都市に住む先住民 権利向上の闘いのために必要な「安心できる居場所」
スウェーデン・フィンランド・ノルウェー・ロシアに住む先住民族サーミのなかで人口規模が最も大きいのはノルウェーだ。首都オスロでは、オスロ・サーミ協会の75周年を祝う式典が2日に開催された。
オスロと周縁地域に住むサーミ人のための地域組織として、サーミの関心事を最大限に促進する目的で同協会は1948年に設立された。
式典ではサーミ独特の歌唱法「ヨイク」合唱団によるヨイクが披露され、サーミにとっての伝統料理であるトナカイがクリスマス料理として振る舞われた。
風力発電と先住民の人権を巡る抗議活動で、協会の重要性が増す
2023年はサーミの人々にとって劇的な年となった。トナカイ放牧地であるフォーセン地域に建設された風力発電所を巡り、サーミやノルウェーの若者たちは大規模な抗議活動を数回行った。
75周年の式典の開催地ともなった交流施設「サーミの家」は、抗議活動期間中は重要な拠点となり、抗議活動家たちのための食事の調理場や休憩場所になった。オスロ・サーミ協会はサーミの家の共同所有者でもあり、何日にも及ぶ抗議活動を支援するための補助金も抗議を担った若者たちには提供された。
今年の始めには120人ほどだった協会会員数だが、今年の抗議活動をきっかけに会員数は200人以上を超えた。
失われつつある言語や文化を継承し、つながる場所
北極圏が故郷のサーミにとって、引っ越して都市に住むことは「差別される可能性の高い土地への移動」でもあり、「孤独」も意味する。先住民として暮すことは常に孤独と向き合うことでもあるのだ。北欧の先住民の間では若い男性の自殺率も高い傾向にあるために、サーミの家では自殺対策のセミナーが開催されることもある。
サーミの家が人々にとって大切で安心できる居場所であることは筆者が取材していても十分に伝わってくる。サーミの家があるおかげで、これまでの取材もスムーズに進んできた。
日本とは対照的に、なぜノルウェーでは先住民サーミの存在がこれほど可視化されているかという背景には、このように団体や協会が複数存在し、垣根を越えてつながっていることも関係している。サーミの家はサーミ議会・オスロ市・ノルウェー芸術評議会などからも資金援助を受けている。
筆者が普段取材していると、若い世代のサーミに会うことが多いのだが、サーミの家では高齢者や政治家の姿が増える。毎週土曜日になると、サーミの家はオープンカフェとなり、人々が気軽に集まる場所ともなっている。
また同化政策を受けていたことから今も差別は続いており、サーミの家での交流は当事者たちが受け継がれてきた心の傷を癒す場所であることもひしひしと感じる。
首都の中心部にある「集いの場」
この場所の中心人物のひとりであるのがオスロ・サーミ協会会長でもあり、サーミ議会議員でもあるトール・グンナル・ニースタッドさんだ。
「サーミの家は『集いの場』として非常に重要な役割を担っています。オスロ・サーミ協会主催のイベント開催の実現が可能となり、サーミ人同士で交流し、サーミ語を話し、人間関係の輪を豊かにしていくことができます」と取材で語った。
今年は抗議活動を取材中、サーミの若者たちに差別発言を浴びせるノルウェー市民の姿も筆者は実際に目にした。部外者でもその光景を目撃しているだけで不快な気持ちになった。このような差別されやすい社会で抗議の声をあげていくことが先住民の人々にとっていかに難しいものであり続けてきたか。
そう考えると、首都のど真ん中に先住民が安心して集まる場所があり、安心してイベントを開催できる場所があり、この施設をオスロ市などが税金で支援していることの重要性を改めて感じる。若い世代の市民運動が活発になる今、オスロ・サーミ協会やサーミの家は、これからますます重要性を増してくるのだろう。