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上杉謙信の家臣といわれる小島弥太郎は、実在した武将なのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
上杉謙信。(提供:イメージマート)

 戸籍がある現在、調べると身元は普通にわかるはずだ。しかし、戦国時代には戸籍がなく、上杉謙信の家臣といわれる小島弥太郎も実在が疑わしい武将なので、その点を検討しよう。

 小島弥太郎は上杉氏の家臣といわれており、長尾為景、上杉謙信に仕えた。弥太郎は通称であり、実名は貞興との説がある(『上杉年譜』)。良質な史料で確認できないが、時代劇などに登場する武将である。以下、もう少し弥太郎について考えてみよう。

 弥太郎は為景の命により、金津新兵衛、戸倉与八郎、秋山源蔵らとともに、少年時代の謙信に仕えた。豪勇無双だったので、弥太郎は「鬼小島」と称され、人々は恐れたという。一説によると、弥太郎は乙吉城主(新潟県長岡市)だったといわれている。

 「鬼小島弥太郎」の名は、『川中島五箇度合戦記』で確認できるが、一次史料で弥太郎の実在を確認できない。むろん、上杉氏の軍役帳などにも記載されていない。なお、『小島氏系図』には、弥太郎の妻が河田長親の娘だったと書かれている。

 したがって、今では弥太郎が架空の人物、あるいは創作上の人物であると指摘されている。実は、上杉氏の家臣には小島姓の者が多く、そこから創作された可能性があるという。

 『甲越信戦録』には、弥太郎と武田氏の重臣の山県昌景にまつわるユニークなエピソードが伝わっているので、以下、紹介することにしよう。

 昌景が弥太郎と一騎打ちに臨んでいると、武田義信(信玄の子)がピンチになっている姿を見た、昌景は弥太郎に「義信を助けたいので、勝負を預けたい」と申し出たところ、弥太郎は快諾したのである。

 このことに恩義を受けたのか、川中島の戦いにおいては、弥太郎が「花も実もある勇士」と大絶賛されたというのである。むろん、この話以外にも弥太郎のおもしろい逸話は数多くあるが、どれも荒唐無稽なものばかりで、裏付けとなる一次史料はない。

 『小島氏系図』によると、弥太郎は天正10年(1582)7月18日に61歳で亡くなったという。弥太郎の戦死した地は天神山(新潟県長岡市)といわれ、墓と称されるものは英岩寺(長野県飯山市)にある。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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