北朝鮮の「国連追放」は可能か:「政策リテラシー」が問われる北朝鮮危機
9月18日、米上院外交委員会のガードナー議員は、中国など20ヵ国に対して、北朝鮮との国交を断絶するとともに、これを国連から追放するために協力することを要求。水爆実験やICBM打ち上げを続ける北朝鮮に圧力を強める手段として、「北朝鮮の国連追放」の必要性を強調しました。
9月3日の水爆実験以降、スペイン、メキシコ、ペルー、クウェートの4ヵ国が北朝鮮大使を国外退去処分にするなど、同国への外交圧力は強まっています。「国連からの追放」は「一人前の国家としては扱わない」というメッセージであり、北朝鮮に行動を改めさせるための外交圧力としては、恐らく最も強いものと言えるでしょう。
ところで、「国連から加盟国を追放すること」は可能なのでしょうか。また、それを米国政府ではなく議会が提案したことには、どんな意味があるのでしょうか。
加盟国に対する国連の「権利停止」
国連加盟国が国連の義務に違反している場合、それを止めさせなければ、国連そのものの権威も失墜します。国連内部の秩序を回復すると同時に、問題行動をとる国に制裁を加える手段として、国連には「権利停止」と「除名」の制度が定められています。
このうち「権利停止」は、加盟国としての立場は否定されないものの、加盟国としての権利を制限されるもので、「部分的権利停止」と「一般的権利停止」の二種類があります。
まず「部分的権利停止」は、分担金の支払いが遅滞している国などに対して、国連総会での投票権を停止するもので、その決定は国連総会で行われます(国連憲章第19条)。この処分を受ける国はしばしばあり、2017年9月7日の国連総会は分担金支払いの遅滞を理由にギニアビサウやコモロなどアフリカ4ヵ国の総会での投票権を停止しています。
次に「一般的権利停止」は、加盟国の資格そのものを一時的に停止するもので、より厳しい措置です。国連憲章第5条では、「安全保障理事会の防止行動または強制行動の対象となった加盟国に対して、安保理の勧告に基づき、総会が加盟国としての権利および特権を停止できる」と定められています。
ただし、これに沿って加盟国としての権利が停止された事例は、ほとんどありません。例えば、かつて南アフリカは、その白人政権による人種差別的な体制への経済制裁と連動して、国連での代表権を否定されました(1974~1994)。しかし、これは関して国連は「有色人種の政治参加を認めない白人政権が南アフリカの正統な政府であるか疑問であるため」の措置と説明し、公式には「権利停止」の問題として扱われませんでした。
「安保理の勧告」がもつ重み
「部分的権利停止」と比べて「一般的権利停止」が滅多にないことは、後者がより厳しい措置であるがゆえに加盟国が慎重に判断するからだけでなく、前者との手続きの違いにも原因があります。
それぞれの手続きを比べると、「部分的権利停止」が国連総会の決議のみで実施されるのに対して、「一般的権利停止」は総会での決議に「安保理の勧告に基づき」という条件が付きます。つまり、より厳しい措置である「一般的権利停止」の場合、安保理で決議が通らなければ、総会だけでこれを決定することは困難なのです。
ところで、国連総会では全加盟国の多数決によって物事が決定されるのに対して、安保理では五大国が拒否権をもち、米英仏中ロのいずれか一国でも反対すれば、事が決しません。そのため、東西がほぼ無条件に対立していた冷戦時代、米ソによる拒否権の応酬により、安保理はほとんど何も決めることができませんでした。
これは安保理の勧告が必要な「一般的権利停止」の事例がほとんどないことの大きな背景になったといえます。南アフリカの場合、東西冷戦の主戦場でなく、さらに人種差別という国境を超えた問題が理由であったため、米ソの対決は他の場合より「まし」で、まだしも制裁の対象になり得ました。しかし、それでも白人政権と近い関係にあった米英仏が制裁に消極的だったことから、実質的には「一般的権利停止」であっても公式には「一般的権利停止ではない」という苦しい説明に行き着きました。
