1台のベンチに眠る差別の歴史 同性愛の平等を進めたノルウェー人女性とは
北欧ノルウェーの首都オスロでは、性の多様性を祝福するオスロ・プライドが開催中(14~23日)。
ゲイ・プライド運動の発端となったニューヨークでの「ストーンウォールの反乱」から50年が経ち、今年のテーマは「わたしの、あなたの、わたしたちの歴史」だ。
日本では無名かもしれないが、ノルウェーでは同性婚の実現を推し進めた先駆者として、キム・フリーエレ(Kim Friele)さんという有名な女性がいる。
現在84 歳となる彼女は、同性愛者の人権のために闘ってきた活動家として、多くのノルウェー人に尊敬され、愛されている。
同性愛者に対する差別が根強かった60~70年代。当時、密かに運営されていたノルウェーでの同性愛者のための団体の代表を務める。
同性愛者を差別していた当時の法に対する反対活動を根気強く続けた。
1993年、同性愛者カップルを社会的なパートナーとして認める「登録パートナーシップ法」が制定されたときは、保守党の元国会議員でもあったWenche Lowzowさんと事実上の結婚。
Lowzowさんは同性愛者としてカミングアウトしたノルウェー初の国会議員だった。
「今の当たり前」は、昔は差別の対象だった
今の「当たり前」は、これまでたくさんの人たちが差別に対して声をあげ、闘って勝ち取ってきたものだ。
そのことを忘れてはいけないと、「歴史」がテーマでもある今年は、キム・フリーエレさんの言葉が現地メディアで広く報道されている。
18日、オスロ中心地・国立劇場すぐ側にある、「ベンチ」に大きな注目が集まった。
同性愛者がまだ犯罪者だとされていた60年代。
約2年間、毎週土曜日、フリーエレさんはこのベンチに座って、自分と同じような女性はいないかと、仲間を探していた。
同性愛者が差別されていた時代を忘れてはならないと、このベンチはオスロ市によって記念碑に指定された。
差別をなくすために、政治家に話し続けた
フリーエレさんは、オスロ・プライドでのトークショーで、60~70年代に受けていた差別を語る。会場は満席で、フリーエレさんは「同性愛者の女王」として紹介された。
「同性愛者は精神がおかしい人と思われ、差別に耐えられず自殺した人も続出した。暴言だけではなく、私は殴られたこともあり、友達はいなく、孤独だった」と、「生きることが楽な時代ではなかった」と語る。
差別を受けながらも、政治家に法律を変えるように説得することを、決してあきらめなかった。
同性愛者から人間として生きる権利を奪う昔の法律を、「差別法」と彼女は呼ぶ。
「今はこうして笑って話せるけれど、当時はつらかった」と、昔の思い出と涙が詰まったベンチが記念碑となったことに、心が動かされるとも話した。
オスロ・プライドでは連日さまざまなイベントが開催されている。
受付に行くと、ノルウェーのこれまでの取り組みを刻んだ表が配布されていた。
- 1972 年 同性間の性行為を犯罪としていた刑法の条項を廃止
- 1974年 ノルウェーで初のプライド開催
- 1977年 同性愛を病気のリストから除外
- 1933年 登録パートナーシップ法を制定
- 2008年 同性婚が認められる
- 2014年 「反差別法」施行
- 2016年 未成年でも法律上の性別が変更可能になる
- 西暦 「あなたのストーリー」(右下の白い紙は、誰もが自由に書き込みできる)
さらなる情報は「駐日ノルウェー大使館 公式HP 性の多様性」にて
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Photo&Text: Asaki Abumi