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4億円あったらどこに寄付すべきか

児玉聡京都大学大学院文学研究科准教授
4億円あったらどこに寄付すべきだろうか(写真:アフロ)

4億円を寄付した男の“危機感”」という記事を先日読んだ。ポケットマネーで4億円を寄付した篤志家の話だ。寄付先は官民協働で子供の貧困対策に取り組む子供の未来応援基金だったという。

日本の将来を憂えるこの篤志家は、自分の寄付行動が呼び水となって他の人も寄付することを願い、4億円もの大金を寄付したという。称賛すべき立派な行動である。生活に余裕のある人はぜひこの方をみならって寄付を考えてほしい。

しかし、この基金に4億円を寄付することは本当に正しい選択だったのだろうか。あなたがもし4億円をどこかに寄付できるとすれば、どこに寄付するだろうか?

4億円の寄付で貧しい子どもたちは救われるだろうか?

先の記事には、子供の未来応援基金が始まって半年間で集まったお金は2億円であり、目標は2億5000万円という話が出てくる。子供の未来応援基金のウェブサイトには寄付総額の情報が出ていないが、6月末のニュースでは実際に約2億円しか集まっていなかったようだ。この基金に対する寄付の集まりの悪さは以前から野党が批判していたが、今回の4億円を追加しても依然として非常に少額と言えるだろう。

少し計算をしてみよう。日本の子どもは6人に1人が貧困層にあると考えられている。総数にするとざっと300万人だ。(総務省統計局の人口推計を元に計算。)

すると、この基金から貧困層の子ども一人に当てられる対策費は100円以下である。この篤志家が新たに寄付した4億円を加えたとしても、対策費は一人当たり200円程度ということになる。

この基金は貧困に苦しむ子どもやその家庭に直接給付される性質のものではないものの、一人当たりの対策費がこの程度では、非常に少額と言わざるをえないだろう。

日本人は本当に寄付しないのか?

子どもの貧困は重要な問題であり、社会的関心も高い。それなのに、どうしてもっと寄付が集まらないのだろうか。そもそも日本人があまり寄付しないのが問題なのだろうか? 上記の記事では次のような話が出てくる。

アメリカに行ったとき、テキサスである家族に会いました。

親子で3Dプリンターを作る小さい会社をやっている。子どもの教材やおもちゃに使いたいと言っていました。

3Dプリンターなんて、もう世界中で普及してしまっている。それでもその家族には1億円の資金が集まったというんですね。

アメリカにはそういう文化があります。

日本にはそういう文化がありません。それを変えていく必要があると思います。

出典:4億円を寄付した男の“危機感”

たしかに日本には米国のような寄付文化はないかもしれない。しかし、この家族のような話が日本にもないわけではない。

たとえば先週、「難病2歳 募金目標3億2000万円を達成」という記事があった。心臓病の子どもを救うために、渡米して心臓移植をするのに必要な寄付額3億2000万円が集まったという話だ。募金を始めて4か月半で目標金額に達したという。このような募金活動は各地で行なわれており、2億から3億の募金が集まることも珍しくない。

このように一人の子どもを助けるために4か月半で3億円以上の寄付が集まった一方で、何百万人の将来に影響を与えうる子供の未来応援基金には半年間で2億円しか集まらなかったのはなぜだろうか。

これにはいくつかの要因があるだろう。一つには、お金を集める熱意に違いがあったのかもしれない。我が子を助けるために親はそれこそ死ぬ気で募金活動をしたことだろう。もしかすると、それと同じだけの努力を、子供の未来応援基金はしてこなかったのかもしれない。

もう一つ、二つの募金活動を分ける大きな違いがある。それは、認知心理学で指摘されている「特定可能な犠牲者効果」に関連している。

特定の人命と統計的な人命

「特定可能な犠牲者効果」とは、簡単に言えば、顔が見える具体的な犠牲者には世間の同情が集まるが、そうでない犠牲者、つまり「統計的な犠牲者」にはそうした同情が集まりにくいということだ。

象徴的な例がある。昨年のシリア難民の事例だ。シリアからのEUやトルコへの数百万人規模の難民の流入が問題となっていた昨秋、3歳の男児が浜辺で死んでいる写真が各国のメディアで取り上げられた。すると、EUの世論は一変し、難民を受け入れる方向に大きく舵を切った。人々は一人の男児の死によって、それまで抽象的にしか理解していなかった難民の苦境を知り、強く心を動かされたのだ。

