底なし沼を、探検する
底なし沼が盛り上がるシーズンとなりました。テレビ局から毎年「底なし沼でロケをしたい」という要望が筆者に届く頃なのです。科学者ですので、本当のところは「底のない沼はナシ」と言いたいところですが、特別に「ザ・底なし沼」と呼ぶに相応しい池を探検したので、報告します。
※本ため池の所有者、使用者立ち会いのもとで探検を実行しました。
探検の様子
動画1をご覧ください。水難学会・安倍淳 理事が底なし沼に入水し、カラダを張って探検している様子です。
動画1 いきなり、底なし沼を探検する(1分54秒、筆者撮影)
動画では、ドライスーツ姿の調査員、安倍淳 理事が入水しています。はじめは、ため池斜面にあるコンクリートブロックの上を慎重に歩き下ります。そして、深さもよくわからないまま足から入水していきます。ここまでは特に問題ありません。
安倍「この辺、来るでしょう子供は」
確かに、近所の住宅地から子供が釣りに来るにはうってつけの池に見えます。
安倍「この角度ならまだいいんですけれど、こっちはね」
と言いながら、急に沈水。(ここは見どころ)
斎藤「あああ、もう沈むねえ、軽く沈むね」
安倍「ここは、かなり急ですから」
岸に近づき、岸から水底への落ち込みを身体で感じながら、
安倍「ここ、こうですよ」
安倍「ちょっといいですか?」
と測量ポールを手渡してもらい、測深に入る。まずは岸のギリギリ近くの棚の深さを測定。
安倍「ここだと10 cmもない」
そして測量ポールを岸から離して深さを再測定。
安倍「ここからもう、いきなり」
安倍「1.2(メートル)」
あまりにも急に深くなっているので、思わず叫ぶ。
安倍「ここすごいですよ」
安倍「ここ釣りしますよね、こういうとこで」
危険性を指摘した瞬間、ギャラリーの一人が傾斜で滑って転ぶ。
ギャラリー「おおおお。。。」
滑ったギャラリーを見ながら声を掛ける。
安倍「それよくやるんですよ。枯れ葉、かなり滑るんですよね」
少し位置をずらして、深さを再測定。
安倍「ここらへんだともう」
と言いつつ、水没する。それを見て筆者が代わりにコメントを発する。
斎藤「背ぇたたないねえ」
安倍「(岸からの距離がたった)1 mですよね、(深さが)1.8、1.7 mくらい」
半分水没しながら、実況解説。
安倍「180(センチ)なんで身長が。ここはもう上がれるっていうか」
と言いつつ、岸から伸びている枝をつかまえる。
安倍「つかまっているだけ」
なんとか、足をかけて陸に上がろうとするが、全く歯が立たない。
安倍「土なんで、さっきと同じように滑って上れないですよね」
池の岸のすぐ下は、土の壁だ。岸からほぼ垂直に落ち込む様子は、まるで競泳プールの壁面そのもの。
この様子が底なし沼の条件を満たした水辺の真実です。特徴は次の通りです。
(1)「ここだと10 cmもない。ここからもういきなり1.2(メートル)」という垂直に深くなる池の底。
(2)「180(センチ)なんで身長が。ここはもう上がれるっていうか、つかまっているだけ。土なんで、さっきと同じように滑って上れないですよね。」
要するに、「滑って上れない。」これが江戸時代よりもはるか昔の人(地域によって)を苦しめた底なし沼の正体だったと、水難学会は考えます。
解析結果、底なし沼の断面はどうなっているのか
図1に今回探検した底なし沼の簡単な断面図を示します。入水している人が動画に写っていた安倍理事だと考えてください。
まず、底なし沼の特徴である「滑って上れない壁」とはどのようなものでしょうか。それは競泳プールの壁のようだと考えていいです。図中に「土壁」と書かれた部分ですが、岸からほぼ垂直に落ち込んでいます。ここは陸に生えている植物の根が密集していて、水中で崩れることのない土壁を形成しています。そして崩れない分だけ足をかける所がなくて、滑ります。滑るから上れないのです。
