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教師への暴力 警察通報にためらい 閉ざされた学校の闇に迫る

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 NHK「クローズアップ現代+」が8月10日に、夏季特集として「教師への暴力」をとりあげた。14日には、兵庫県内の中学校で生徒が教師にひざ蹴りを入れた事件が報道されたばかりでもある(8/14 神戸新聞)。

 これまで教育界において、教師の暴力被害が議論されることはほとんどなかった。警察への通報にも、否定的な意見が多い。教師が被害に遭いながらも、なぜその事態は表だって語られることがないのだろうか。

■暴行を受けた動画が拡散される

 昨年9月下旬のこと、福岡市内の私立高校で、授業中に1年の男子生徒が新任の男性教師を暴行する動画がSNS上で拡散され、「炎上」した。

 各種報道[注1]によると、授業中に生徒がタブレット端末で動画を見ていたため、教師はそのタブレットを取り上げた。すると生徒は教壇にあがり、教師の腰のあたりに背後から3回ほど蹴りを入れ、さらには教師の胸ぐらをつかんで脅したのであった。

 教師はその間、口頭でその生徒を厳しく注意しつつも、暴行を受け続けていた。教室には、生徒たちの笑い声が飛び交っていた。

 以上の様子をクラスメイトの一人が動画で撮影し、それがLINEを通じて友人らで共有された。このうち別の高校の生徒が動画をTwitterにあげたところ、一気に情報が拡散されたという。

■校長は知らなかった

※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より
※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より

 校長がこの事案を知ったのは、当日の深夜、警察から連絡が入ったことによる。暴行を受けた教師も、それを目撃した生徒たちも、誰もそのことを校長に報告することはなかった

 翌日、当初の報道では、学校側は警察に被害届を出さない方針ということであった。被害に遭った教師自身の意向もあって、学校側で生徒を指導することに決めていたという。

 ところが同日、医師により全治一日の診断が教師に下され、また警察とも話し合いがおこなわれて、再度学校内で対応が検討された結果、被害を受けた教師は夕刻に被害届を警察に提出した。こうして生徒は、同日夜に傷害容疑で逮捕されることとなった。

■見過ごされてきた教師の被害

※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より
※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より

 教師の暴力被害については、じつはその実態がほとんどわかっていない。

 これまで、学校問題の歴史のなかで、教師への暴力は2つの文脈から語られてきた。一つが、1970年代から1980年代にかけて広く問題視された「校内暴力」で、もう一つが1990年代後半から2000年代にかけて注目された「少年の凶悪化」である。

 いずれも教師への暴力が話題にはあがったものの、「校内暴力」の文脈では、それは教師による管理強化の問題とともに語られた。また「少年の凶悪化」の文脈では、それは単に少年自身の内面の問題として語られた。

 教師への暴力における語りでは、肝心の被害者として苦しむ教師の姿は、長らく見えてこなかった。いまだ、その実態は不明である。

■教師の力量が足りない!?

 さて、福岡市の事案が動画のかたちでネット上に拡散されたことで、生徒に蹴りつけられる教師の姿が、多くの教育関係者の目に留まった。そのなかで私の知り合いの教師が、同僚のこんな発言を耳にしたという。

あれは教師が悪い。だって、もう9月にもなるのに、生徒との人間関係がつくれていないんだから。自分だったらこんなことになっていないです。暴力にまでいかない。

 周りの教師もその見解に賛同していたようで、あそこまで授業が荒れていること自体に問題があり、教師の資質が問われるべき、という空気だったという。

■被害教師「警察に通報してほしかった」

※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より
※画像はイメージ:「無料写真素材 写真AC」より

 クローズアップ現代+においても、上記と同じようなやりとりを、視聴者は生放送のなかで目の当たりにすることになった。

 番組では、暴力被害を警察に通報することの是非が議論された。そこには、頭部をバットで殴られていまも右耳の難聴や頭から首にかけての痛みが残っているという20代の教師と、暴力の事案を公表しなかった経験があるという元校長が、両名とも顔が見えないかたちで生出演していた。

