韓国「元慰安婦会見」めぐる議論、6つのポイント
元「従軍慰安婦」女性の告白会見から始まった、市民運動のあり方や寄付金の行方を問う議論は今や韓国の政界まで広がり不毛な論争に発展しつつある。その本質をどこに見るのか、6つのポイントでまとめた。
●優しさと冷静さが失われた議論
旧日本軍の従軍慰安婦だった被害者の女性、李容洙(イ・ヨンス、91)氏は今月7日に大邱市で会見を開き、30年間ともに活動してきた『正義記憶連帯(正式名称:日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯、以下[正義連])』の前代表である尹美香(ユン・ミヒャン)氏を名指しで批判した。
その内容は長年の鬱憤が爆発したかのような内容だった。被害者女性である自身が前面に出て人権運動を行ってきたものの金銭面などで苦しかったというものから、4月の総選挙で与党から議員当選した尹氏に対する「問題解決はどうなった」という批判、さらに毎週恒例の水曜集会など運動方式に対する問題提起、そして「顔も見たくない」という安倍首相への非難が含まれていた。
この会見の直後から、韓国では蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。あらゆるメディアが関連記事を量産した。特に「朝中東」と称される朝鮮日報・中央日報・東亜日報の保守紙(保守という言葉はふさわしくないが、便宜上ここではこう書く。保革対立の虚については別記事で触れる)は自前のテレビ局までも動員し、ウェブ・紙・テレビで反尹美香・反正義連の一大キャンペーンを展開した。
その後、11日には正義連が会見を開く一方、尹美香・李容洙の両当事者もメディアでそれぞれの主張を積極的に行った。特に今日14日の中央日報に李容洙氏の長文インタビューが公開されたことで、それぞれの立場が再度確認され、やっと論評が可能になった。
以下6項目に分けて今回の一連の出来事から導き出せる問題意識を論じていく。
結論から言うと前身の『韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)』時代からはじまり、被害者と運動団体(運動家)という特殊関係を30年維持する中で育まれてきた葛藤と、長年にわたり日韓でこの問題が解決されないもどかしさなどの現状を前に91歳の李容洙さんが行った問題提起は、真っ当で誰にも止める権利のないものであった。
そしてこれは、当事者たちと韓国社会が優しさと冷静さをもって議論すべき内容だった。だが、保守メディアをはじめ30年にわたる運動の意味を認めたくない人々の便乗・参戦により、過度の個人攻撃や陣営論にまで発展しているのが現実だ。韓国に永住帰国した筆者は韓国社会の一員として、こうした展開に対しひたすら恥ずかしさと怒りを覚えている。
今回の出来事を知るための記事を以下にリンクする。これらの記事を読んだ後に本記事を読むとより理解が深まるはずだ。
沈黙破ったイ・ヨンスさん「30年間の成果の無視・消耗的な論争はやめよう」(ハンギョレ)
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/36620.html
慰安婦被害者の李容洙さん「尹美香は良心もない、ありのままに話すべき」(1)
https://s.japanese.joins.com/JArticle/265908
慰安婦被害者の李容洙さん「尹美香は良心もない、ありのままに話すべき」(2)
https://s.japanese.joins.com/JArticle/265909
(1)寄付金に関する疑問
正義連や尹美香氏に対する攻撃の一つとして、会計の不明瞭さや寄付金の横領などを問う記事が多い。だが中には一方的に疑惑を提起する記事も少なからずある。これについての対応は、二通りに分かれるだろう。
まず、寄付金受領ルートの不明確さ、使用先の分類が細かく行われていないといった(国税庁による修正勧告がすでに出ている)正義連が寄付金を受け取る団体としての公的義務を果たすべき部分だ。正義連側もすでに謝罪と対応を明らかにしているように、指摘を受け監査を強化し、不正確な会計処理をただす対応を直ちに取ることが求められる。
