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「FF11」20年前を回顧 時間はかかるし「激ムズ」なのになぜ50万のユーザーが熱狂したのか

河村鳴紘サブカル専門ライター
「ファイナルファンタジー11」のゲーム画面

 スクウェア・エニックスのオンラインゲーム「ファイナルファンタジー11」(FF11)が2002年5月16日のサービス開始から20周年を迎えました。いまでこそ、ソロプレーで気軽に楽しめますが、サービス開始時はパーティープレー必須で時間の拘束もあり、高難易度ゲームでした。しかし50万のユーザーが熱狂したのも事実です。そんな「20年前」のドタバタの思い出を振り返ります。

◇わずかの判断の遅れでパーティー壊滅も

 FF11は、平原や森林、砂漠、雪原など多様な景色が広がる広大な仮想世界「ヴァナ・ディール」を舞台にしたオンラインゲームです。プレーヤーは最初、「戦士」「モンク」「白魔道士」「黒魔道士」「赤魔道士」「シーフ」のいずれかとなって冒険に飛び出します。

 サービス開始時は、大規模なサーバートラブルもあり(当時、記事を書きました)、アクセスするにも一苦労。そしてログインをしても、皆初心者なので手探り状態でした。周囲に他のプレーヤーが行きかう中、1人でコツコツ敵を倒し、「次は〇〇に行けば良いらしい」などと他プレーヤーと情報交換をしていました。

 レベルが上がるにつれて必要になる経験値はどんどん増える一方で、敵と戦って得られる経験値は減り、ソロでは厳しくなります。そこで6人でパーティーを組み、強い敵(1体)と戦うことで効率よく経験値を獲得するスタイルになります。強い敵を求めて、危険な地域へ踏み入れたときはドキドキです。しかし敵の強力な技一つ、わずかの判断の遅れでパーティーが壊滅することもありました。例えばゴブリンが爆弾を使うと、爆発に巻き込まれないように慌てて距離を取っていました。戦う敵の選択を含めてリスク管理が重要で、スリル満点でした。

 また戦闘もかなりテクニカルでした。技や魔法を繰り出す順番とタイミングもシビアで、敵に与えるダメージ量が変わってくるのです。もちろんリーダーの指示、メンバーのこまめな報告(声掛け)も重要。ジョブの組み合わせ、敵にもよるのですが、上手にプレーするとたっぷり経験値を稼げましたが、相性が悪いとすぐ戦闘不能になるので、経験値は稼げないどころか減ってしまい、お互いに無言で解散というケースもありました。そのため、1時間あたりどれだけ経験値を稼げるのかを示す「時給」というワードも飛び交いました。

 ゲームに熱中するあまり深夜になると、睡魔に勝てず動かなくなる人も。その場合は、やむなくパーティーから外して、追加メンバーを募集して戦い(経験値稼ぎ)を続行ということも「あるある」でした。皆が協力して戦うスタイルは、修行僧のような苦行的な側面もありつつも、達成感も大きく、楽しかったのです。

当時のプロモーションに使われたPS2版「ファイナルファンタジー11」のゲーム画面。各プレーヤーの配置、技を出す順番、魔法を繰り出すタイミングなどもゲームに影響していました
当時のプロモーションに使われたPS2版「ファイナルファンタジー11」のゲーム画面。各プレーヤーの配置、技を出す順番、魔法を繰り出すタイミングなどもゲームに影響していました

◇大勢の敵が襲う“地獄絵図”

 FF11の敵(モンスター)には2つのタイプがあります。こちらが手を出さない限り襲ってこない敵(ノンアクティブ)と、レベルの低いプレーヤーが近づくと襲ってくるイヤな敵(アクティブ)です。そして戦闘不能になると、経験値が大幅に減る仕組みでした。経験値が減ればレベルダウンもあるので、自分も仲間も生き残ることが第一。初期には、ピーンと張りつめた緊張感がありました。

 そして冒険中に敵から(意図せず)襲われたり、負けそうになると、“安全地帯”(エリアの切り替わる場所)まで一目散に逃げます。ところが逃走ルートが悪いと、周囲の敵も呼び込むことになり、プレーヤーは複数の敵から必死に逃げるという“悲劇”が生まれます。逃走するプレーヤーを「先頭車両」、追いかけてくる敵の群れを「他の車両」に見立てて、「トレイン(列車)」というスラングも生まれ、テキストを使って絵のように表現する「アスキーアート」もありました。誰が最初に作ったのか、そのセンスに苦笑するしかありません。これもまた、一つの文化といえるのかもしれません。

敵(ゴブリン)に追われ、泣きながら逃げるプレーヤーを表現する「アスキーアート」
敵(ゴブリン)に追われ、泣きながら逃げるプレーヤーを表現する「アスキーアート」

 敵の強いエリアで「トレイン」が発生すると、より手ごわい敵が連鎖反応的に襲ってくるケースもあり、その後は悲惨でした。他のプレーヤーたちにも襲い掛かった後、結果的にその場にしばらく居座り、何も知らずに来た別のプレーヤーが不意に襲われる……なんてこともあったのです。まさに「屍の山」が築かれる“地獄絵図”。その後、修正が入りました。初期の「トレイン」は本当に恐怖でしたが、それすらもスリル満点のコンテンツとなり、結果的にプレーヤーたちを楽しませていました。

 面白いのは、プレーヤーたちが自主的に生み出した「トレイン」対策?があったことです。大勢の敵から逃走するときに、他のプレーヤーにも伝わるように「危険!」などのアラート(警告)メッセージを飛ばすようになりました。そして戦闘不能の人たちを蘇生して回る親切なプレーヤーも……。ゲームでも人間性が出るのが興味深いところです。

