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安楽死という選択

児玉聡京都大学大学院文学研究科准教授
日本で安楽死は選択肢となりうるか(写真:アフロ)

昨日のクローズアップ現代+で安楽死が取り上げられた。近年の日本では安楽死が公の議論になることが少なかったので、大いに歓迎したい。

以下では、安楽死についての若干の説明と、今回の番組を筆者が歓迎する理由を述べたい。

安楽死に関する言葉の整理

安楽死の意味について誤解のないように、最初に言葉の整理をしておこう。大事な点は、安楽死と治療中止をはっきり区別することである。

まず、安楽死(積極的安楽死)は、一般に医師などの医療従事者が患者に致死薬を投与することだ。今日いくつかの国で合法化されているのは自発的な安楽死であり、昨年7月に相模原市で起きた障害者殺傷事件で問題になったような、本人の明確な同意のない安楽死は倫理的にも法的にも認められない。

次に、医師による幇助自殺では、安楽死と同様、医師などの医療従事者が致死薬を処方する。だが、服用するのはあくまで患者自身という形を取る。安楽死と比べて、医師の関与の度合いが少なく、また患者の自発的意思も明確なため、米国のいくつかの州を始め、安楽死ではなく医師による幇助自殺だけを合法化しているところもある。

とはいえ、医師による幇助自殺は安楽死の一種だという考えもある。そこで、たとえば英米では「自殺」という言葉を避けるために、医師幇助による自死(Physician Assisted-Dying, Physician Assisted Death)といった表現も使われているが、こうした表現が医師による幇助自殺だけでなく安楽死も含む場合もある。

最後に、人工呼吸器や人工透析といった生命維持治療を中止する行為があるが、これは上記の安楽死や医師による自殺幇助とは明確に区別する必要がある。こうした治療中止は、「消極的安楽死」や「尊厳死」と呼ばれることもあるが、誤解を招きやすいので、治療中止という言葉を使った方が無難である。

とりわけ尊厳死という言葉は、日本を含めたアジア圏では主に生命維持治療の中止のことを指し、欧米では安楽死や医師幇助自殺のことを指すため、注意が必要である。

用語の整理について、さらに詳しくは朝日新聞アピタルの記事を参照することを勧める。

安楽死や医師自殺幇助が受けられる国・地域

今日、安楽死を合法的に受けられる国は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグのいわゆるベネルクス3国、およびカナダなどである。

一方、医師による自殺幇助を受けられるのは、オレゴン州やカリフォルニア州など、米国のいくつかの州である。また、上記のベネルクス3国とカナダでは、安楽死だけでなく、医師自殺幇助も受けられる。

昨日の番組でも取り上げられていたスイスは、必ずしも医師によることを要件にしていないが、大きく分けると医師による幇助自殺を認めている国ということになる。したがって、厳密には「スイスでは安楽死が認められている」と述べることは正確ではない。また、スイスは外国人の自殺幇助も実質的に認められている点で、世界で唯一の国と言える。

日本の安楽死の議論

日本では1990年代に東海大学病院安楽死事件があった。これは末期がん患者に医師が致死薬を投与し、殺人罪に問われた事件である。1995年に出された横浜地裁判決では、安楽死が合法的に実施されるための四要件が示された。

だが、本件では医師は有罪となっており、また下級審判決であるため先例としての重要度は必ずしも高くない。さらに、四要件を満たした事案はこれまで存在しないこともあり、この横浜地裁判決をもって日本は安楽死を合法化している国であるということはできないだろう。

興味深いことに、欧米とは対照的に、日本では2000年代に入ってから安楽死に関する議論が下火になった。これは、日本では2006年の富山県射水市民病院事件を代表に、生命維持治療の中止の是非に議論がシフトしたことが大きい。つまり、末期患者から人工呼吸器を外したり、胃ろうや透析器を外したりすることが許されるかという議論である。

2009年には川崎協同病院安楽死事件の最高裁判決もあった。これは、低酸素脳症から意識障害になった患者に関して、医師が意識回復の見込みがないと判断し、気管内チューブを抜いたあと、致死薬である筋弛緩剤を投与して死に至らしめた事件である(医師は殺人罪で有罪)。だが、この際も、メディアでは安楽死の是非を問う議論にはならず、もっぱら治療中止の側面、つまり気管内チューブを抜くことの是非が議論の対象となったのだった。

このように、ここ10数年の間、安楽死は海外の動向として紹介されることはあっても、国内ではほとんど議論がなされてこなかったと言ってよい。

筆者がとりわけ象徴的だと考えるのは、1993年から5年ごとに実施してきた厚労省による終末期に関する意識調査でも前回の2013年度の調査では、それまであった積極的安楽死の是非に関する問いがなくなっていたことである。次回調査はまもなく開始されるが、少なくとも安楽死に関する市民や医療従事者の意識を知るための参考として、安楽死の是非を調査項目に入れておくべきだと筆者は考えるが、どうだろうか。

安楽死議論の活性化を

現在、日本を含め、アジア諸国で安楽死について法制化している国はないが、だからといって議論が必要でないとは言えない。それは今回の番組からも見てとれることである。賛成であれ反対であれ、少なくとも一部の市民は安楽死について真剣に考えているのだ。

また、実際のところ、日本からスイスに渡航して自殺幇助を受けて死んだ人もすでにいるとされる(この件については下記のニュース記事を参照)。お金を払ってスイスに渡航できる人だけが自殺幇助を受けられるという事態が好ましいことなのかどうか、議論する必要があるだろう。

さらに、今回の番組でも問題になっていたように、安楽死や自殺幇助を望まない人をどうやって守るかという視点も重要である。こうした人々の意見も集約するような議論の場が必要である。

とはいえ、各人の死生観は多様であるため、安楽死を望まない一部の人を守るために安楽死を全面的に禁止する必要があるかどうか、よく考える必要がある。仮に安楽死や医師による自殺幇助を合法化する場合は、他国の制度や調査研究を十分に参考にする必要があるだろう。たとえばオレゴン州は、日本で臓器移植法が施行されたのと同じ1997年に医師による自殺幇助を合法化したが、今年で20年目を迎え、これまでの状況を詳細に検討している。

上で述べたように、日本では10年以上にわたり、安楽死の議論が低調であった。だが高齢化がますます進展している今日、選択肢としての安楽死を求める声は徐々に強まっていくことが予想される。法制化をするにせよしないにせよ、その是非について議論を避け続けることはできない。折しも衆院選が始まる時期である。課税の問題や安全保障の問題も重要だが、安楽死や治療中止を含めた終末期の議論も今後の政治的争点になることを望んでいる。(了)

京都大学大学院文学研究科准教授

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学教室で専任講師を務めた後、2012年から現職。専門は倫理学、政治哲学。功利主義を軸にして英米の近現代倫理思想を研究する。また、臓器移植や終末期医療等の生命・医療倫理の今日的問題をめぐる哲学的探究を続ける。著書に『功利と直観--英米倫理思想史入門』(勁草書房)、『功利主義入門』(ちくま新書)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)など。

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