パリから1時間25分 豊かなるブルターニュの街「レンヌ」を訪ねる
今日はコロナ禍があけて晴れて楽しみたい次のフランス旅のご参考のために、あるいは日本にいながらにして旅気分を味わっていただくための記事をお届けしたいと思います。
Rennes(レンヌ)という街のご紹介です。
レンヌはフランスの西北、パリからおよそ320キロに位置するブルターニュ地方の中心都市です。
【モンサンミッシェルへの玄関口】
サッカーに詳しい方ならレンヌという響きにはすでに馴染みがあるかもしれません。
あるいは、食通の方ならブルターニュという響きに海の幸を思い浮かべるでしょう。オマール海老や帆立貝をはじめ、ブルターニュには大西洋の恵みが豊富です。
また、モンサンミッシェルを連想するかたもいる方もいるでしょう。名所の多いフランスのなかでも、パリ以外でダントツの人気を誇るのがモンサンミッシェル。ブルターニュとノルンマンディーの境の海にあるこの名所に、2019年は150万人もの人が訪れたそうです。
パリからモンサンミッシェルへアクセスする最短コースはレンヌを経由する方法です。2017年夏に新しいTGVの路線整備が行われ、それまで2時間以上かかっていたパリ―レンヌ間が、1時間25分と大幅に短縮されました。レンヌからモンサンミッシェルへは車で1時間強。所要時間1時間10分ほどのバスも出ています(※現在はコロナ禍のために運休中)ので、およそ3時間半という旅程です。
パリから1時間25分といえば、通勤圏といってもいいくらいの距離。首都圏からレンヌに移り住む人も増え、このところ目に見えて豊かさを増しています。そもそもブルターニュ地方の中心としての歴史もたくさん詰まった場所で、見どころが多いことに加えて、フランス人でも羨む食材の宝庫。食を楽しむという意味でも、素通りしてしまってはじつにもったいない、街そのものを訪ねる価値のある場所なのです。
そこで今回は、地元観光局、現地在住の日本人ガイドさん、そして大人気の星付きシェフご夫妻という最強のプロたちにお世話になり、ロックダウン直前に訪ねたレンヌの魅力をご紹介します。
【直通TGVで楽々旅】
朝9時55分、パリ・モンパルナス駅を出発したTGVは、なんとどこにも停まらずに1時間28分でレンヌに到着しました。駅から街の中心部までは歩いて行かれる距離。メトロもバスも通っていますが、わたしは結局一度も公共交通機関を使いませんでした。健脚だからという理由ではありません。レンヌの街は歩いて回るのにちょうどいいサイズ感なのです。
地元観光局が勧めてくれたのはNemours(ヌムール)通りのホテル。駅から歩いて10分ほどですが、その間にも、公設市場やお菓子屋さんなど、早くも寄り道したくなるようなポイントがあります。
荷物を置くとすぐ、ホテルのほぼお向かいのところにあるレストラン CHEZ BRUME(シェ・ブリューム)へ直行。魚介が美味しいという評判の店で、コストパフォーマンスが良い上に、内装もサービスもちょっとお洒落な方のお宅にうかがったような心地よさです。
午後はレンヌ在住の日本人ガイド、濱口謙司さんの案内で旧市街巡り。
濱口さんはまず日本でフランス人相手の観光ガイドをされていたのですが、その仕事を通じて知り合ったフランス人女性と結婚してレンヌに住むことになったのだそうです。
例年ならば夏の間はほぼ毎日、日本からの旅行者をモンサンミッシェルにご案内するのだそうですが、ご想像どおりコロナ禍でそれがぱったりとなくなってしまったのだそうです。そのかわり、夏のヴァカンスを国内旅行で楽しんだフランス人相手のガイドを任されることが多くなったといいますから、フランス人以上に地元を熟知したプロ中のプロです。
情報満載の濱口さんのサイトはこちらです。
【木組みの家並みを歩く】
レンヌの風景として一番写真に撮られているのは木組みの家です。
フランスではアルザス地方なども木組みの家の風景が有名ですが、濱口さんによるとレンヌにはおよそ300軒が残っています。またこういった風景を「中世の町並み」と言われることが多いですが、17世紀に建てられた木組みの家もるので、厳密には「中世」というのは当たらないのだ、とも濱口さんに教えていただきました。
一口に木組みの家といっても、趣向を凝らした彫刻が施されていたり、配色がまるでコンテンポラリーアートと思えるようなものもあったりして、じつにバラエティーに富んでいます。そしてこちらの平衡感覚が狂ってしまったのかと疑うくらい、傾いている家も多く、道に覆いかぶさってくるようなのもあります。これ、じつは経年変化だけが理由ではなくて、雨よけのためにあえて上階を道側に張り出せた構造もあるのだとか。つまり昔のアーケード、というわけです。
※街の様子はこちらの動画からもご覧いただけます。
ただし、日照、通気がよくないという衛生上の理由と、火災での延焼を防ぐ意味もあって、木組みの家は時代をへるうちに凹凸のない建物になっていったのだとか。さらに1720年12月、数日間にわたる大火災で800軒以上の家が焼失して以降、建築様式が刷新。街を歩いていて、木組みの家のあるゾーンとそうでないゾーンがかなりきっくりと分かれているのは、そんな理由によるのだそうです。
ブルターニュ地方がフランスに併合されたのは1532年のこと。1541年からレンヌの大聖堂の建築が始まりました。花崗岩のグレーのファッサードは厳格な印象ですが、中に入ると別世界。見事な金色の世界が広がっています。18世紀から19世紀にかけて造られた新古典主義の様式で、ローマのサンピエトロ寺院を意識したもの。パイプオルガンは、ナポレオン3世からの贈り物だそうです。
ブルターニュの司法の中心としていまも機能している高等法院、市役所とオペラ座との対比、市民プールの正面を彩るモザイク、さらには、現代のスター建築家によるコンテンポラリーな作品が市の中心部にギュッと詰まっていて、建築史のパノラマを見ているようです。
しかもそれらがホコリをかぶったような印象でないのは、歴史建築が人々の暮らしのなかでいまも現役で機能しているから。レンヌの人口は21万人ほどだそうですが、5万人の学生が暮らしているという若い街ということもあり、躍動感を感じさせてくれるのです。
さらに言うと、フランス屈指の富豪でアートに造詣の深いフランソワ・ピノー氏がこの地方の出身。郷土愛あふれるフランス人のなかでもとくにブルトン(ブルターニュ人)は格別ですから、地元サッカーチームのオーナーであることに加えて、古都と現代建築の融合という点でも、彼の果たしている役割は小さくないようです。
※次回は、美食の宝庫レンヌの魅力をお届けします。