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夏休みゼロ、大幅短縮の大問題 ― 本当に子どものためを考えてのことか?

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
子どもたちが学校外で遊び、探究する時間も大切にしたい(写真:アフロ)

 休校(臨時休業)が長引くなか、子どもたちの夏休みを大きく短縮しようとする動きがある

兵庫県小野市の蓬莱務市長は22日、休校している小中学校の授業時間を確保するため、5月6日までの休校がさらに長引いた場合、夏休み(7月21日~8月31日)をゼロにする方針を示した。文部科学省は、夏休みをなくすという自治体は「聞いたことがない」としている。

(中略)5月6日までの休校期間がさらに延長された場合、盆休み(8月13~15日)を除く夏休みの平日に授業を行う方針を確認した。

出典:神戸新聞2020/4/22

 大阪府の吉村知事も、「今回の事態が収束するようなら、夏休みを使って子どもたちの学力を取り戻したい。秋までかかった場合には土日を使いたい」と述べ、府立学校の夏休みを短縮したり、土日を登校日にしたりして、授業時間を確保したいという考えを表明している(NHKニュース4/22など)。愛知県の大村知事、大阪市の松井市長も、夏休みの短縮を検討している、と述べている(東海テレビ4/24、朝日新聞4/24など)。

 新型コロナウイルスの収束に見通しが立ちづらいなか、さまざまな選択肢を検討、シミュレーションしておくことは大事なことだと思う。だが、夏休みをゼロあるいは大幅に短縮することは、大きな問題をはらんでいる

 そもそも、夏休みをどうするかは、首長(知事や市長)の権限ではない。公立の小中学校や高校等については、教育委員会の学校管理規則などで定めることだ(大学などは別)。首長関与の問題については別の機会に扱うことにして、きょうは、別の大きな問題を共有したい。

※仮に7月、8月も新型コロナの感染リスクが残る事態が続いた場合、エアコンのきいた密閉、密集、密接する教室での授業は、感染リスクが高いという問題もあろうが、ここでは論じない。

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

■授業時間の確保は、手段に過ぎない

 なぜ、夏休みをゼロないし大幅に短縮しようとしているかと言えば、報道にあるように、「授業時間の確保」というのがおおかたの理由だと思う。

 たしかに、4月以降の休校が1ヶ月半以上続きかねない地域では、通常の授業日だけで1年間の教育課程(学習内容)をこなすのは、至難のわざになりつつある。いくら休校中に家庭学習等で多少進められたとしても、次の理由から、限定的だ。

●やってくるかどうかは児童生徒によってバラツキが大きい。

●通常の授業日ほどの量は、たいていの子どもは自学自習主体ではこなせない。たとえ授業動画等があっても、それは言えること。

 だが、気がかりなこともある。そもそも、学校教育の目指すものは、なんだろうか?

 予定していた1年間の内容すべてを、ともかく授業するのが、もっとも大切な目的だろうか?'''

 一定の授業時間を確保するというのは、教育上の重要な目的なり目標を達成するための手段に過ぎないのではないか?夏休み短縮は、手段が目的化しているのではないか?

 こんな疑問もわく。

■法令ではどうなっているのか

 学校教育の目指すことは、多様で、さまざまな価値があるが、ここでは根本のひとつである、学校教育法に立ち帰ってみよう。ちょっと理屈っぽい話になるが、第21条では、こう書かれている。

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。

(以下略)

 条文に「学校内外における」とわざわざ書いてある。校外学習(社会見学や遠足、修学旅行などを含む)のことなどを指しているのだろうが、家庭や地域での活動も想定しているのではないだろうか。わたしは法解釈の専門家ではないので、専門家や文科省の見解を別途お聞きしたいが。

 現に、学校教育法施行令では、こうある(太字強調は筆者による)。

第二十九条 公立の学校(大学を除く。以下この条において同じ。)の学期並びに夏季、冬季、学年末、農繁期等における休業日又は家庭及び地域における体験的な学習活動その他の学習活動のための休業日(次項において「体験的学習活動等休業日」という。)は、市町村又は都道府県の設置する学校にあつては当該市町村又は都道府県の教育委員会が、公立大学法人の設置する学校にあつては当該公立大学法人の理事長が定める。

2 市町村又は都道府県の教育委員会は、体験的学習活動等休業日を定めるに当たつては、家庭及び地域における幼児、児童、生徒又は学生の体験的な学習活動その他の学習活動の体験的学習活動等休業日における円滑な実施及び充実を図るため、休業日の時期を適切に分散させて定めることその他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