かつてマザー・テレサは、「群集を目にしても、わたしは決して助けようとしません。それが一人であれば、わたしは助けようとします」と述べたという。米国の心理学者のポール・スロヴィックは、マザー・テレサのこの言葉を引用して、人々が統計的な人命には心を動かされにくいという現象を「心理的麻痺」と呼んだ。(詳しくは拙著『功利主義入門』第7章を参照)

すると、子供の未来応援基金には寄付額がそれほど集まらないのは、日本人が寄付をしないからではなく、「6人に1人の子どもが貧困」といった統計的な苦しみに対して「心理的麻痺」が働いているからかもしれない。

実際のところ、日本人は一人の子供を助けるためには3億円以上の寄付をすることもある。また、2011年の東日本大震災後には、日本赤十字社に対して約3380億円の義援金が集まった。こうしたことを考えれば、日本人が寄付しないことが問題というよりは、子供の未来応援基金に問題があるのではないかと思えてくる。

寄付額を増やすための二つの方法

最後に、寄付額を増やすための二つの提案をしたい。一つ目は、子供の未来応援基金のような「統計的な子ども」を助ける募金の場合でも、広報等ではなるべく「顔の見える」形にするということだ。

たとえば、セーブ・ザ・チルドレンプラン・インターナショナルなどのサイトを見てほしい。これらのサイトでは、随所に特定の子どもの顔や物語がちりばめられている。我々は統計的な数字に共感するよりも、個人的な物語に共感する傾向があることを考えれば、このようにするのが理にかなっていると言える。

そこで、子供の未来応援基金でも、「6人に1人の子どもが貧困」というような統計的な数字ではなく、個々の子どもたちの顔や物語を取り上げることで、より効果的な募金活動ができるかもしれない。

昨今の個人情報の壁を考えると、ややもすれば統計的な数字だけで済ませてしまいたくなるかもしれないが、それでは人々の心を動かせないということを考慮に入れておくべきだろう。

効果的な寄付先を選べる仕組みが必要

もう一つは、寄付先の費用対効果の問題に真剣に取り組むということだ。寄付したら本当に有効に活用されるのだろうか、というのはもっともな疑問であり、寄付先である慈善団体はそれを説明する責任がある。また、ある慈善団体が別の慈善団体よりも有効に寄付金を使用しているかどうかを知るには、第三者による評価が有用である。

英米では現在、「効果的な利他主義運動(Effective Altruism)」が流行している。寄付などの慈善行為をするなら効果的にやろうという運動だ。その中心的な考え方の一つがこの費用対効果の考慮である。

この運動の主導者の一人であるプリンストン大学の哲学者ピーター・シンガーの『あなたが救える命』という本の中には、米国の投資会社で働いていた人々が、「チャリティ・ナビゲーター」という効果的な寄付先を見つけるためのサイトを作ったという話が出てくる。このサイトを見れば、慈善活動の種類別に慈善団体のランキングが示されており、情報公開の度合いや、寄付金が運営費に使われている割合などを調べることができる。

考えてみると、私たちは家電やパソコン等の買い物をするさいには、アマゾンや価格コムなどにある評価を見る。また、外食のさいには食べログやミシュランガイドなどの評価を参考にする人もいるだろう。寄付先を選ぶさいにも、そのような評価がわかるサイトなどがあれば、もっと寄付がしやすくなるのではないだろうか。

そこで、日本でもこのような慈善団体を評価するサイトを作れば、費用対効果に敏感な人々ももっと寄付するようになるかもしれない。

もし4億円を寄付に使えるなら、その全額あるいは一部を、このような評価サイトを作成して運営する費用に当ててみてはどうだろうか。寄付を増やすためには、遠回りに見えてもそれが実は一番の近道なのかもしれない。(了)

京都大学大学院文学研究科准教授

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学教室で専任講師を務めた後、2012年から現職。専門は倫理学、政治哲学。功利主義を軸にして英米の近現代倫理思想を研究する。また、臓器移植や終末期医療等の生命・医療倫理の今日的問題をめぐる哲学的探究を続ける。著書に『功利と直観--英米倫理思想史入門』(勁草書房)、『功利主義入門』(ちくま新書)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)など。

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