 20代教師は、警察に通報することの必要性を、次のように訴えた。

 私は、警察への通報は必ずすべきだと思っています。私自身は、そのときは警察も救急車も呼んでもらえなくて非常に苦しみました。ここまで立ち直ることができたのは、たまたま身近に犯罪被害者の方がいて、被害者支援を受けられたというのもあった。やはり警察に通報しないと、暴力を受けた先生は支援してもらうこともない。何よりさっき竹山さん(出演者のカンニング竹山氏)がおっしゃったように、「ダメなものはダメ」っていうのを教える機会がなくなってしまいます。

出典:当日放送された内容を文字に起こした

 警察への通報は、第一に暴力をダメなこととして子どもにしっかりと理解してもらうことになり、第二に被害を被害と認めることで教師を救うことになる、という主張である。

■元校長「警察への通報は、教師の負け」

 この被害教師の声を受けて、元校長は相対する持論を展開した。

 私の基本的な考え方は、もちろん先生方のケガの内容だとかケースによっていろいろちがう部分はあると思うんですけれど、やはり、学校で起こったことは、学校が解決する責任を負っていると思っております。我々は、警察の力を借りるということは、きれい事かもしれませんけれど、やはり学校の負けであり、教師の負けであるというふうに感じます。

出典:当日放送された内容を文字に起こした

 この発言は、番組中にVTRに登場した別の中学校長が述べた「教室のなかのことは教室で、学校のなかのことは学校で」という考え方とも重なってくる。

 つまり、子どもの暴力事件の責任は、教師や学校側にある。だから、そこで警察に頼ってしまっては、「学校の負け」であり「教師の負け」となるのだ。

■文部科学省「警察への相談と被害届を」

国立教育政策研究所「学校と警察等との連携」
国立教育政策研究所「学校と警察等との連携」

 警察への通報の是非について、国はどのような方針を示しているのか。

 文部科学省国立教育政策研究所が作成した生徒指導リーフ「学校と警察等との連携」(2013年1月)には、校内における暴力やいじめ事案について、「学校だけの対応では、指導に十分な効果を上げることが困難であると判断した場合は、ためらうことなく早期に警察や児童相談所等の関係機関に『相談』することが大切」と明記されている。

 また、警察の協力を得るためには、被害届の提出が重要な手続きになるという。

 警察との連携を進めていく上で、「被害届」は一つの大きな鍵となります。

 しかし、学校内で起こったことに関して警察の介入を求めることを「教育の放棄」と受け止める考え方が根強いのも事実です。 (略) そのため、学校だけではもはや対処できない事態に陥りながら抱え込みを続け、更に悪化させてしまう事例も見受けられます。

 「被害届」は、加害者の行為を止め、被害者を守るとともに捜査という観点からの実態の解明につながる可能性を高めます。

出典:国立教育政策研究所「学校と警察等との連携」より抜粋

 警察への通報を「『教育の放棄』と受け止める考え方が根強い」。この教員文化が結局は、事態の悪化を招きかねない。だから早い段階で加害者を止め、被害者を守りつつ、捜査により事実を究明していくことが重要だという主張である。

■「対教師暴力」の件数

 先述したとおり、教師への暴力の実態は、まだほとんど明らかにされていない。

 ただし、文部科学省が毎年実施している「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」では、「校内暴力」の一類型として「対教師暴力」の件数が公表されている。2016年度は、中学校では全国で3891件(小学校は3624件、高校は503件)が報告されている。

 「対教師暴力」の件数は、同調査の「いじめ」の件数を読む際にしばしば留意されるように、実際の「発生件数」とみなしてはならない。「対教師暴力」も「いじめ」も、行政の方針等に大きく左右される「認知件数」としての性格が強い(拙稿「いじめ件数 増えても減っても『対策の効果あり』」)。

 つまり行政や学校が、教師の暴力被害を隠すことなく表だって対応しようとするほど、該当する事案の件数が増えるということになる。

■「対教師暴力」の認知における地域格差

中学校における「教師への暴力」の認知件数(生徒1000人あたりの認知件数、2016年度)※2016(H28)年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」をもとに筆者が作図。
中学校における「教師への暴力」の認知件数(生徒1000人あたりの認知件数、2016年度)※2016(H28)年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」をもとに筆者が作図。

