藤原彰子が紫式部とともに『源氏物語』の冊子作りを懸命に行った理由とは?
大河ドラマ「光る君へ」では、藤原彰子が紫式部とともに、『源氏物語』の冊子作りを懸命に行っていた。その理由について考えてみよう。
ドラマの中でも取り上げられていたとおり、一条天皇と中宮の彰子は、『源氏物語』の熱心な読者だった。寛弘5年(1008)11月、彰子は『源氏物語』の冊子を作ろうと考え、紫式部に作業を命じた。以下、『紫式部日記』によって経緯をたどろう。
作業を命じられた紫式部は、自ら執筆した『源氏物語』をもとにして、数人に分担して清書するよう依頼した。紫式部は冊子作りに励んだが、目の前には彰子がいたといわれている。彰子が『源氏物語』の冊子作りに力を入れていたのは明らかである。
彰子の父の藤原道長は、娘のために筆、墨、硯、高価な薄様紙を準備した。彰子は惜しみなく紫式部に与えたので、さすがの道長も「もったいない」とこぼしたという。当時、紙は非常に貴重であり、高価な品物だったのである。
このとき彰子は、子を産んで2ヵ月ほどしか経っていなかった。しかも、近々内裏に戻る予定だったので、なぜそんなに慌てたのか疑問である。この豪華版の『源氏物語』は、彰子が読むために作ったのではなく、一条天皇に贈るためだったといわれている。
『源氏物語』を読んだ一条天皇は、その中に『日本書紀』などの六国史に関する該博な知識に裏付けされた物語だと感じたという。彰子が紫式部から漢文を学ぼうと思ったのは、そうした一条天皇の影響を受けたからだという説もある。
彰子は一条天皇が『源氏物語』を高く評価していると知り、これを豪華本に仕立てて贈ろうとしたといわれている。『源氏物語』は文学作品であり、紫式部がプライベートで作ったものにすぎない。しかし、彰子は一条天皇と共有することで、関係を深めようとしたという。
残念ながら、彰子が一条天皇に贈った『源氏物語』は現存していない。もし、残っていたならば、大変な価値になったと考えられる。
主要参考文献
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985年)
沢田正子『紫式部』(清水書院、2002年)
山本淳子『『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書、2007年)