京都市の「事前指示書」は何が問題なのか
京都市が今年4月から配布を始めた「事前指示書」が問題になっている。だが、この問題を取り上げた新聞記事で指摘されている問題には、いくつか誤解も見られる。終末期医療に関する取り組みは京都市だけでなく各地に広がりつつあるため、こうした誤解が流布して終末期の取り組みが停滞するのは望ましいことではない。そこで以下では、簡単な「ファクトチェック」を行う。
事件のあらまし
京都新聞の報道によると、事件のあらましはこうである。京都市は今年4月から、終末期医療に備えて自分の希望を事前に書いておく「事前指示書」を各区役所などで配布を始めた。事前指示書および一緒に配布されているリーフレットはオンラインでも入手できる。
リーフレットには、葬儀や財産に関する遺言と終末期医療に関する事前指示書の説明がある。また事前指示書には、痛みのコントロールや死を迎える場所などの全般的な希望と、終末期において心肺蘇生や人工呼吸器や胃ろうによる栄養補給を希望するかといった具体的な医療措置に関する希望を記す欄が用意されている。これは、国立長寿医療研究センターの「私の医療に対する希望(終末期になったとき)」を参考に作られている。
京都市の作成したこの事前指示書とリーフレットに対して、識者や障害者団体から撤回や回収を求める声が上がっている。この記事で指摘されている主なポイントは以下である。
- 事前指示書とリビングウィルは違う
- 病状と介護支援の説明もない事前指示書はありえない
- 日本医師会は事前指示書に対して慎重な姿勢である
- 京都市のパンフレットは厚労省のガイドラインと矛盾している
今回の件に関しては、京都市は十分な合意形成の努力を怠ったのではないかと思われる節がある。しかし、上記のポイントについては、全て誤解が含まれているため、簡単に誤りを指摘しておきたい。
京都市の事前指示書に関するファクトチェック
1. 事前指示書とリビングウィルは違う
教科書的には、リビングウィルは事前指示書(advance directives)の一種である。事前指示書には二種類ある。リビングウィルは昏睡状態になったときなどに備えて治療の継続や中止などを記した文書であり、京都市の事前指示書もこれに当たる。英米ではこの他に、もしものときのために代理の意思決定者を決めておく永続的委任状がある。なお、英米と違い、現在の日本では事前指示書に法的な効力はない。
参考までに、米国病院協会が作成しているパンフレットから訳しておこう。
日本では、尊厳死協会のリビングウィルが有名だが、これは延命措置の中止を医師に要請するもので、今回の京都市のものとは大きく内容が異なっている。京都市のもの(実質的には国立長寿医療研究センターが作ったもの)は、治療の中止だけでなく、開始や継続も希望できるものである。新聞記事を読むと、この点が十分に理解されていなかったために、京都市が治療中止を勧めているという誤解のもとに批判がなされているようにも思える。
2. 病状と介護支援の説明もない事前指示書はありえない
これも教科書的には間違っている。事前指示書は、もしものときに備えて健康なうちに書くものである。とはいえ、京都市の事前指示書は、「作成するときは、医師やご家族、親しい人と相談のうえで行う」ことを勧めており、医師らによる説明を排除するものではない。
なお、もしものときに備えて医師や看護師などの医療従事者などと相談しながら治療方針を決めるプロセスは、今日アドバンス・ケア・プラニング(ACP、事前医療計画)と呼ばれている。ACPも重要な取り組みであり、事前指示書はACPの一部としても作成できるが、そうでない場合もありうるため、両者を区別する必要がある。
3. 日本医師会は事前指示書に対して慎重な姿勢である
新聞記事では、日本医師会が尊厳死法の法制化に慎重姿勢を示していると述べることで、明示的には述べられていないものの、日本医師会が事前指示書に対しても慎重であるかのように書かれている。しかし、これも間違っている。
日本医師会の横倉義武会長は、本年3月26日の読売新聞に掲載された「超高齢時代のリビングウィル」と題された意見広告の中で、患者が本人の望む最期を迎えられるように、「できるだけ多くの国民の皆様に、リビングウィル、事前指示書を持ってもらえるよう、活動を進めていきたいと思っています」と日本医師会の立場を述べている。
たしかに日本医師会は尊厳死法には慎重な姿勢を示しているが、だからといって事前指示書の普及に反対しているわけではなく、むしろ積極的に推進している。両者は区別される必要がある。京都市は日本医師会の姿勢に反したことをしているわけではない。
4. 京都市のパンフレットは厚労省のガイドラインと矛盾している
これは識者の意見として引用されており、本当であれば京都市の事前指示書はかなり問題があることになる。しかし、この意見も間違いである。
京都市のリーフレットには「事前指示書に法的拘束力はありませんが、厚生労働省等のガイドライン等に従い、医療関係者によって尊重してもらうことができます。」と明確に述べられているが、この理解が正しい。
その理由は、厚労省のガイドラインをよく読めばわかる。(なお、このガイドラインは2007年に発出されたときは「厚労省の終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」という名称であったが、現在は「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に名称が変更されている。)そこでは、終末期医療において患者の意思の確認ができない場合、「家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする」とあり、この状況において事前指示書が患者意思の推定に大きな役割を果たすと考えられるからである。
たしかに厚労省のガイドラインは終末期医療の方針の決定について、患者と医療従事者の話し合いを基本としている。だが、それはこのような事前指示書を排除するものではない。むしろこうした事前指示書は、患者本人に意識がないなどして家族が決めなければならないときに大いに役立つ可能性がある。
事前指示書は「弱者の切り捨て」か
ファクトチェックは以上である。最後に、「事前指示書の押し付けは弱者の切り捨てである」という記事中の論点について触れておきたい。
まず、事前指示書は行政によって「押し付け」られたものではない。区役所などで配布されていることをもって、行政が尊厳死や安楽死を推進していると主張するのは飛躍である。
繰り返し書いておくが、京都市の事前指示書は、治療の中止だけではなく、治療の開始や継続を希望することもできるようになっている。行政が治療の中止を勧めているというのは悪意のある見方であり、自分で死や死後のことについて決めたい人の意思決定を支援しているというのが中立的な記述であろう。支援を必要としない市民はその書類を手にしない自由がある。
このように述べると、次のように反論されるかもしれない。「そのような見方はナイーブだ。そのような事前指示書を行政が用意することで、家族や社会に依存して生きている弱者は心理的圧力を受け、本当は書きたくないのに事前指示書に治療中止を希望する旨を書かされることになるのだ」。
このような事態は、たしかに望ましくない。しかし、このような事態を生み出さないために、事前指示書を作ることを禁止し、終末期における過剰な医療を望まない人の意思の表明を禁止すべきだろうか? これも、悪い結果をもたらすだろう。本人の意思がわからなければ、家族が決めることになるが、家族も苦渋の決断を迫られるためである。一方、どのような治療を受けたいかを本人が事前に示しておけば、家族や医療従事者はそれに沿った終末期の決定ができるだろう。
弱者への配慮と弱者への遠慮は異なる。弱者の望まない治療中止が行われることのないよう、行政も市民も十分に気をつける必要がある。しかし、弱者に遠慮するあまりに、終末期における人々の希望の表明を認めないとか、それを尊重しないといった事態になってはいけない。結局のところ、終末期に意思が表明できなくなった患者も「弱者」であり、彼らの事前の意思が最大限に尊重される仕組みを作る必要がある。
その後、京都市長はこの事前指示書は撤回しないと述べた。筆者は、この判断は間違えていないと考えている。終末期医療の問題は京都市だけの問題ではない。今後も事実に基づいた活発な議論が行なわれることを求めたい。(了)