「除名」のハードルの高さ
それでは、北朝鮮に関して米国が提案している「除名」はどうでしょうか。
「権利停止」があくまで「加盟国としての立場そのものの維持」を前提とするのに対して、「除名」は文字通り「国連加盟国としての資格を剥奪する」、よりシンプルにいえば「国連から追い出す」ことを意味します。そのため、「除名」は「権利停止」より格段に厳しい措置といえます。
これに関して、国連憲章第6条では、「この憲章の掲げる原則に執拗に違反した加盟国を、安保理の勧告に基づき、総会は除名できる」と定められています。つまり、制度として「除名」の手続きはありますが、ここでも「一般的権利停止」と同様に「安保理の勧告」が求められており、これがハードルをあげることになります。実際、先述の南アフリカの場合、安保理では「除名」も審議されましたが、米英仏が拒否権を発動したことで実現に至りませんでした。
翻って現在の安保理をみると、そこには冷戦時代のものに近い対立をみてとれます。シリアやウクライナをめぐる西側と中ロの対立は、安保理が有効な対策を打ち出すことを妨げてきました。それは北朝鮮に関してもほぼ同様で、仮に米国が提案した「北朝鮮の除名」が安保理で審議されたとしても、現状では中ロが反対する公算が高いとみられます。
つまり、「北朝鮮の国連除名」は制度としては可能ですが、「五大国の一致」という政治的条件が揃う必要があるため、実際には不可能に近いといえるでしょう。
政策に対する有権者のリテラシー
米朝のチキンゲームがいかにヒートアップしているとはいえ、これまで北朝鮮に対する制裁にも消極的だった中ロが、書簡一本で態度を翻すことは考えられません。それだけでなく、状況で危機的であるなら、なおのこと中ロには北朝鮮との関係を繋ぐことにインセンティブが生まれます。現状では想定しにくいものの、米朝のいずれかが相手の威圧に折れてチキンゲームを降りることを決定した場合、交渉のよすがが必要になり、パイプをもつこと自体が自分の影響力になるからです。
それにもかかわらず、ガードナー議員が「北朝鮮の国連除名」を主張したとするなら、中ロの立場をよほど理解していないか、あるいは書簡の効果をもともと当てにしていない、言い換えるなら一種のスタンドプレー、控えめに言ってもブラフとしか考えられません。この場合、前者よりむしろ後者の方が可能性として高いとみられます。
米国では厳格な三権分立のもと、議会が大統領の政策にも大きな影響力をもち、それは外交にも及びます。議員は大統領より有権者に近いため、その外交方針は大局的な視点より国内世論を直接的に反映したものになりがちです。そのため、政府の戦略とは無関係に人道性を強調する傾向がある一方、往々にして感情的なものに流れやすくもなります。
第一次世界大戦後、米国自身が発足させた国際連盟への加盟を、ヨーロッパに関わることへの警戒(孤立主義の伝統)から議会が批准しなかったことや、日米貿易摩擦が深刻化し始めていた1974年、鉄鋼業などとりわけ日本企業の攻勢に疲弊していた業種の要望を受けて、「不公正な貿易慣行を行う国」に米国政府が圧力・制裁を加えることを規定した「通商法301条」が制定されたことなどは、その象徴です。
こうしてみたとき、米国市民の約半分が北朝鮮を脅威と認識するなか、連邦議会はその不安感を汲み取ったアクションを起こす必要から、ほとんど実現可能性のない「北朝鮮の国連除名」をあえて打ち出したとみてよいでしょう。国民の要望を政策に反映することは民主主義の常道であるとしても、その向こう受けのみを顧慮するなら「選良」の名には値しません。
数ある政策分野のなかでも、外交・安全保障は多くの有権者にとって、縁遠く感じやすいものでありながらも、危機感に基づく強い反応を導きがちな領域といえます。その一方で、「勝った、負けた」や「どちらが正しい、間違っている」で処理することが困難な領域でもあります。北朝鮮危機を背景とする米国議会での「国連除名」の議論は、映し鏡のように、日本周辺の安全に関する日本の当事者意識とともに、その冷静な判断力を問うものでもあるといえるでしょう。