教職員組合に何が求められているのか
教職員組合の加入率低下が止まらない。じつは、いまほど組合が必要なときはないのだが、教職員組合も気づいているだろうか。
|低下が止まらない組合加入率
文科省の「教職員団体への加入状況に関する調査」が明らかになり、2022年度の加入率は29.2%で、前年度よりも0.6ポイント下がった。加入率の低下は、1976年以降47年連続だという。組合の勢力は弱まってきているのだ。
それと連動するように、教職員の過重労働はひどくなるばかりで、「働き方改革」もいっこうにすすまない。働き方が改善されない理由のひとつは、当人である教職員が声をあげないからだ。オーバーワークになることが明らかであっても、理不尽でしかなくても、押しつけられた仕事を、教職員は黙ってこなす。そのため、さらに新たな仕事を押しつけられることになる。
「『できない』とか『自分のやる仕事ではない』と言ったらいいじゃないですか」と、何度も教職員に投げかけたことがある。そのたびに、「とても言えませんよ」とか「言える仕組みになっていませんから」という返事がもどってきた。
法律で「教職員は発言してはいけない」と決められているわけではない。いつのまにか、教職員が学校で不満を口にしたり、反対意見を述べることができない雰囲気がつくられてしまっている。「もの言わぬ教職員」だから、無理難題を押しつけられることにもなる。
「もの言わぬ教職員」になってしまった理由を教職員に尋ねてみると、何人もから「教職員組合が弱くなったから」という答がもどってきた。かつての教職員組合は、管理職に対して団交を要求するし、ストもやった。文科省や教育委員会、そして管理職にとっては「怖い存在」だった。
それを支えていたのが、組合加入率の高さだった。多数を背景にした声の大きさに、文科省も教育委員会も、そして管理職も高圧な姿勢ではいられず、無理難題を押し通すことを躊躇させたことは事実だろう。
その加入率が30%を切るまでになった現在、文科省や教育委員会、管理職の教職員組合に対する「怖さ」は急速に薄れてしまった。その結果が無理難題による教職員の過重労働であり、「もの言わぬ教職員」である。
|かつての強い組合を取り戻すのが先決ではない
このままでは、教職員の働き方は改善されず、ますます悪化する可能性さえ否定できない。この状況を変えるには、教職員が「もの言わぬ教職員」から脱することが、まず必要だ。いつまでも黙りつづけていれば、無理難題は次から次に降ってくる。
「もの言わぬ教職員」から「もの言う教職員」になるために、教職員組合がかつての力を取り戻すのを待ってもいられない。
いま必要なのは、教職員の一人ひとりが、それぞれの現場で声をあげていくことである。といっても、孤立無援で声をあげるのは簡単ではない。職員会議で「それは、おかしい」と発言したある教員は、「とても怖かった」と話してくれた。怖いから「もの言わぬ教職員」になっているのであり、それを文科省も教育委員会、管理職も望んでいるのかもしれない。
1人では怖い、しかし2人なら、怖さは半減する。もっと多ければ、それだけ怖さも小さくなる。
いきなり、職員会議の場や、管理職に直接、不満や異議を口にする必要もない。まずは2人でも3人でも、不満や異議を語り合ってみる。それが普通の環境になっていけば、「もの言わぬ教職員」は消えるはずだ。
その中心に、教職員組合がいてもいい。率先して語る存在であり、語れる環境づくりを引っ張る存在が組合員であってもいい。組合員でなくても、語り、相談できる組合員が必要とされているのではないだろうか。
いきなり「校長に文句を言いに行こう」と言ってみても、多くの教職員は尻込みするはずだ。そこだけを優先せず、まずは語り合える環境づくりを考えてみることが必要なのではないだろうか。すでに実践している組合員も少なからずいるはずだが、さらに多くの組合員が、その役割を率先して果たすことを考えみることが求められているのではないだろうか。
「語り合える環境」が教職員の働き方改革の第一歩であり、その役割を果たせるのは教職員組合のような気がする。