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藤原伊周の寿命を縮めたとされる飲水病とは?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(写真:イメージマート)

 前回の大河ドラマ「光る君へ」では、終盤で息も絶え絶えの藤原伊周が登場していた。実は、この頃の伊周は飲水病に罹っていたという。飲水病とはどういう病気で、ほかに罹った人がいたのか考えてみたい。

 今回、三浦翔平さんが演じる伊周は、なかなかの迫力があった。伊周は息も絶え絶えで今にも死にそうだったが、それにはもちろん理由があった。この頃、伊周は飲水病に罹っていたといわれている。したがって、ドラマの中で死にそうだったのは強ち脚色でもなさそうだ。

 飲水病とは、糖尿病のことである。糖尿病になると、水を飲んでも飲んでも喉が渇くので、そのように称されたのだろう。伊周も水ばかり飲んでいたので、すっかり体がやせ細っていたという。伊周は、かなり重篤だった可能性が高い。

 実は、藤原家は糖尿の家系だったようである。伊周の父の道隆は、長徳元年(995)4月に亡くなったが、死因は飲水病だった。道隆は大変な酒好きで、飲み仲間がたくさんいたという。ときに飲み過ぎて、烏帽子を外すマナー違反を犯すことがあった。

 伊周のおじの道長も、晩年は飲水病で苦しんだという。道長は万寿4年(1027)12月に病没したが、死の間際は腫物と下痢に苦しめられ、糖尿病を原因とする感染症に罹ったのではないかとの指摘がある。

 ちなみに、鎌倉幕府を開いた初代将軍の源頼朝も、飲水病に罹っていた。その死に関しては謎が多いが、飲水病も死因の一つだったのではないかと推測される。

 ともあれ、長徳の変における失脚以降、伊周は政治の表舞台に再び出るため、心労が絶えなかった。そうしたことも、伊周の寿命を縮めた一因としてあったのではないかと思われる。

 伊周は道長、彰子(道長の娘で一条天皇の中宮)、敦成親王(のちの後一条天皇)らへの呪詛の嫌疑を掛けられたが、最終的には許された。とはいえ、その身はすでに飲水病でボロボロだったのだろう。

 寛弘7年(1010)1月28日、伊周は無念の思いを抱きつつ病没した。享年37。伊周の死の場面は、次回に放映される予定である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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