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人類の「手」は50万年前にすでに完成していた

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 我々人類の手は、近縁のチンパンジーを含むほかの霊長類とは異なった構造をしている。特に親指の可動範囲が広く、それぞれの指との関係が複雑なのが特徴で、これが多種多様な物作りを可能にしているようだ。最近、実際に作ったり動作して検証する実験考古学の分野で、石器の製作と手の構造についての研究が多く出されている。

石器はサルでも作る

 チャールズ・ダーウィンは、人類の祖先が二足歩行したときに両手が自由になり、その後の進化につながったと主張した(※1)。

 だが、化石と石器の遺構の調査により、二足歩行は人類の石器製作よりかなり早かったという研究もある(※2)。また、石を薄く剥離させて製作する石器(Flake Stone Tools)は、アフリカのオマキザルの仲間(Sapajus libidinosus)も意図的に作るという報告があり(※3)、石器自体の製作は人類だけの専売特許ではないようだ。

 アウストラロピテクス(Australopithecus afarensis、アファール猿人)から分かれ、人類の祖先が出現したのは最も早い学説では約280万年前とされる(※4)。最初に石器を使用したのは、約260万年前のオルドワン石器(Oldowan Stone Tools)だが、約330万年前にもプレ・オルドワンの石器を作っていたという調査研究もある(※5)。

 オルドワン石器は、石を簡単に割ってできた断片や単純でやや鋭利な剥離片だ。オマキザルでも使うので人類独自の石器というより猿人のアウストラロピテクスなども作っていた可能性が高いが、猿人の時点ですでにホモ・サピエンスにつながる手の構造があったらしい(※6)。

 では、オルドワン石器から進化し、約180年前に出現したとされるアシュール石器(Acheulean)を経て、宇宙ロケットまでも作ることができるホモ・サピエンス、つまり我々人類に特徴的な手の構造とはいったい何だろう。

 それは、他の霊長類にはない親指の構造と他の4本の指の機能だとする説が根強い。実際に石器を作ってみる実験考古学の研究によれば、石を薄く剥離させる手の動きに親指と人差し指、中指の連動は不可欠で、親指に対する何か特別な進化圧があったようだ(※7)。

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英国のケント大学の研究者による実験考古学の様子。手に圧力センサーを装着し、実際に剥離石器を製作している。Via:Alastair J.M. Key, et al., "The evolution of the hominin thumb and the influence exerted by the non-dominant hand during stone tool production." Journal of Human Evolution, 2015

石器の進化と手の進化

 2018年に入ってから、我々の祖先が石器をどう作っていたのか、実験考古学の分野から複数の論文が発表された。これらは、優秀な石器の製作という生死を分ける重要な技術が進歩する過程で、我々の手も同時に進化していったのではないかという疑問から出発している。

 米国のチャタム大学などの研究グループは、特殊な手の圧力分布計測器を使い、39人の実験者に協力してもらって実際に石器を作ったり、獲物の骨を割って中から骨髄を取り出す作業をしてもらった(※8)。どのような動きをしても圧力を受ける手の関節はほぼ均一であり、剥離石器を作ったり、栄養価の高い骨髄を得る作業で手に受ける圧力が手の進化に大きな影響を与えたのではないかという。

 スペインの国立人類進化研究センター(National Research Center on Human Evolution、CENIEH)などの研究グループは、エネルギーの収支効率の観点から打製石器作り(Knapping)について実際に石器を作って調べた(※9)。

 剥離石器を作るためには、打ち付ける側の石鎚による打撃が必要であり、より少ないエネルギー消費で効率的に手を動かさなければならない。実験の結果、前腕を折りたたんで梃子の原理で石を打ち付ける方法がより省エネだということがわかり、人類の手の進化にとって両腕の長さも重要なのではないかという。

 英国のケント大学の研究者は、圧力センサーを両手のそれぞれの指に装着し、オルドワン石器からより洗練されて大型化したアシュール石器にかけての石器製作を実際に行った(※10)。その結果、親指以外のそれぞれの指に強いグリップ力がなければ、アシュール石器は作れなかったことが示唆されている。

 この研究グループは、原型の石から石槍の穂先や石斧などを打ち出して切り離す(剥ぎ取る)打製剥離石器の製作過程(Levallois、ルヴァロワ技法など)をつぶさに検証し、こうした石器製作の前段階である「原型の準備(Platform Preparation)」に必要な手の動きと指の圧力を調べた。実験から、約50万年前の石器ではすでに現在の人類の手と同じ機能が備わっていたと考えられるという。

 50万年前といえばネアンデルタール人より前、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)の時代(※11)だが、最近の研究では、約30万年前にはすでに人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスが東アフリカで黒曜石などの石器の交易を行っていた証拠が発見されている(※12)。

 石器の進化をみると人類の手の進化もみえてくるというわけだが、研究が進むにつれ、その進化の速度もどんどん速くなるようだ。従来の仮説もこれから書き加え書き換えられていくのだろう。

※1:Charles Darwin, "The Descent of Man and Selection in Relation to Sex." John Murray, London, UK, 1871

※2:Ignacio de la Torre, "The origins of stone tool technology in Africa: a historical perspective." Philosophical Transactions of The Royal Sciety B, Vol.366, 1028-1037, 2011

※3:Tomos Proffitt, et al., "Wild monkeys flake stone tools." nature, Vol.539, 85-88, 2016

※4:Brian Villmoare, et al., "Early Homo at 2.8 Ma from Ledi-Geraru, Afar, Ethiopia." Science, Vol.347, Issue6228, 1352-1355, 2015

※5:Sonia Harmand, et al., "3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenya." nature, Vol.521, 310-315, 2015

※6:Matthew M. Skinner, et al., "Human-like hand use in Australopithecus africanus." Science, Vol.347, Issue6220, 395-399, 2015

※7:Alastair J.M. Key, et al., "The evolution of the hominin thumb and the influence exerted by the non-dominant hand during stone tool production." Journal of Human Evolution, Vol.78, 60-69, 2015

※8:Erin Marie Williams-Hatala, et al., "The manual pressures of stone tool behaviors and their implications for the evolution of the human hand." Journal of Human Evolution, Vol.119, 14-26, 2018

※9:Ana Mateos, et al., "Energy Cost of Stone Knapping." Journal of Archaeological Method and Theory, doi.org/10.1007/s10816-018-9382-2, 2018

※10:Alastair J.M. Key, et al., "Manual restrictions on Palaeolithic technological behaviours." PeerJ, Vol.6, e5399, 2018

※11:C B. Stringer, et al., "The Middle Pleistocene human tibia from Boxgrove." Journal of Human Evolution, Vol.34, Issue5, 509-547, 1998

※12-1:Richard Potts, et al., "Environmental dynamics during the onset of the Middle Stone Age in eastern Africa." Science, Vol.360, Issue6384, 86-90, 2018

※12-2:Alison S. Brooks, et al., "Long-distance stone transport and pigment use in the earliest Middle Stone Age." Science, Vol.360, Issue6384, 90-94, 2018

※12-3:Alan L. Deino, et al., "Chronology of the Acheulean to Middle Stone Age transition in eastern Africa." Science, Vol.360, Issue6384, 95-98, 2018

※2018/08/29:11:02:「より前、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)の時代(※11)だが」と引用論文※11を追加した。

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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