一方、すでに右派市民団体が尹美香氏や李娜栄(イ・ナヨン)正義連現代表を詐欺・横領などで告発する動きが出ている。こうした対応が望ましいとは思わないが、横領などの内容は否応なく捜査の手に委ねられることになった。
また、フェイクニュースなど名誉毀損にあたる記事には、正義連側からも告訴など対応する必要があるだろう。当面は結果を見守る他にない。
(2)市民団体と被害者の関係性の難しさ
李容洙・尹美香の両氏は、互いに認めるように過去30年間「慰安婦」運動の先頭に立ち続けてきた特別な関係がある。しかし李容洙氏の告白からは、不満と感謝がない交ぜになった複雑な想いが読み取れる。
筆者は過去、元「慰安婦」女性の権利回復と日本政府への責任を問う運動を深く取材し続けてきた訳ではない。だが、似たような光景を何度も見てきた。それは脱北民(脱北者という言葉の代わりに韓国ではこの言葉が最近使われる)と韓国の北朝鮮人権運動団体との関係性だ。
90年代、00年代と韓国社会に疎い脱北民は韓国の人権運動家と共に北朝鮮の人権状況を変えるための運動を行ってきた。必要な資金を工面するためには脱北民が自身の経験を語るなど前面に出る必要がある。だが、そうして得られた資金や運動の成果は団体のものとなる。
そうして少しずつ認識にズレが出てくる。脱北民と韓国の人権運動家双方が「私がいないと運動が成り立たない」と思い衝突することになるのだ。今は結局、著名な脱北民はみな独立した団体で活動している。
もちろん、こうした例を一概に正義連をめぐる状況に当てはめることはできないだろう。ただ、このような葛藤は一般的なものであるという理解が必要だ。この認識が冷静な議論を可能にする。
(3)韓国保守メディアの狂騒
さらに冷静な議論を不可能にしているのが、先に挙げたような保守メディアだ。韓国の主要ポータルサイト『NAVER』で5月7日から14日まで「尹美香」というキーワードでニュースを検索すると1953件がヒットする(14日、午後1時検索)。
毎日約300件の記事が出ていることになる。うち、保守紙の『朝鮮日報』67件、『中央日報』79件、『東亜日報』23件となっている。前者2社は毎日平均約10件の記事を出していることになる。これは明らかに多い。記事も「正義も記憶も連帯もなかった」(13日)といった強い見出しが散見される。
実際に11日、正義連が開いた釈明会見で朝鮮日報の記者と正義連側が衝突する出来事もあった。「尹美香氏の娘の米国留学費がどこから出ているのか」という「疑惑」を追及しようと「尹氏の月給を明かしてほしい」とした記者の質問に正義連側が答えず、怒気を含んだ口調で質問を遮った。
当時その場にいた筆者は、こじれた両者の関係をまざまざと再確認した思いだった。
この質問は不可能なものではない。韓国では以前、朴元淳(パク・ウォンスン)現ソウル市長が代表を務めていた『美しい財団』が透明性を掲げ全職員の給与を毎月公開していた実例があるなど、市民団体に高い道徳性を求める文化がある。
だが朝鮮日報への反発の裏には、その「意図」に対する不信があったのだろう。正当な批判ではなくあらかじめ「寄付金を流用して留学費に充てた」というシナリオを描き、運動を毀損する意図を見て取ったものだ。
男性中心の既存メディアが、今なお重大な「戦時性暴力」を追及する正義連の運動を「日韓関係の妨げとなる」と下に見てきたミソジニー(女性蔑視)的な視点と、それに対する当然の反発も透けて見える。
さらに今回の保守紙を中心とするメディアの取り上げ方には、尹美香氏を攻撃することで、与党・共に民主党(ミニ政党である共に市民党から比例当選したが13日に両党は合併した)や文政権を攻撃する意図もある。
冒頭で述べたように、尹美香氏と正義連に対する正当な問題提起は常にあり得るものだ。だが一線を越えて、社会の葛藤を助長し憎しみを拡大再生産するような保守メディアの論調には意図があると読み取る他にない。
なお、『YTN』などのニュース専門メディアは「疑惑と運動の成果を別々に論じるべき」といった比較的冷静な論調を維持している点を指摘しておきたい。
(4)「親日・反日」フレームの間違い
この保守メディアと運動側の葛藤の裏には、親日・反日という使い古された「フレーム(枠)」が存在する。韓国政治を理解するキーワードであるこの「フレーム」という言葉は、ある政治的な出来事をどんな議論の枠に当てはめるのかという際に使われる。
