東北地方梅雨入り 松尾芭蕉の旅した元禄2年は走り梅雨と遅めの入梅
気象庁では6月13日に北陸地方と東北地方が「梅雨入りしたと見られる」という予報を発表し、梅雨のない北海道を除き、全国的に梅雨の季節となりました(図1)。北陸地方と東北地方南部は平年より1日遅く、東北北部は1日早い梅雨入りです。
停滞前線上を低気圧が東進しているため雨が降っていますが、梅雨入りしたからと言って、その後連日雨が降る雨季と違い、晴の日もあります。梅雨入り後は、雨や曇りの日が多い季節となります。
「梅雨入り」の発表は観測結果の発表ではなく予報
気象庁の今回の発表は、速報であり、梅雨の季節が過ぎてから、春から夏にかけての実際の天候経過を考慮した検討をし、9月の初めに梅雨入りと梅雨明けの統計値として確定しています。
梅雨入りの確定値をもとに計算した平年値(1981年から2010年の平均値)では、東北地方南部(宮城県、福島県、山形県)は6月12日です(表)。また、梅雨明けの平年値は7月25日です。
梅雨入りがはっきりしないと、梅雨入りを特定しません。統計資料が整備されている昭和26年以降では、昭和38年だけ、四国地方と近畿地方について梅雨入りを特定していません。梅雨明けもはっきりしないと、梅雨明けを特定しないこともあります。梅雨明けは、夏を迎えるという意味があることから、秋の気配が表われてくる頃とされる立秋(8月8日頃)を過ぎると日の特定はしません。ただ、例外として、立秋の2日後ぐらいまでなら特定することもあり、昭和62年の東北地方南部の梅雨明けは立秋2日後の8月9日となっています。
梅雨明けを特定しないことは、梅雨明けが遅い北日本ほど多く、東北地方南部では昭和26年以降4回あります。また、梅雨明けを特定しない日は、近年増加傾向にあります。
元禄2年の東北地方南部の梅雨
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)の梅雨期間に東北南部を旅しています。「おくのほそ道」の旅です(図2)。
「元禄2年3月27日で、自宅のある江戸の深川から千住までは船旅」というのが松尾芭蕉の紀行文「おくのほそ道」での記述です。そして、旧歴の3月ということで、「草の戸も 住替る代ぞ 雛の家」と詠んでいます。
しかし、新暦では1689年5月16日と、桜の季節はとうにすぎ、梅雨入り前の新緑の頃でした。
「おくのほそ道」は松尾芭蕉の著作の中で、最も著名な紀行文ですが、書かれている日付けや訪問した土地の順番が、随行した曾良の「旅日記」とは多少違っています。地名や出会った人の名前を変えたり、ぼかしたりもしています。
これらは、「おくのほそ道」を文学作品として高めている要素で、実際は、同行した曾良の旅日記のような旅だったと思われます。曾良の旅日記によると、3月20日に出発で、千住で長逗留するなど、3月27日は粕壁(現在の埼玉県春日部)に泊まっています。
以下、天気の記述がよくでてくる曾良の「旅日記」に従い、天気と日付(太陽暦に直したもの)を書きます。また、「おくのほそ道」には「五月雨(さみだれ)」という言葉が多く出てきますが、これは梅雨時の雨と言うことで、「5月雨(ごがつあめ)」とは違います。
梅雨前線に追いつかれる
松を芭蕉は5月19日に日光で東照宮を訪れ、「あらたうと青葉若葉の日の光」とうたっています。この時は、5月の新緑の季節でしたが、5月21日から栃木県北部の黒羽(現在は大田原市)で13連泊したときには、5月24日から31日まで9日間雨が続いています。用事があって連泊を予定していたと思いますが、走り梅雨があっために、逗留が長引いた可能性があると思います。
6月17日(旧暦の5月1日)に、飯塚に泊まったと「おくのほそ道」ありますが、この時の記述は、五月に入ると、すぐに五月雨になったと思われる記述ですが、「旅日記」では6月18日に湯治場の飯坂に泊まっています。日付けと地名をあえて少し変えたのは、宿の粗末さを強調し、五月に入ってすぐに五月雨になったとドラマチックにするためかもしれません。そして、6月20日には、宮城県名取市で、「笠島はいずこ五月のぬかり道」と、梅雨時の旅の大変さを歌っています。
平泉は梅雨の晴れ間
平泉に向かった松尾芭蕉は、
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
五月雨(さみだれ)の降り残してや光堂
という代表的な句を残しています。
五月雨の句は、光堂が今も輝いているのは、ものを腐らせると言われる五月雨が、光堂付近だけは降らなかったという意味かと思いますが、芭蕉が中尊寺を訪れた6月13日は、前日夜からの強い雨があがって晴れています。強い雨で洗われた直後の綺麗な光堂を見ています。
山寺は梅雨明け後
山形の山寺・立石寺を訪れた7月13日を境に、それまでの雨が多い季節から晴の多い季節に替わっています。資料が少なすぎて、これだけでは断定できないのですが、この頃に梅雨明けしたのかもしれません。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
「おくのほそ道」では、幕府直轄の船着き場のある大石田に長逗留し、7月18日に、そこから清川まで最上川を船で下ったありますが、「旅日記」では、少し下流の新庄にゆき、その近くの船乗り場から清川まで、短い区間を川下りをしています。このため、新庄に行った話は省略されています。
五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川
梅雨期間に山に降った雨が最上川に集まり、激流となっていたなかでの川下りでした。
梅雨期の東北地方南部の旅は、松尾芭蕉が絶賛した松島などに足跡が残されています。芭蕉を偲ぶことで、より味わい深いものになるのではないかと思います。
図の出典:饒村曜(2004)、風と雨の事典、クライム。