新説の登場で学校で習った日本の歴史常識がここまで変わった。
新しい史料の発見や遺跡の発掘で研究が進み、その結果次第でこれまで常識だった歴史が変わることがあります。
歴史に携わる人にとっては、これまでの常識が更新される事は当然だと知っていますが、一般の人は学校で習った歴史で止まっている事が多いので、歴史が変わるの事があるなんて思ってもいません。
私も歴史は好きでしたがそこまで考えた事はなく、学校で習った歴史が基本で、新しく変わる歴史の更新作業はしていませんでした。それが出来たのは、このように記事を書くようになった10年くらいなものです。
そこで今回は、新常識となった日本の歴史を何個か取り上げてみます。
鎌倉幕府の成立年は1192年ではない
私が一番衝撃を受けたのが鎌倉幕府の成立。
1192年に源頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開いた
【イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府】
と学校で教えられました。
おそらく昭和生まれのほとんどが、1192年に鎌倉幕府が成立したと学習している事でしょう。
しかし、2013年発行の山川日本史では、1192年に源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたと書かれていますが、鎌倉幕府の成立とは記載されていません。
とあり、ハッキリと1185年に鎌倉幕府が成立したと書かれています。
しかし、この説も最近では変わり、1180年からの治承・寿永の乱(源平合戦)を始めとし、源頼朝を中心として徐々に成立していったとされています。
要するに、ハッキリとした年号を示さず、1180年~1192年の12年間をかけて鎌倉幕府の仕組みを作っていったと言うわけです。
外部サイトの私のブログで掘り下げていますので参考にしてみてください。
鎌倉幕府の成立が1192年から1185年になったのはどうしてなのか?
源頼朝・足利尊氏・武田信玄の肖像画は違う人
新説と言えば、歴史的出来事ではなくても【この肖像画やっぱり違う人だったわ~】という事も珍しくなく、明智光秀やフランスシスコ=ザビエルの肖像画も違う人物ではないかと言われています。
源頼朝
お馴染みの源頼朝の肖像画ですが、近年の研究で足利直義説が有力。
この肖像画は国宝にも指定され、長く源頼朝として認識されている事から、今更別人と言われてもと言う感じがします。実際に、描かれている人物が誰なのかと明示されている訳ではないようです。
それでも、源頼朝である説もまだ根強くあるので、結論待ちと言ったところでしょうか?
足利尊氏
足利尊氏と言えば、刀を背負った人は僕の中で常識でした。実際に2000年までは、教科書にも尊氏として紹介されている事から、多くの人が尊氏と答えるでしょう。
近年の研究で、馬具や花押から尊氏でなく、執事の高師直かその一族ではないかと言われています。
実際にWikipediaでも、違う肖像画になっており、上記のものは違う旨の事が書かれています。
武田信玄
私の年代では、この肖像画が武田信玄でしたが、最近はあまり見かけませんでした。
それもそのはずで、上記の肖像画は武田信玄でないと言われています。
作者は当時の有名画家・長谷川等伯で、彼は故郷から出た事がなく信玄と面会した記録もありません。また、家紋が武田家の花菱でない事から別人ではないのかと言われています。
上杉謙信との名勝負で有名ですが、政策面で見るべき点が乏しい事から武田信玄自体を教科書で採用しない事が多くなったようです。
江戸時代の鎖国制度の勘違い
江戸時代の鎖国政策は、世界的に引きこもりシャットアウトして独自の文化を生み続け、交易は長崎の出島でオランダのみと続けたイメージを持っていました。
しかし、実際には幕府が交易を管理し、それに賛同する国は貿易を続けており、オランダ・清国・朝鮮・琉球王国・アイヌ民族とは長崎・対馬・薩摩・松前の窓口(港)で交易をおこなっていました。
オランダに関しては、物品だけではなく様々な国の情勢を書面にして提出するように求め、幕府も世界の情報を積極的に仕入れていました。
私が持っていた従来の鎖国のイメージとチョット違うのは驚きました。
犬公方・徳川綱吉はバカ殿でなかった
生き物を殺したり、食べたりする事を禁止し、特に犬を大切にする法律・生類憐みの令を出し民衆から【犬公方】と呼ばれた徳川綱吉。
江戸の郊外に、野良犬を保護する施設を作りピーク時には8万頭に…
その費用は当然、民衆にしわ寄せが来て重くのしかかりました。さらに、動物を虐待すると厳しい処分がくだされる事で、この政策の評判は最悪でした。
それでも、綱吉はこの法令を辞めることはありませんでした。
その背景には、戦国時代の殺伐とした気風が抜けていなかった事で、人の命が軽んじられ傾向にあり、病人やけが人が簡単に見捨てられる事が多かったようです。この風潮に一石を投じたいと生類憐みの令を通して、民衆に【儒教や仏教の精神(思いやりの意識)】を植え込もうとしたと考えられています。
こうした事から近年では生類憐みの令に対する評価が変わりつつあります。
最後に徳川家康ネタとして、幼少期には人質として不遇だったと言われていましたが、新説では生活は優遇され、今川義元から英才教育を受けていたようです。
どうする家康でも、今川氏真と武芸に切磋琢磨した描写がありましたね。
また、15代将軍・徳川慶喜も幕府を滅ぼした暗君の一方で、新政府の道筋を作り日本の近代化に貢献した事が評価されています。
あなたの習った歴史は、どうでしたか?
このように、あげればきりがありませんが、歴史が日々研究され、新説に入れ替わっていくのが歴史であり面白い所でもあります。