Yahoo!ニュース

【世界的な精神分析家が示唆】幸せになるたった1つのコツ

ひとみしょうおちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

幸せの定義はさまざまありますが、ここでは幸せを「自責的ではない生きざま」と定義しましょうか。

「今月も家賃が払えない→この世に馴染めず金儲けが下手な自分のことを責める」とか「恋人にふられた→自分のことを責める」というのとは正反対の生きざま、すなわち「今月も家賃が払えない→しかたない。支払いを待ってもらおう」「恋人にふられた→相手のあることだからしかたない。次を探そう」と思える生きざま。ここではそれを幸せと呼ぶことにしましょう。

だって、恋愛にしろ親子関係にしろ、仕事にしろ、「まあしかたない」で済むと、まあまあ楽だし、まあまあ幸せに感じますよね?

「努力したからこうなった」ではない

さて、世界的な精神分析家であるフランスのジャック・ラカンは「主体は意識ではない」と言います。では何が主体かといえば、卑近な言葉で言い表すなら、無意識です。つまりフロイトのよき研究者でもあったラカンは、「主体は無意識だ」と言ったのです。

例えば、いい大学に行き、いい企業に就職し、希望の部署に配属され、人間関係にも仕事内容にも恵まれている人は、「高校3年間頑張って塾に通った結果」いい大学に入れ、大学では「就職活動から逆算して就活に有利なサークルに入った結果」いい企業に就職でき……というような「主体的な努力」の甲斐あって今の「私の幸せな人生」があると思っているかもしれません。

しかし、ラカンは「そうじゃない」と言います。

努力は注釈にすぎない

ラカンにとって主体は無意識なわけですから、努力という意識的な行為が現在のあなたの幸せを創っているわけではない、となります。

では彼は、何があなたの幸せを創っていると考えるのでしょうか。

彼は例えば、「シニフィアン連鎖」が現在のあなたの幸せを、奇跡的にも、創っていると言います。

シニフィアン連鎖とは、言葉がもつ音(響き)が無意識のうちに、なにかを連想させることを言います。

例えば、「アップル」と聞くと果物のリンゴを想像する人もいるでしょうし、洒落たスマホを想像する人もいるでしょう。これはあなたが意識的に連想しているのではなく、アップルという言葉の響きがいわば自動的に、あなたに連想させている、というのが話のポイントです。

言葉の世界に住んでいる私たちは朝から晩まで、じつは無意識のうちに、シニフィアン連鎖に支配されています。無意識が日々、私たちの勝手知らぬところで作用し、あなたを導いた結果、今のあなたは「そのようにある」のです。意識的努力はそこにつけられた「注釈」にすぎないのです。

部活は厳しかったけれど成長できてよかった!

あるいは、「反復強迫」の結果、あなたは奇跡的にも現在幸せなのだ、とラカンは言うかもしれません。

反復強迫とは、なぜかわからないけれど不幸が形を変えて繰り返されることです。

例えば、やっとの思いでブラック企業を退職し、次こそはホワイト企業へと思って慎重に会社選びをしたにもかかわらず、またブラック企業に当たってしまった、とか。そういう「不幸の連鎖」を反復強迫といいます。

なぜそういう不幸の連鎖が起こるのか?

例えば、「高校時代の部活は厳しかったけれど成長できてよかった」と思っている人は、どれだけ慎重に会社選びをしてもブラック企業に当たる可能性があります。なぜなら「残業はあるけれどアットホームな雰囲気! あなたの頑張りに応じてボーナスを年4回支給!」という求人広告に1度は「怪しい」と思ったところで、あなたの無意識が「厳しい環境の方が私は成長できる」と思っていると、意識はおのずとそちらに引きずられるからです。

自責的ではない生きざまを手に入れる方法

私たちの人生は、じつは、私たちの心になぜか宿る無意識に支配されています。したがって、恋人にふられたのはあなたの努力不足が原因ではなく、無意識のせいです。ブラック企業に当たったのも、あなたが騙されやすい性格だからではなく、無意識のせい。貯金ができないのも無意識のせい。結婚できないのも、パッとしない仕事にしか就けないのも、親と仲が悪いのも、すべて無意識のせい。あなたの努力不足ではないのです。

「無意識が主体」という人間観を持つことによって、自責的にならずに済みます。すなわち、この項で言うところの「幸せ」になることができます。

幸せが存在する場所

最後に付言します。無意識が主体というのは、なにも意識的活動における責任を放棄するための詭弁ではありません。意識的活動(合理的行動)に重心を置きすぎている現代の私たちの、ゆき過ぎた理性主義に警鐘を鳴らす言葉です。

「わたしは努力した結果、お金持ちの彼と結婚できたの」と言って他者を見下す人を見た結果、自責的になる人に、「そんなに自分を責めないで。なぜなら意識が主体ではないから」と言っているのです。

つねに不幸な人は、例えば、自己啓発の「成功法則」に自分を当てはめるべく、自己を矯正しようとします。また、科学の心理学が提唱する「明るく元気に」という枠に自分を押し込めようとします。当然、そんな枠にぴたりと合致する人はいませんからやがて、「やっぱり私はダメだ」と、さらに自分を責めます。不幸の連鎖です。

「私の無意識は何を言おうとしているのだろう」と耳を澄ませるところに、人生のスイートスポット、すなわち幸せはあります。

なぜなら、無意識があなたの人生の主体だからです。

おちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

8歳から「なぜ努力が報われないのか」を考えはじめる。高3で不登校に。大学受験の失敗を機に家出。転職10回。文学賞26回連続落選。42歳、大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なぜ努力が報われないのか」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道主宰「哲学塾カント」に入塾。キルケゴール哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミー主宰。

ひとみしょうの最近の記事