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熱戦を台無しにした無情の雨!  大阪桐蔭 コールドで初戦突破

森本栄浩毎日放送アナウンサー
雨中戦となった屈指の好カードは、大阪桐蔭が8回途中、コールド勝ちした(筆者撮影)

 それにしてもこれだけの長雨は記憶にない。すでに4日の順延があって、雨の中でのプレーボールに同情はするが、とても試合をできるような状況ではなかった。大阪桐蔭東海大菅生(西東京)という屈指の好カードが、雨によって水を差されたことだけは確かだ。

序盤は大阪桐蔭の本塁打攻勢

 試合は、大阪桐蔭が初回の4番・花田旭(3年)の2ランを皮切りに、3回には2番・藤原夏暉(3年)、5番・前田健伸(3年)が本塁打を放って、菅生先発の櫻井海理(あお=3年)から4点を奪う。雨が強くなりだした5回には、菅生のエース・本田峻也(3年)から、3番・池田陵真(3年=主将)の左越え適時二塁打で突き放し、一方的な展開になるかと思われた。しかし菅生もさすがはセンバツ8強。底力を発揮する。

菅生懸命の追い上げも、松浦踏ん張る

 グラウンド全体が田んぼのようになった7回表、それまで失策絡みの1失点で踏ん張ってきた大阪桐蔭のエース・松浦慶斗(3年)も、さらに勢いを増した雨で全く制球ができない。2四球に3本の二塁打で5-4と1点差まで迫られる。一打逆転の場面で、4番・小池祐吏(2年)を迎えるが、ここは松浦が、粘る小池を三振に抑え、辛くもリードを保った。

誰の目にも続行は不可能

 その裏、大阪桐蔭も2死から好機を迎え、代打の田近介人(3年)の2点二塁打で7-4と押し戻す。さすがは東西の優勝候補同士の一戦だ。そして8回表、菅生が1死からの2連打で大阪桐蔭2番手の竹中勇登(3年)を攻めたところで、審判団が選手たちを引き上げさせた。誰の目にも続行不可能と思われる状態での中断で、大阪桐蔭のコールド勝ちは決まったも同然。果たして、32分後、両校主将がネット裏に呼ばれ、球審から説明を受けて、8回途中7-4でコールドゲームが成立した。もちろん、試合後の挨拶や大阪桐蔭の校歌演奏もなかった。

遊ゴロが水しぶきの中、転がらず

 中盤から、1球ごとにボールを交換したり、スイングしたバットが滑って飛んだりしたため、もはや野球をするような環境ではなかった。何とか9回までという審判団の親心のような配慮もあったが、最後のプレーとなった菅生の本田の遊ゴロは水しぶきをあげて全く転がらず、内野安打になってしまった。これは野球ではない。菅生が好機を迎えていただけに、7回に大阪桐蔭が3点差をつけた段階でストップした方がよかったように思う。

結局さらに順延が決定

 これはあくまで現場で感じた客観的意見であり、結果論である。懸命に選手たちを励まし続けた審判団には敬服する。むしろ、正確な大雨予報が出ていたにもかかわらず、試合開催を強行した方が問題であって、せっかくのビッグカードが台無しになってしまった。ただ、すでに4日の順延があってこれ以上、順延させたくないという主催者側の苦悩も理解できる。結局5日目の3試合を積み残したので、日程が繰り延べになることが確定した。決勝は28日になったようであるが、明日以降も雨予報は続いている。

次は菅生に微笑んでくれるはず

 試合後、大阪桐蔭の西谷浩一監督(51)は、相手校の櫻井と本田に対しても「ナイスピッチングだった」とエールを送った。1回戦で当たるのも何かの縁。雨中でのコールド決着もそうそうあるものではない。涙をのんだ菅生には、次の機会に期待したい。そのときは、甲子園が必ず微笑んでくれるはずだから。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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