「宇宙人」新庄剛志が現役復帰を目指して帰国準備。アラフィフでの現役復帰は可能なのか?
現役復帰を目指しているメジャーリーグでも活躍した元阪神、日本ハムの新庄剛志氏が近々、現在生活の拠点を置くインドネシア・バリ島から帰国すると報じられた。続報では、帰国はしばらく先になりそうとのことだが、いずれにせよ、今年48歳になった「アラフィフ」の彼が14年ぶりにプロの舞台に帰ってくることなどあり得るのだろうか。すでに彼は一球団にオファーをかけ、断られたとしているが、常識的に考えれば妥当な判断だろう。しかし、世の常識を破り、それがゆえに現役時代、あれだけの人気を博してきた彼だけに、「そんなの無理」の一言で彼の挑戦を片づけるのも難しい気がする。
日本における高齢現役選手の前例
連続試合出場世界記録を打ち立てた「鉄人」衣笠祥雄(元広島、故人)は、現役時代、医師から「コンディションさえ維持していれば50歳までプレーできる」と言われた。現実には彼は「もうこれ以上上手くなれない」として40歳で引退した。
現在では40歳を超えての現役は決して珍しくはないが、昭和の時代は、35歳ともなれば「大ベテラン」で30過ぎで引退する選手が大半だった。
日本のプロ野球、NPBの現役実働(一軍でのプレー)の最高齢記録保持者は、2015年に50歳1か月でマウンドに登った中日の山本昌広である。トレーニング法や栄養学の発達した現在は「アンチエイジング」が球界でも進み、ソフトバンクの工藤監督も47歳の2010年まで現役でプレーを続けている。
野手の最高齢記録は、48歳になった1950年に阪急の兼任監督としてプレーした浜崎真二だ。彼は安打、打点などの最高齢記録を総ナメにしている。さらに言えば、浜崎はマウンドにも立ち、現役最後となったこのシーズン、9試合に登板して1勝2敗の星を挙げている。
もっとも、彼はこの時代としては例外で、むしろこの時代は選手間の実力差が激しく、選手層も薄かったため、技量がある選手は年をとっても十分に戦力になったのだろう。
さらに上を行くメジャーリーグの最高齢記録
海の向こう、メジャーリーグの最高齢プレーは、1965年、カンザスシティ・アスレチックスで12年ぶりのメジャーのマウンドに立ったニグロリーグのレジェンド、サチェル・ペイジだ。当時御年59歳。1試合だけのスポット契約だったというから興行的な意味合いが強かったとは思われるが、先発投手として3イニングをゼロに抑えているので、まるきりの花相撲だったわけでもなさそうだ。
近年では、日本でもプレーして人気を博したフリオ・フランコが知られている。レンジャーズでは首位打者にも輝いた彼が1995年にロッテに入団した時、すでに37歳。現役最後のひと稼ぎに日本に来たのかと思われたが、翌年にはインディアンズでメジャー復帰、規定打席数には届かなかったものの、ファーストのレギュラーポジションを確保した。翌年もシーズン途中にブリュワーズに移籍したものの、レギュラー選手として活躍、98年にはロッテに復帰して40歳にしてより動きの激しいセカンドとして主にプレーした。しかし、このシーズン限りでロッテをリリースされ、ここで彼のキャリアも終わったかと思われたが、メキシコや韓国に活路を求めた。43歳になる2001年シーズンにはメキシカンリーグで.437という高打率で首位打者に輝くと、メジャーリーグももう彼に年齢の枠組みを当てはめるのをやめ、ブレーブスが彼を引き抜き、以後、49歳になる2007年まで彼はマイナーに落ちることなくメジャーの舞台に立ち続ける。この年フランコはメッツで「最高齢本塁打」も記録している。
彼が最後にトップリーグでプレーしたのは50歳になる2008年。メキシカンリーグのキンタナロー・タイガースでいったん現役を終えた。ところがその後、2014年には独立リーグのフォートワースで兼任コーチとして現役復帰。翌15年には独立リーグ球団、石川ミリオンスターズに兼任監督として日本に戻ってきている。この時彼は57歳だった。
ちなみにペイジ、フランコの実年齢はともに、もう少し上だったとも言われている。そうだったとすれば、ペイジは還暦を過ぎてメジャーの先発マウンドに立ち、フランコは50歳を超えて本塁打を打ったことになる。
独立リーグに多い高齢現役選手
スポーツもショービジネスのひとつと考えるアメリカでは、メジャーの舞台であっても「見世物」的にかつての名選手を現役に復帰させることがあったが、さすがに世界最高峰レベルのリーグとあって、現在ではそういうことはなくなっている。
一方、競技レベルが低い独立リーグでは、集客のためネームバリューのある選手を「現役復帰」させることは、現在でもある種のトレンドになっている。フランコが在籍していたユナイテッド・リーグでは、彼のほか、アスレチックス黄金時代の主砲、ホゼ・カンセコもプレーしている。
また、カリフォルニア・サンフランシスコ周辺に展開されているパシフィック・アソシエーションというリーグでは、2012年から2015年にかけてビル・リーというメジャー119勝の実績をもつ60代後半の老人を連れてきてプレーさせている。もちろんシーズン通してではなく、終盤のイベント試合で公式戦に出場させただけではあるが、この時期彼は、打席にも立ち安打を放つなど、あらゆる「プロ最高齢記録」を毎年のように更新していた。60代後半の老人がヒットを放つことができるくらいだから、現実には、このリーグのレベルはプロ未満と言っていいのだが、昇格以後ほとんどマイナー暮らしのなかった彼は1982年の引退後、独立リーグ中でもレベルが高くマイナーの2Aに匹敵すると言われているカンナムリーグで、2010年、実に18年ぶりに現役復帰し、64歳で先発のマウンドに立ち勝利投手となっている。
ラテンアメリカでは珍しくはない40代以上でのプレー
高齢選手の独立リーグでのプレーは、たぶんに「見世物」的な色合いが強いが、メジャーリーグで高齢でプレーしたフランコはドミニカ出身の「ラティーノ」である。アメリカより経済力の弱い国から来た彼らは、メジャーでのキャリアを終えた後、母国のプロリーグでプレーすることが多いが、他職での報酬が低いこともあって、彼らはその母国でかなり高齢になっても現役を続けることが多い。
実際、ラテンアメリカでは40歳を超えてプレーするのは珍しくはない。ウィンターリーグならシーズンも短いので体力的にも続けることができるし、球団側も元メジャーリーガーがいてくれれば集客にプラスになる。
メジャーリーグにおけるメキシカンのパイオニアであるフェルナンド・バレンズエラは37歳になった1997年シーズンでメジャーを去った後、ウィンターリーグでプレーを続け、引退したのは47歳の時だった。この時はさすがに彼も、「もうコンディションを整えるのが難しくなった」と、その理由を述べている。
以上、40代でもプロの世界でプレーした野球選手の例は数多いことが分かったが、新庄氏の場合はどうなのだろうか。メジャーリーグに次ぐ世界第2のパワーハウスであるNPBというハードルは限りなく高いだろうが、コロナ禍でリーグ戦が休止している中、遅れた開幕とともに「新庄復帰」ともなれば、さぞかしプロ野球も盛り上がるだろう。そんなことを考えながら、今は開幕が遠からずやってくることを待ちながら「ステイ・ホーム」していたい。