80年代ヒット映画『セーラー服と機関銃』はアメリカ人にどう映った?(相米慎二作品NYで上映中)
2001年に53歳で亡くなった相米慎二監督の軌跡がアメリカ・ニューヨークで蘇っている。
日本文化を紹介するジャパン・ソサエティーで、グローバス映画シリーズ「相米慎二の世界:不朽の青春」(Rites of Passage: The Films of Shinji Somai)と題した相米氏の映画祭が、5月13日まで開催中。
厳しい演出で役者の持つ力を発揮させることに長けたと評される相米氏。薬師丸ひろ子、永瀬正敏、河合美智子、工藤夕貴、牧瀬里穂など多くの才能を発掘してきた。
その中でも特筆すべきは、81年の薬師丸ひろ子主演の大ヒット作『セーラー服と機関銃』だろう。同作(完璧版)がニューヨークで上映された4月29日、チケットは売り切れ、会場は満員御礼の人気ぶりだった。
同作は女子高生(今で言うJK)の泉がヤクザの親分になる奇想天外なストーリーで、身勝手な大人社会に放たれた怒りが表現されている。
一番の見せ場は後半、泉が機関銃を乱射する、あの時代を生きた者なら誰もが知るシーン。時が止まったかのような特徴的なサウンドとモーションの中、一世を風靡したセリフ「快感(カイ・カン)」が放たれる。現代においては物議を醸すであろう過激なアクションシーンは当時の日本でも大きな話題となった。
またマリリン・モンローよろしく泉がセーラー服にヒール姿で雑踏を歩き、人々に囲まれ、地下から吹き上がる風でスカートがめくれ上がるシーンも印象的だった。相米氏が何を伝えたかったのか、その思惑をあれこれ妄想させる。
劇場に足を運んだほとんどのローカルの人は、相米氏や薬師丸氏の名声も知らなければ、この映画があの時代の日本人の心を引きつけたことも、さらには「こ〜のまま〜何時間でも〜抱いていたいけど〜」*のメロディも知らない。そんな中、何人かに感想を聞いたら、受け止めはさまざまだった。
旅行をしたことがあったとしても、ケータイもネットもない時代の日本の風景は、さぞや新鮮に映っただろう。何人かは「よかった」「興味深い映画だった」と評価した。「機関銃のシーンは受け止めが難しい」という声もあった。東京に6年住み日本語を流暢に話すアメリカ人も第一声で「興味深かった」と言った。その一方話をよく聞くと「コンテキストで理解するのが難しかった」とも。「おじん」など死語のせいかと思いきや、言葉の問題ではないらしい。
「80年代の日本を知らないので、話の流れのツァイトガイスト(その時代の思想や問題などから考えること)が難しく、監督が言わんとしていることがわからなかった」
作品はアメリカ向けに作られたものではないし、当時の状況や文化背景を知らないとこの映画の真骨頂はやや伝わりづらいのかもしれない。ということは、若い世代の日本人が観ても同様の感想になるのだろうか?(当時を知る筆者はヒット曲が懐かしく、また「快感ブーム」になったあのシーンを見届けられただけで満足だったが)
注:
* 1981年の大ヒット曲『セーラー服と機関銃』。歌手:薬師丸ひろ子、作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお
相米氏の没後20年となった2021年には特集上映イベントが組まれ、リアルタイムで相米作品を知らない世代の若者が劇場に詰めかけ、人気が再燃したと伝えられている。主催のジャパン・ソサエティーによると、日本国外のファンの間でも相米作品は「再び人気となり、作品について再評価がされている」という。
今回の期間中は、『セーラー服と機関銃』の完璧版と初公開版、『台風クラブ』『ラブホテル』『ションベン・ライダー』『魚影の群れ』『東京上空いらっしゃいませ』『光る女』がラインナップされている。5月5日には『光る女』に出演したMonday満ちる(秋吉満ちる)氏も、上映会に特別ゲストとして登場する予定だ。
(Text and some photos by Kasumi Abe)Nordotより一部転載 無断転載禁止