 その上で言えることは、その認知率が都道府県で大きく異なっているということである。同調査の「いじめ」では毎年、その都道府県格差が話題となる(産経新聞、2017年10月26日付)。「対教師暴力」に関していうと、中学校の都道府県格差はその「いじめ」よりも大きい[注2]。

 教師への暴力は、都道府県によって、該当事案として扱ってくれる地域と、そもそも公的にそうした扱いがなされにくい地域があるということである。前者では、警察への相談や被害届提出を含めて、事案は隠蔽されることなく表に出やすい。後者はその逆である。

 同じような被害を受けても、勤務する都道府県によってその取り扱いが大きく異なる。この点はこれまで論じられることがなかっただけに、教師の労働における安全確保の重大課題として受け止められるべきである。

■「ダメなものはダメ」といえる学校空間へ

 国は、被害届の提出を含めて警察との連携を推奨している。それでもやはり、警察への通報は「教師の負け」なのだろうか。

 蹴られたのは、教師自身が悪い――こうした声が当たり前のように学校の内部から出てきていることに、私は残念な思いがする。

 学校内では暴力が起きたのは教師の責任であると考えられ、だから警察に通報されることもなく、出来事は教室あるいは学校のなかに閉じ込められる[注3]。

 被害を受けた教師本人は、支援を受けるというよりは、責めを負うことになる。暴力被害はいつの間にか、教師の指導の問題に置き換えられていく

 仮に被害に遭った教師の授業力や指導力が不十分だったとして、そうだとしても、殴られたり、蹴られたりしてよいことにはならないはずだ。「ダメなものはダメ」であり、それと教師の力量の問題は、わけて考えるべきではないだろうか。

■「教育」が暴力を見えなくさせる

 「蹴られたのは、教師自身が悪い」という考え方は、立場を変えれば、生徒が何かトラブルを起こしたときに、理由さえ立てば教師は生徒を殴ってよいという論理にも通じかねない。

 教師が暴力を受けたときには、それは「指導力の欠如」に置き換えられ、生徒が暴力を受けたときには、それは「指導の一環」「教育の一環」に置き換えられる。いずれの場合も、「指導」や「教育」という大義名分が、暴力(による被害)を見えなくさせている。

 学校が、無法地帯であってはならない。教師から生徒へ、生徒から教師へ、いずれも暴力はダメなことであり、刑法に触れることである。市民社会の法を学校にもしっかりと通すべきであり、それは暴力を未然に抑止する効果も合わせ持っている。

 そしてまた、暴力の対応を含むさまざまな事項を学校に期待している保護者や地域住民の意識も問われるべきであろう。学校はあまりに多くのことを背負いすぎだ。

 教師と生徒それぞれの苦しみや被害を基軸に据えたとき、学校問題の語りとその課題解決に新しい視界が開けてくる。

  • 注1:事案の詳細は次の記事を参照してほしい(記事の日付はいずれも9月29日):産経新聞毎日新聞JCASTニュースねとらぼ
  • 注2:単純に、中学生1000人あたりの最小値と最大値を用いて都道府県間の格差をあらわすならば、「いじめ」の場合、最小値は6.5件、最大値は63.2件で、約9.7倍の開きがある。「対教師暴力」の場合、最小値は0件、最大値は4.0件である(倍数の計算は不可)。なお、「対教師暴力」においては都道府県別に生徒1000人あたりの件数が公表されているが、「いじめ」は公表されていない。そこで、2016年度の「学校基本調査」に記載されている都道府県別の中学生数(ただし義務教育学校と中等教育学校の数値は含まずに計算した)を用いて、生徒1000人あたりの件数を計算した。また、中学生1000人あたりの件数を用いて、格差(ばらつき)の指標の一つである変動係数(標準偏差を平均値で除した値)を算出してみると、中学校における「いじめ」の都道府県格差の値は0.56、「対教師暴力」は0.79であり、後者のほうで都道府県格差がより大きいことがわかる。
  • 注3:私はけっして、ゼロトレランスを積極的に導入しようと言いたいわけではない。加害の認識、被害の認定、事実の究明において警察の協力を得ることの意義は大きい。そうだとすれば、警察の介入を前提とした上で、その後の当事者(生徒や教師ら)に対するケアの方針が想定されるべきである。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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