次に、上がろうとしても岸に手をかけるところがありません。岸には植物が密集しています。そしてそこから地面は傾斜していて、池から離れるほど土地の高さが高くなります。この植物と斜面に阻まれてしまい、上陸がとても難しくなります。
ならば、「こんなところに近づかなければいい。」その通りですが、昔から現代に続き、ため池は農家にとって命の水。昔も今と同様にため池とその周辺は常に整備されていなければなりません。整備作業のために、人はどうしてもため池に近づかなくてはならないのです。いざ近づくと、陸に近いところに浅い場所があったりします。そこに目をやると、錯覚で池全体が浅く感じてしまいます。そして岸から離れるほどその向こうは水が濁って深さがわからなくなっています。
垂直の壁。今でこそ、学校プールでこのような壁を小さい頃から体験しているので「普通でしょ?」と思いますが、入水したこともない自然に存在している池の壁がこうなっているとは、陸にいるだけでは想像がつきません。ましてや溺れた人が「なぜ上がれなかったのか」の理由がわからず、「きっとこの池には底がないのだ」と解釈するしかなかったのではないでしょうか。
底なし沼と呼んで、注意喚起していたのでは?
水難学会副会長で大阪大学大学院文学研究科日本学専攻 永原順子 准教授(専門:宗教民俗学)は、妖怪の研究成果で水難事故を紐解いています。永原副会長が次のような民話を紹介してくれました。
現在の宮城県登米市に伝わる伝承で、落ちることによって戻ることのできない沼を「底なし沼」と呼んでいたことがわかります。
永原「狭義の底なし沼は、流砂によって動けなくなる状態の沼地や湿原の箇所を指しますが、伝承世界における底なし沼は、様々な危険箇所を示唆していると考えます。怪異伝承の事例は、底なし「沼」の他、底なしの、田、池、穴、淵、滝壺など多岐に渡っているからです。多数の事例の中には、蛇によって底なし沼へ引きずり込まれたという実害の伴う事例もあれば、七不思議の一つとして数えられている底なし井戸などのように、単に怪しく不思議な場所を指すのみで具体的な危険性が多く語られていない事例も見られます(注)。この後者の事例が人々の興味に繋がってしまい、水難事故を引き起こす一因となっているかもしれません。皆さんも、底なし沼、と聞いたとき、「危険だ!」と感じる一方、「そんな不思議な場所があるなら見てみたい」と思っていませんか?底なし沼の伝承は、興味半分で「ちょっとだけなら」と踏み出した結果、危険と遭遇してしまう、ということを物語っているのではないでしょうか。」
注:国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース検索結果より
伝承を事故防止の啓発に使おう
今でも、図1のような断面構造をもつ池で落水し溺れた状態で見つかる釣り人が後を絶ちません。実際に動画1の池では、過去に人が溺れて亡くなっています。他の地域の下流域の川では、図1と同じような断面から滑り落ちて助からなかったお子さんもいます。
永原副会長が話すように「底なし沼」という言葉は、昔から自然の水辺の危険性を一言で伝えるために伝承されてきたのではないでしょうか。そうであれば、地方に伝わるこういった伝承をうまく使って、事故防止の啓発に使いたいところです。例えば図2は姉取り沼を題材に試作された、ため池事故防止のためのポスターです。
さいごに
ここまでお読みいただいた方にスペシャルプレゼントです。自治体などのご関係者で「ため池や水路などでの水難事故防止のポスターを作りたい」とご希望の方がおられましたら、その地域の伝承(存在すれば)を元にポスター案を提案いたします。ぜひ水難学会事務局に電子メールでお尋ねください。jimu@uitemate.jp
※本件探検では救助態勢として、在水中救助員1名と在陸上救助員1名が安全管理を兼ねて臨んでいます。いずれも赤十字水上安全法指導員有資格者。入水調査員も元水上安全法指導員で、自己保全能力に長けています。底の深さがわからない水域には適切な安全管理の下で入水しなければいけません。