが、これらをプレーしない選手やレベルアップをしたい、より上のステージへのチャンスをつかみたい選手のためには秋のリーグも実施される。また高校世代のトップクラスの選手には、マーチブレイク(3月の休暇期間)にフロリダ州またはアリゾナ州でのトレーニングキャンプが用意されている。このレベルからは、メジャーリーグに連なるプロ野球選手が輩出されるが、彼らの当面の目標は、奨学金を受けての大学進学だ。バルク氏は、アメリカの大学で奨学金を受けているカナダ人野球選手の数は、アイスホッケーのそれをしのぐと胸を張る。

11月から2月は基本的にオフとなるが、一部熱心な選手とチームは練習を続けるという。それでも、バルク氏は、指導者はこの期間、選手たちにボールを投げさせてはいけないと警告する。

「私は、最低3か月はノースローの期間が必要だと信じます。日本がそれとは異なるアプローチをもっていることは知っています。その考え方には敬意は払いますが、科学的に考えてそのアプローチには反対します。もちろん、ノースローという考え方にも再考の余地はあるとは思いますが」

カナダの大地は冬の間は雪に閉ざされるが、3月にもなると多くのチームがトレーニングを始める。そういう選手のために、この国には、全国に屋内トレーニング施設がある。バルク氏も、生活の拠点のあるセントマリーズに1万平方フィートの人工芝内野フィールドとバッティングトンネル、ピッチングマシンを備えた施設を所有している。

「年間7か月は寒さのため外でプレーすることができないというハンデを抱えながらカナダ野球は世界ランク10位です。この現状を私は非常に誇りに思っています」

ちなみにこの国では、野球はどんな小さな子どもでも硬式でプレーする。私個人は、初心者には軟式の方がいいのではと思うことがあるのだが、この私の質問にバルク氏は笑いながらこう答えてくれた。

「カナダ人は、アイスホッケーのパックに打たれることに慣れているのでタフなんです。私個人的には、ケンコーボール(軟球)は大好きで、世界子ども野球フェアなどの普及イベントでは常に使用していますが、実際の競技では使いません」

ジュニア世代育成に成功したカナダ野球

バルク氏は長年ジュニア世代の育成に尽力してきた(バルク氏提供)
バルク氏は長年ジュニア世代の育成に尽力してきた(バルク氏提供)

バルク氏は、寒冷地カナダの野球の現状に胸を張るとともに、そのターニングポイントを1990年のカナダ野球連盟の方針転換に求める。

「それまでは、我々は国際大会で思うような成績を残せませんでした。選手の人選の問題や、選手の技能不足の問題もあったでしょう。しかし、一番の問題は経験でした。選手の多くは、飛行機での遠征や、それにともなうタイムゾーンへの調整、つまり時差ぼけ、文化、言語、宗教、食事、気候、人種など違いを経験することがあまりありませんでした。そこで我々はU18プログラムに資金を注ぎ込むことにしました。勝ち負けよりも、世界を旅するのがどんなものかを選手たちに経験させることに重きを置くことを決心したんです」

この新しいプログラムに基づいてカナダ代表U18チームは、アメリカだけでなく、キューバ、プエルトリコ、ドミニカ共和国に行き、世界の様々な野球をその地の文化とともに経験した。今の夏の韓国でのU18W杯では、大会前に2週間、オーストラリアでキャンプを張ったという。

この成果は、あらゆるレベルでの国際大会での成績向上となって表れている。プログラム開始から14年経った2004年のアテネ五輪では、チーム・カナダはベスト4に駒を進めている。

 この「U18プログラム」と両輪をなすのが、「草の根プログラム」である。オフシーズンには、プロ選手も加わるというこの試みの結果、カナダの野球人口は増えていった。

それでもカナダの野球人口の増加に一番貢献したのは、現在カナダ唯一のメジャーリーグチームであるトロント・ブルージェイズの存在だとバルク氏は言う。ある意味、カナダ野球の浮沈はこのチームにかかっていると彼は主張する。

「ブルージェイズは1992年と1993年にワールドシリーズを連覇しましたが、そのときこの国の野球競技者数はピークに達しました。しかし、その後約20年間、ブルージェイズはプレーオフに進みませんでした。そして、このチームが2015年と2016年にポストシーズンに進むと、選手登録は再び急増しました。この間、MVP受賞者のラリー・ウォーカーやジャスティン・モーノー、ジョーイ・ボットらカナダ人メジャーリーガーがカナダの若者のプレーを支援したことも追い風なりました」

現在、カナダの人口は約3700万人。そのうち指導者、スタッフ、選手を含めると、約15万人が野球に携わっているという。

受け継がれる「野球の血」

 私が彼に初めて会ったのは6年前になる。彼が館長を務めるカナダ野球殿堂を案内してもらったのだが、その時、私をバスディーポまで送ってくれた車にひとりの少女が乗り込んできた。バルク氏自慢のその長女は、残念ながら彼が心血注いでいる野球には興味を示さず、音楽・芸術の世界に進んだらしいが、その下の長男と次女は、父親の名跡を継ぐべく白球を追いかけている。ともにバンクーバーにある名門、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)のスポーツ奨学生としてプレーしているのだ。

 長男のジャクソン君は、2年生ですでにバッティングで頭角をあらわし、昨年夏には来日メンバーのひとりとして、東京六大学の各チームとの親善試合に臨んでいる。

 そして次女のミアさんは、野球とソフトボールの「二刀流」。2年前にはソフトボールワールドカップの代表メンバーに選ばれ、前年の野球ワールドカップ代表メンバー選出に続き、女性としてカナダ初(世界初かもしれない)となる2つのボールゲームでのワールドカップ代表メンバー入りを果たした。兄の後を追って入学したUBCでは、ソフトボールチームの新人としていきなりショートのポジションを獲得し、打率リーグ3位に輝いた。そして、この夏アメリカで行われたU19ソフトボールワールドカップのカナダ代表メンバーにも選ばれ、3割をマークし、銅メダル獲得に貢献している。

 バルク氏は、現在、母国カナダを離れ、NPOパンダ・スポーツ・アンド・カルチャーのエグゼクティブ&テクニカルディレクターとして中国の指導者の育成に力を注いでいる。

アジア大会のワンシーン(バルク氏提供)
アジア大会のワンシーン(バルク氏提供)
ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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