◇バランス調整変更で“脱出不可能”に

 特に初期は、プレーヤーだけでなく、開発側も未知のことが多く、かなり大変だったのです。その開発メンバーは、同社の威信をかけたビッグプロジェクトだけに質量ともに充実しており、開発要員は4タイトル分のチーム。その責任者(プロデューサー、当時)は田中弘道さんで、スクウェアの創業メンバーの一人。現プロデューサーの松井聡彦さんも開発メンバーとして参加しました。

 余談ですが当時、ユーザーたちは田中さんのことを、責任者であることにひっかけて「神」と呼んでいて、怖いイメージを抱いているようでした。取材者視点で言えば、「とてもとても強い」ではなく、「とてもとても優しい」方なのですが、説明がややこしいので黙っていました(笑い)。

 話を戻します。その豪華メンバーでも、開発・運営に苦労するのがオンラインゲームの怖さです。ゲームバランスが良くない場合や不具合が起きると、速やかに修正するのですが、想定外の事態を引き起こすこともありました。

 FF11は、地方でレベル上げをして、中央の大都市(ジュノ)へ向かう設計になっていました。そして、大都市周辺の強力な敵を倒して効率的にレベルをアップする攻略法が生み出されました。どんどんレベルが上がる冒険者たち。すると間もなくゲームバランスの修正があって強力な敵を倒しづらくなったのです。大都市にいたプレーヤーたちはいったん、大都市を離れる“都落ち”していきます。

 ところが大都市から脱出しようにも、強い敵に阻まれて、道中倒されてしまい、大都市からリスタートを繰り返すという気の毒なプレーヤーもいたのです。何度も死ぬので経験値を失ってレベルダウンし、さらに弱くなり、“脱出不可能”のような状態になったのです。最後は、熟練プレーヤーの手を借りて、何とか“退却”に成功しましたが、当時は「絶体絶命」という心境でした。

 この調整は意図したものではないものの、当時のプレーヤーはかなり荒れていました。ただし、大変ではありつつも、別にゲームをやめるわけではなく、乗り越えていくたくましさがありました。今振り返ると感慨深く思えるのが、不思議なところです。

 昔を知らない人たちは「そんなに大変なゲームなのに、よく遊ぶねえ?」と思うでしょうが、初期は「時間をかけてたくさん遊べることが良し」とされていて、価値観が違ったのです。そして、ハードルが高いからこそ、得られる面白さがあるのも、また事実です。時間を費やし、感動を共有する仲間たちもいました。だからこそ熱狂したわけで、引退したプレーヤーでさえも、かなりの思い入れがあるのではないでしょうか。

◇“冷笑”と“郷愁” 入り混じる二つの感情

 そして常時パーティーを組むこともあり、ゲーム内のコミュニティーは活発で、助け合いの精神が根付いていました。人が集まる以上、コミュニケーション不足から来るトラブルもゼロではありませんが、最盛期は50万の有料会員がいて、今でもサービス中なのがポイントです。そして人が集まれば、さまざまなドラマが生まれます。

 あるとき、画面に表示しきれないほどの巨大な羊のモンスターに襲われていた仲間を助けるため、自分が「挑発」をして身代りになったことがありました。すると仲間は寄ってきて「ごめんね。身代りになってくれてありがとう」と申し訳なさそうにしていました。私も戦闘不能で経験値を失うのは不本意でしたが、反射的に助けてしまったのです。現実世界では顔も知らないオンラインゲームだけの仲間なのに……。プレーヤーだった皆さんの数だけ同じようなドラマがあるはずです。

 ほかにも、必要なアイテムを取るために支援をする、いつもチャットをする仲間でパーティーを組んで冒険をすることもあったのですが、明確な目的がなくブラブラするだけのときもありました。ゲームをプレーしているのに、リアルの友達と一緒になって遊ぶような不思議な感覚なのです。多くの仲間たちとの冒険の良き「思い出」が蓄積されることで、ゲームに対するロイヤリティー(忠誠心)が高まるのですね。

 MMORPGと呼ばれる多くのプレーヤーが同時に参加して遊ぶオンラインゲームは、多くの時間を費やすため、長期間継続するのは難しいのはその通りです。2002年に15歳だったプレーヤーは35歳になっていて、当然ながらどこかで「別れの時」が来るのです。そして私の知る限り、「引退」をしていくときは気持ちよく送り出し、何かの拍子で戻ってきたときも「復帰」を歓迎していました。こうした濃密なコミュニケーションもコンテンツとしての役割を果たしているように感じます。

 FF11に費やした膨大な時間を振り返ると、「のめりこみすぎた」という自虐的な“冷笑”と、「本当に楽しかった。また戻りたい」と思う“郷愁”という、異なる二つの感情が入り混じるのです。高難易度だからこそ、ともに遊んで多くの時間を費やしたからこその熱狂。未プレーの人には「時間の無駄」に思えても、プレーした人にはかけがえのない、現実世界と同じような「思い出」になっているのです。単純に語れないところに、FF11の魅力、20年もサービスを続けた「重み」があるのです。

(C) 2002-2022 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.LOGO ILLUSTRATION:(C)2002 YOSHITAKA AMANO

サブカル専門ライター

ゲームやアニメ、マンガなどのサブカルを中心に約20年メディアで取材。兜倶楽部の決算会見に出席し、各イベントにも足を運び、クリエーターや経営者へのインタビューをこなしつつ、中古ゲーム訴訟や残虐ゲーム問題、果ては企業倒産なども……。2019年6月からフリー、ヤフーオーサーとして活動。2020年5月にヤフーニュース個人の記事を顕彰するMVAを受賞。マンガ大賞選考員。不定期でラジオ出演も。

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