『津軽鉄道夏景色』 ストーブ列車が走らない季節の津軽鉄道の取り組み
ストーブ列車や地吹雪体験で有名な青森県の津軽鉄道ですが、冬は良いとして、では夏はどうやってお客様を集客して稼いでいるのか。
昨今の「田舎のローカル鉄道イコール赤字、イコール廃止前提」というような議論の中、いったい津軽鉄道はどういう戦略で観光客を集め、どうやって稼いでいるのかとても気になります。
気になれば自分の目で確かめてみるというのが筆者の性分ですから、この週末、津軽鉄道を訪ね、沿線を歩いてみました。
風鈴列車運転中
今、津軽鉄道では8月31日までの期間中、風鈴列車が運転されています。
始発駅の津軽五所川原駅では出札窓口、そして待合室に金魚をかたどった風鈴?が並んでいます。
そしてホームに向かう跨線橋にもたくさんの風鈴が涼しい音色でお出迎えです。
「走れメロス号」と名付けられた列車の中にもたくさんの風鈴が吊るされていて、走り出すと一斉に鳴り出します。
風鈴の一つ一つには津軽弁でいろいろなことが書かれていまして、何回か読まないと理解に苦しむというまるで外国語のような津軽弁でおもてなしを受けている気分です。
冷やしきのたけ始めました。
そんな津軽鉄道で筆者の目についたのが「冷やしきのたけ始めました。」という掲示です。
冷やしきのたけって何だろう?
そう思ってよく見ると、すぐ横に冷蔵庫がありまして、中には・・・
あの有名なお菓子が入っていました。
どうやら製菓会社とのコラボのようですが、8月後半の2週間ほど、ヒンヤリ冷えたきのこの山とたけのこの里が、利用者に無料で配布されるというサービスです。
筆者もさっそく列車の中で「冷やしきのたけ」をいただきました。
そしてふと見上げると、この車両には「きのたけ」の風鈴が吊るされています。
地元の焼き物で作った風鈴で、「世界でここだけです。」というアテンダントさんの案内には思わず車内に笑い声が。
ではなぜ津軽鉄道で「きのたけ」なのかというと、いろいろと理由があるようで、車内の広告スペースにはきちんとデータに基づいた理由が示されています。
筆者にはほとんどこじつけにしか思えませんでしたが、こういうことをまじめにやっている姿勢には見習うものがあると思います。
(風鈴列車、冷やしきのたけサービスは8月末までを予定。9月からは鈴虫列車となります。)
津軽飯詰駅で途中下車
津軽飯詰という小さな駅で途中下車してみました。
この駅では 「飯詰を元気にする会」 という地元の方々が以前からいろいろな活動をされていらっしゃるのですが、この春から毎月第3日曜日に「津軽鉄道飯詰博物館」が開館されています。
この津軽鉄道飯詰博物館は レールウエイ・ライター種村直樹先生 の書斎を再現したもので、先生が実際に使われていたデスクをはじめ、3000冊以上の蔵書が縁あってここに保存されていて、種村ファンならずとも一見の価値があるところです。
入場は無料ですが、ボランティアとは言え運営費はかかりますから、ぜひ募金をということで、入口にワンマン車両で使われる運賃箱を再利用した募金箱が設置されていて、思わず数百円を募金箱に入れると、このような硬券の記念入場券をいただきました。
この記念入場券はファンの心理としては魅力的ですね。
(今回は取材のために臨時開館していただきましたが、開館日は基本的には毎月第3日曜日です。事前にご確認ください。)
ここへ来たら外せないのが太宰治
そして列車に戻ると列車の中には津軽鉄道文庫が。
車内が小さな図書館のようになっていて、毎日利用する高校生の皆さんがいろいろな本を読めるようになっています。
もちろん車内だけでは読み終えないのでそのまま自宅へ持って帰り、読み終わったら列車に戻すというスタイルです。
旅行者の皆様方には対応していないサービスですが、車内でお読みいただく分にはご利用いただけます。
では、なぜこんな図書館が列車の中にあるのかというと、それはやはりここは太宰治の出身地だからでしょう。
鉄道ファンだけじゃなく、太宰ファンも一度は訪れてみたい聖地なのです。
筆者は再び途中下車して金木駅から徒歩5分の 太宰ミュージアム へ。
津軽鉄道は何度も訪ねていますが、駅からわずか5分のこのミュージアムを訪ねたのは初めて。
それもそのはずで、いつもは地吹雪の真冬にストーブ列車に乗りに来ていますから、徒歩5分といえどもなかなか歩けない距離。雪のない季節ならではの観光と言えましょう。
津軽鉄道の終着駅、津軽中里駅から徒歩5~6分のところにある 中泊町博物館 では津軽半島を走っていた森林鉄道の車両など貴重な資料が保存されていますが、実は津軽鉄道とタイアップしていて、ここへ来るとスタンプラリーが一か所で完結する仕掛けがあります。
この博物館も駅から徒歩圏とは言えやはり地吹雪の季節は歩く気がしませんから、雪のない季節ならではの観光です。
その終着駅、津軽中里駅には構内に貴重なラッセル車が止めてあります。
冬になると活躍するラッセル車ですが、雪のない季節にはこうしてじっくりと観察できるのもうれしいですね。
今では全国でここだけと言われる腕木式信号機も津軽鉄道の見どころの一つです。
津軽鉄道はこのように数少ない経営資源を有効に活用しながら、地元と一体となって、ストーブ列車が走らない季節でも様々な取り組みをしています。
その甲斐あってでしょうか。筆者の乗車した数本の列車にはほぼ座席が埋まるぐらいのお客様が乗車されていらっしゃいました。
そのほとんどの方が観光客のようでしたが、観光客がやってくることで地域の経済が回っていることは疑いのない事実です。
そう考えると、津軽鉄道が年間を通じて観光客を呼ぶツールになっていて、それが地域に大きく貢献していることがわかります。
津軽鉄道はJRではありませんから都会にエキナカを持っているわけでもなく、稼げる関連事業もありません。
鉄道運賃収入とわずかな物販だけが収入の道であるローカル鉄道が、地域と一体となって地域を盛り上げている事実を考えると、もう少しローカル鉄道を支援する仕組みがあっても良いのではないでしょうか。
このまま手をこまねいていると、この国の全国津々浦々に毛細血管のように張り巡らされているローカル鉄道は皆消えてなくなってしまう気がするのは筆者だけではないと思いますが、皆様はどのようにお考えでしょうか?
人間の体もそうですが、新幹線のような動脈だけがあればよいというものではないというのは、無くなってからわかるのでは遅すぎると筆者は考えます。ましてそれが輸送という使命だけでなく、観光という手段で地域を盛り上げる地域貢献コンテンツであればなおさらではないでしょうか。
【参考】ちょうど1年前に種村直樹氏のことを書いた筆者のYahoo!ニュース
よろしければご一読ください。
昭和61年 国鉄最後の夏 「日本縦断鈍行最終列車」の旅の記録
【続】昭和61年 国鉄最後の夏 「日本縦断鈍行最終列車」 の旅の記録
※本文中に使用した写真はすべて筆者撮影のものです。