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歴代ドラフト・トップピック(その3)1985~1994/グリフィーとチッパーは殿堂へ。A-RODは…

宇根夏樹ベースボール・ライター

6月8日に始まるドラフトを前に、過去50年のドラフトでトップピック(全体1位指名)を受けた選手を紹介してきた。1965~74年1976~84年に続き、今回は1985年から1994年まで。このスパンの10人には、トップピック・ベスト3のキャリアを築いた者が含まれている。

1985年 B.J.サーホフ/遊撃手/ミルウォーキー・ブルワーズ

捕手、三塁手、レフトと定位置を移りながら、19年間に2326安打、440二塁打、188本塁打、141盗塁を記録した。30代に入ってからボルティモア・オリオールズで全盛期を迎え、1996~99年の4年間は、打率.292とOPS.817に加えて、盗塁こそあまり試みなくなったものの、シーズン平均22.3本塁打を放った。1999年はオールスター・ゲームにも選ばれている。2000年の夏にアトランタ・ブレーブスへ移籍したが、キャリア最後の3年間もオリオールズで過ごし、2007年に球団の殿堂へ迎え入れられた。兄のリックは右投手。1982年1月のドラフトで20巡目・全体321位指名を受け、1985年にメジャーリーグで9登板した。父のディックは1952年のNBAドラフト全体79位。

1986年 ジェフ・キング/遊撃手/ピッツバーグ・パイレーツ

31歳で開幕を迎えた1996年に大きく花開き、30本塁打を放って15盗塁を決めると、続く2年間も28本塁打&16盗塁、24本塁打&10盗塁を記録したが、1999年5月に突然、引退した。キャリアの途中までは三塁手で、1996年以降は主に一塁を守った。引退後は牧場を購入し、約400頭の牛を飼った。

1987年 ケン・グリフィーJr./外野手/シアトル・マリナーズ

同名の父は1969年のドラフト29巡目・全体682位。息子がドラフト指名された当時はアトランタ・ブレーブスにいたが、1990年の夏にシアトル・マリナーズと契約し、8月末の試合で、メジャーリーグ2年目の息子と揃ってスターティング・ラインナップに名を連ねた。その2週間後には、1回表に続けてホームランも放っている。どちらの試合も、父が「2番レフト」、息子は「3番センター」だった。もう一人の息子――Jr.の弟クレイグも2人と同じく外野手で、ドラフト指名は1991年の42巡目・全体1096位。父はメジャーリーグ19年間で152本塁打&200盗塁、兄は22年間で630本塁打&184盗塁を記録したが、クレイグはマイナーリーグでプレーするにとどまった。7年間で11本塁打&112盗塁。

1988年 アンディ・ベネス/右投手/サンディエゴ・パドレス

メジャーリーグで14年間にわたって投げ、155勝139敗、防御率3.97を記録した。1993年はオールスター・ゲームに選ばれ、翌年はナ・リーグ最多の189三振を奪った。弟のアランも右投手。1993年のドラフトで全体16位指名を受けてプロ入りし、1996~97年と2000~01年は兄弟揃ってセントルイス・カーディナルスでプレーした。1996~97年にカーディナルスが記録した161勝のうち、3分の1近い50勝はベネス兄弟が挙げた。2000~01年は5試合で、兄が先発、弟がリリーフとして投げ、2000年9月21日には、兄に続いて弟がマウンドに上がった。

1989年 ベン・マクドナルド/右投手/ボルティモア・オリオールズ

2009年のドラフト前後には、スティーブン・ストラスバーグ(ワシントン・ナショナルズ)に匹敵する大学生投手の逸材として、マクドナルドの名前が挙がった(この年の全体1位はストラスバーグ)。2人を比較した当時のUSAトゥデイは、「レジェンド」の項目で、ストラスバーグについて「速球は102マイル(約164.1km)を計時」、マクドナルドついては「6フィート(約182.9cm)のアリゲーターを素手で捕獲」と書いている。1990年7月のメジャーリーグ初先発を完封で飾り、1992~93年と1996年はそれぞれ220イニング以上を投げたが、故障が多く、20代でキャリアを終えた。

1990年 チッパー・ジョーンズ/遊撃手/アトランタ・ブレーブス

1993年9月にメジャーデビューしたものの、翌年は左膝の故障によって全休。復帰した1995年に三塁のレギュラーとなったが、新人王投票では野茂英雄の後塵を拝した。アトランタ・ブレーブス一筋に19年間プレーし、いずれもスイッチ・ヒッターでは3番目に多い468本塁打と549二塁打を放った。スラッシュラインは.303/.401/.529。

1991年 ブライアン・テイラー/左投手/ニューヨーク・ヤンキース

1993年12月18日に兄がバーで起こした喧嘩に加わり、その最中に左肩を故障。1998年のオフにニューヨーク・ヤンキースから解雇され、2000年にクリーブランド・インディアンスと契約してマウンドに戻ったものの、結局、キャリアを通してメジャーリーグには昇格できず、AAAで投げることもなかった。引退後は配送会社で働いた後、煉瓦職人に。ユニフォームを脱いでからもトラブルと無縁ではなく、2012年にはコカインを売っていて逮捕された。1992年にドラフト全体6位指名でヤンキースに入団したデレク・ジーターとは、スプリング・トレーニングでルームメイトだったことがある。

1992年 フィル・ネビン/三塁手/ヒューストン・アストロズ

元メジャーリーガーで、当時はヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたハル・ニューハウザーは、球団幹部に向かって、デレク・ジーターの指名を主張したという。ネビンはジーターのようなスーパースターにはなれなかったが、メジャーリーグ12年間で208本塁打を放ち、2000年は31本塁打&OPS.916、2001年は41本塁打&OPS.976を記録。2001年はオールスター・ゲームにも選ばれた。現在はアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のAAAで監督を務めている。

1993年 アレックス・ロドリゲス/遊撃手/シアトル・マリナーズ

薬物にまみれ、ヒールのイメージも定着したが、出場停止によって1シーズン休んだことが吉と出たのか、今シーズンは再び打棒を揮っている。665本塁打(6月7日時点)は史上4位。成績だけなら殿堂入りは間違いないところだ。7月に40歳となり、ニューヨーク・ヤンキースとの契約は2017年限りで終わるが、さらにプレーを続ければ、バリー・ボンズの762本塁打を上回ることも夢ではない。

1994年 ポール・ウィルソン/右投手/ニューヨーク・メッツ

1996年にメジャーデビュー。その前にはニューヨーク・メッツ傘下のマイナーリーグで、ジェイソン・イズリングハウゼンビル・パルシファーとともに「ジェネレーションK」と呼ばれていた。しかし、肩や肘の相次ぐ故障により、メジャーリーグ2年目を迎えたのはデビューから4年後。メッツからは、その直前にトレードで放出されていた。2005年にも肩を痛めて長期欠場し、翌年にマイナーリーグで4登板したのが最後となった。

歴代ドラフト・トップピック(その1)1965~1974/マントルやコーファックスになれなかった者たち

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ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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