ゴール裏を「爆心地」と呼ぶべきか? 被爆地長崎を訪れて感じた後悔
サッカーのサポーター界隈では、ゴール裏で太鼓を叩いて過激に応援する中心地帯のことを「爆心地」と呼ぶ人がいる。
僕も5年前くらいまで、知り合いがその単語を使っているのを真似して、特に他意はなくツイッターなどでゴール裏の中心地のことを爆心地と発言していた。
すると当時、サンフレッチェ広島のサポーターの方々から猛烈な抗議・批判を頂いた。「不謹慎だ」「被爆者のことを考えたことはありますか?」といった主旨だったと記憶している。
僕は「単なる例え話だし、そこまで目くじら立てて怒らなくても…」と感じていたが、特にこだわりがあるわけでもないので、その後は「ゴール裏の中心地」と書くようになって、5年の月日が経った。
被爆地の長崎を訪れて
そして先日、シルバーウィークに明治安田生命J2リーグのV・ファーレン長崎対北海道コンサドーレ札幌を観戦しに、長崎の地を僕は初めて訪れた。試合の翌日に長崎サポーターに案内されて、平和公園と原爆資料館を見学した。
写真や映像など様々な展示物を見て、僕は絶句した。
テレビなどでは報じることができないであろう遺体の写真も数多く展示されており、小さい頃に社会科で学んだ事柄が、目の前に生々しく広がっていた。24万人の人口のうち、1日にして7万4千人が死亡した事実を目の当たりにして、僕はその場で立ち尽くす他なかった。
案内してくれた知人は祖父が被爆者で、「当事者」として様々な話を聞かせてくれた。長崎の小中学生は皆、夏休み期間中にも関わらず、8月9日の原爆の日に登校し、平和集会に参加するそうだ。その集会で語られる被爆者の体験講話はあまりにも残酷で、泣き出したり吐き気を催す子供もいたそうだ。
原爆被害について風化させてはならないという考えのもと、長崎を「世界最後の被爆地」とするべく、非核化運動が今もなお続けられている。
原爆が投下されてから70年以上経った今でも、被爆地で育った人々は年齢に関係なく、深い悲しみを心の奥に抱きながら日々生活していることを僕は初めて知った。
知ろうと努力することが大切
僕は今回、長崎で当事者の生の声に触れたことで、サッカーのゴール裏の中心地を「爆心地」と安易に例えることが、被爆地で育った人々をどれだけ傷つけていたかを知ることができた。彼らにとって、「爆心地」など原爆に関わる言葉は計り知れないほどの重みを持っているのだ。
5年前の出来事だが、僕は当時傷つけた人々に謝罪したい。
「知らないことは罪」という言葉がある。全てに当てはまることではないが、知ろうと努力することこそが大切なのだと改めて考えるようになった。
これからも情報発信者の端くれとして、自身の発言が受け取る側にとってどう感じられるのかを想像できる書き手になれるよう、精進していこうと思う。