与党の一部や熱心な文大統領支持者たちは「正義連批判=日本擁護=親日」というフレームを正義連を攻撃する第一野党・未来統合党や保守メディアに当てはめ、それらを「親日派」と批判する。
一方の未来統合党や保守派市民は「正義連擁護=反日=親北」というフレームで与党側にレッテル貼りを行っている。正義連を擁護するのは「アカ」であるといった飛躍まである。
だがこれはいずれも間違っている。本稿で何度も繰り返してきたように、今回の李容洙氏の告白は本来、30年にわたって行われてきた元「慰安婦」の人権・名誉を回復し日本政府の責任を問う運動をより発展させるきっかけになるべきだった。
これを昨年から激化する日韓葛藤のフレームに当てはめ、本質から外れたところで互いに支持層の結集を図るかのような構図は、社会問題を解決できずに溝をさらに深めていく韓国政治の水準を物語っており、批判されてしかるべきだろう。
特に4月の総選挙での大敗を喫した保守陣営が、劣勢を巻き返す格好の「ネタ」として今回の李容洙氏の真摯な告白を利用している側面は指摘しておきたい。
また、こうした「反日・親日」といったフレームで書かれた保守メディアの記事はそのまま訳され、ヤフーニュースなどで流され、両国世論の葛藤を無駄に助長することになる。
他方、昨年から断絶が目立つ日韓関係をどうにか好転させたい人々の存在にも触れておきたい。
在日コリアン出身の筆者の下にも「今回の出来事は日韓関係にどう影響を及ぼすのか。正義連が弱まることは結果としてプラスになるのではないか」という声が日韓からいくつか届いている。
永遠に解決しないような日韓の歴史認識問題を前に、もどかしい気持ちがあるのだろう。だが正義連が日韓関係を邪魔している訳ではないという認識を持つべきだ。踏みにじられた被害者女性の権利と名誉は正当に回復される必要がある。
新型コロナウイルス拡散の中、経済面でも日韓の結びつきは欠かせないという視点もある。日韓政府にはもう一度、テーブルにつく勇気を求めたい。
(5)正義連も一つの契機に
正義連にとっても一連の出来事を重要な契機とする動きがある。11日午後、筆者は正義連の事務所を訪れ、李娜栄代表にインタビューを行った。
李代表はこの日の記者会見で謝罪したことに言及しながら「その間の活動を振り返る大きな機会となった。地域団体との交流を深める部分を含め改善すべき点がある」と現状について率直に明かした。
また、今回の事件の本質について李代表は「本来は被害者と運動の分裂としてだけ扱うのではなく、責任を果たさない日本政府や目先の火消しに忙しく長期的なプランを持たない韓国政府への問題提起も共に扱われるべき問題」と指摘した。
実は今年、節目の30周年を迎え正義連も今後の活動を考えていく計画があったという。
「11月に運動にその間かかわってきた関係者をみな集め、その間の苦労をねぎらい31年目を始める集会を行うつもりだった。これまで歩んだ30年を整理する年とするはずだった」(李代表)。
さらに「本来は4月に沖縄で展示会を計画し、韓国でも戦時性暴力に関する国際会議を開くなどの予定があった」(同)が新型コロナ感染拡大で流れたという。
日韓関係における象徴性が高まることで、正義連側にかかるプレッシャーも並大抵のものではない。今回の出来事で「寄付を止めるという抗議電話も少なくない」(同)という。
(6)「理解」できる関係を内外に
30年間、過去のトラウマと闘いながら時には被害者として、時には運動家として責任追及運動を続けてきた李容洙氏が抱える苦しみはどれ程のものか。今回の出来事はまず、この部分への暖かい理解から始まるべきだった。
韓国語で「パンチャン討論」という言葉がある。議論に「パンデ(反対)」と「チャンソン(賛成)」のどちらかしか存在しない点を皮肉るものだ。何度も述べたように、いま必要なのは「理解」である。
筆者は冒頭で一連の出来事を見ながら「恥ずかしさと怒りを覚えている」と述べた。恥ずかしさは寛容さと想像力を失い、政争に乗り出す韓国社会の姿が日本にどう映るのかという部分に対するものであり、怒りは異常なまでの攻撃性を持つ韓国の保守メディアに向けられている。
長々と書いてきたが、この記事を読む日本の読者の皆さんもぜひ、韓国で起きている出来事についてその賛否を論じる前に、背景を理解する習慣を付けていただきたい。結局それが、日韓市民のつながりを強めることになる。