 やはり、ここでも、家庭と地域における体験的な学習活動等を尊重する内容である。要するに、子どもたちの学びは、なにも教室だけではないし、教師からだけでもない。たとえば、家でMinecraftをしながらプログラミングを学んだり、新型コロナが落ち着けば旅行に出かけたり、そういうことからも、子どもたちは成長する。夏休みを極端に短くすることは、こうした法制度の趣旨に反することになるのではないだろうか。

 冒頭で引用した神戸新聞の記事では、「判断は各自治体に任されており、夏休みがゼロになるからといって一概にだめとは言えない」という文科省担当者のコメントを紹介しているが、本当に問題はないのか、以上述べた観点からも、よく考える必要があると思う。

■子どもたちの自主性、自律的な学習を育てたいなら、学校にばかり来させるな

 もうひとつ、学校教育の目標、原点に立ち帰ると、見えてくるものがある。先ほど引用した学校教育法の21条にもあったが、子どもたちの自主、自律を育てていくことは、最も重要な目標のひとつだ。新しい学習指導要領でも、知識や思考力などに加えて、「学びに向かう力」を高めることが重視されている。「学びに向かう力」とは多様なものが含まれるが、自分なりに問いを立てて、探究し、学び続けることも含まれているだろう。

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

 このように、自律的な学習者を育てるという趣旨に立つならば、猛暑のなか、子どもたちを教室に縛り付けておくことが、よい手段だとは、わたしは思わない。むしろ、子どもたちを学校から開放し、自由な時間を一定程度確保していくほうが必要だと思う。

 「いや、何も土日を全部潰そうと言うんじゃないんです。平日の夏休みを減らそうとしているだけです。」そんな反論もあるかもしれないが、ある程度の長期にわたる自由時間はあったほうがよいのではないだろうか。

 わたしは、夏休みの短縮のすべてに反対しているのではない。たしかにこの緊急時に、30日も40日も夏休みを取るのではなく、多少(1、2週間)短くするというのは理解できる。だが、物事には行き過ぎると、失われるものや、副作用のほうが大きくなるものもある。夏休みゼロのような施策はその典型だと思う。

 「子どもたちに自由時間を、なんて言っても、家庭環境によって格差が広がるだけじゃないですか。キャンプや文化的な活動などに連れて行ける家庭ばかりじゃないですよ。」こういう意見もあろう。わたしもこの見方には、かなり同意する(文章末の参考記事も参照)。

 だが、手段、政策はもっとよく考える必要があろう。こういう子どもが多い地域ならば、なおさら、教育委員会は、夏休みゼロのような施策ではなく、学校外での子どもたちの学びの機会や居場所をつくる支援策を考えたほうがよいのではないか。たとえば、昨年の夏休み中に岐阜市は、東京大学等と連携して、子どもたちが夏休み中にプロ、一流から学べる講座を開催した。

■何が本当に子どものためになるのか

 1年間で予定していた教育課程をしっかり最後まで終える。これももちろん、児童生徒のためを思ってのことだろうが、夏休みを大幅に短縮したところで、本当に子どもたちのためになるだろうか。猛暑のなか登校させて、あるいは夏休みを楽しみにしていた子も多いのに、高い学習意欲をキープして勉強できる子たちがどのくらいいるだろうか。

 結局、「うちの自治体では、授業日数をたくさんこなしていますよ。学力向上に熱心に取り組んでいますよ」という大人側の都合、パフォーマンスに終わり、肝心の学習効果が薄いものになったとしたら、それは、子どものためにはならない。

 さらに付言するならば、教員への影響という点で見ても、土日の多くを潰したり、夏休みの授業日を極端に増やしたりすることは、得策とは言えない。

 なぜなら、教師はロボットやAIではないからである。休日にリフレッシュしたり、あるいは授業日以外には研修や教材研究をじっくりしたり、たまには旅に出かけたりすることがなければ、いい授業はできない。また、危機のときに教師の都合ばかり言うつもりはないが、仮に夏休みがゼロになれば、教員側のモチベーションもおそらく大きくダウンする人が少なくない。こんな状態では、授業をこなすことはできても、深い学びになど、ならないであろう。こうしたロジックを考えても、夏休みの大幅な短縮は、子どもたちのためにならない可能性が高い。

 わたしは、特定の自治体や首長、政党について、とやかく言うつもりはないが、気がかりなのは、こうしたさまざまな影響をしっかり検討、議論されているだろうか、という点だ。仮に、もともと権限もないはずの首長の意向とパフォーマンスが先行し、十分な議論が教育委員会等でなされないまま、夏休みの大幅短縮が決められているとすれば、「それはおかしい」と、保護者・住民の方をはじめ、地方議員の方も、もっと声を上げていくべきだ。

 「真に子どもたちのためになることは何なのか」という視点から夏休みのあり方を含めて、多くの地域で、検討が進んでほしい。

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◎妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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