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「パリ2024で新しい五輪モデルを」と提唱。コロナ禍と東京オリンピック延期で。ユネスコに登録も

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
一番右がギィ・ドゥリュ氏(写真:ロイター/アフロ)

「昨日のオリンピックは、明日のオリンピックではない」

そう語って「オリンピック改革」を提唱したのは、フランス人のギィ・ドゥリュ(Guy Drut)氏である。

東京オリンピックの次、2024年の五輪は、パリで開催予定である。

日本人にとっては「東京五輪でさえ1年の延期で済むかどうかもわからないのに、次のパリなんて」と思うかもしれない。しかし、東京五輪の延期と新型コロナウイルスの影響は、「パリ2024」にとっても大問題なのである。

ギィ・ドゥリュ氏は、1996年から国際オリンピック委員会のメンバーを務めている。元々は陸上選手で、1976年のモントリオール五輪で、110メートル・ハードルの金メダルを獲得した。引退後は政治家に転身、シラク大統領のもとでスポーツ大臣を務めた。

彼は4月26日、フランスの公共放送グループ「France Info」で、オリンピックについての意見(トリビューン)を発表した

「2024年の候補者として描いた美しい我々のプロジェクトは、時代遅れです。過ぎ去ったものであり、現実とはかけ離れています」と語っている。

一体、ドゥリュ氏は何を言いたいのだろうか。

新しいモデルの創造

まず彼は、今の危機がいかに大きいものかを述べている。

私達がいま経験している危機は、私たちの日常、私たちの生き方、私たちの経済、私たちの社会の協定、私たちの社会の選択に、持続的な影響を与えることを、それぞれの人が理解しました。

実際、この危機のために、私たちは生まれ変わる(直訳では「自分自身を再び創る」)ことを余儀なくされています。それは必須なのです。危機というのは、差し迫った必要をもたらすものだし、もたらさなければなりません。

この危機への対応は、単なる日付けの延期となるでしょうか。経済的および組織的なモデルも深く考え直すことはないでしょうか。東京五輪の延期はたいへん高額となるでしょう・・・例えば共同通信の見積もりによると、約3000億円規模(原文:約30億ドル)ということです。

さらにドゥリュ氏は、「一緒に新しい五輪モデルを想像しなければなりません」と訴えている。

例えば、規模の経済を実現するために、いくつかの競技では場所を分散させてはどうでしょうか。

(訳注:「規模の経済」とは、生産量を増やすとコストが減少して、収益率が向上すること)。

そうすれば、主催国がどこであっても、特定の競技を1つの同じ会場で実施して聖域のようにすることが出来るでしょう。たった3日か4日の試合ために新しい設備を建設することは、非常に高くつきます。

サーフィンを例にとりましょう。会場は常に同じで、例えばタヒチやハワイとすることができます。カヌー・カヤックについても同じことが言えます。この競技には、毎回、人工河川を建設する必要があります。この場合でも、既存の会場を再利用できます。

こうして一つのサイトを決めれば、節約になるというのである。

サーフィンの問題

「例に」と言いながらサーフィンを出しているが、実はこの競技は五輪の新しい問題の種なのである。

サーフィンは、2020年東京五輪で初めて、オリンピックの種目となった。会場は、千葉県長生郡一宮町の釣ヶ崎海岸(通称:志田下)と決まっている。

この時点で既に「東京」ではないのだが、でもまだ近い。パリ五輪に至っては、約1万7500キロ離れている地球の反対側、タヒチでの開催となった。タヒチは、フランス領ポリネシアに属してはいる(海外県ではない)。

ドゥリュ氏は「例えばタヒチやハワイなどを、常にオリンピックの会場とする」と言っているが、タヒチならフランス領、ハワイならアメリカの州である。2028年のオリンピックは、ロサンゼルスと決まっている。

フランスのスポーツ紙『レキップ』は「どっちなのだ」と書いているが、大いに政治的な問題になる可能性がある。

ただ、1ヵ所に決めてしまうことは、今後「海なし国」の開催となったときの解決策にはなるだろう。

どんどん増える競技数

サーフィンの件は、二つの問題をはらんでいる。

一つは、どんどん増えていく競技の問題だ。

東京オリンピックでは、五つの新しい競技が加わった。

サーフィンの他に、空手(型・組手)、スケートボード(ストリート・パーク)、スポーツクライミング(ボルダリング・リード・スピード複合)、そして正確には「復活」の男子野球&女子ソフトボールである(1競技2種という扱い)。

ドゥリュ氏は、新しいモデルとして「プログラムに追加するスポーツの数を制限すること」があると述べている。

そしてもう一つは、「オリンピック精神」の問題である。

そもそもドゥリュ氏は、新型コロナウイルスの問題が起きる前は、タヒチでの開催に反対であった

昨年12月、パリの大会組織委員会が、サーフィン会場をタヒチに決定したとき、彼は投票を棄権した。

「波の質についての議論は完全に理解しています。でも、飛行機で21時間もかかる場所です。これではオリンピック中に開催される『世界サーフィン選手権』になるだろうという印象です」と理由を言った

「私はオリンピック精神の擁護者です。私にとって、サーファーはオリンピックを経験しないでしょう。このようにかけ離れたオリンピックは、もはや(近代オリンピックの基礎を築いた)クーベルタンが描いたものではありません。私は一つのオリンピック村を信奉しています。分散は、オリンピック精神を失う可能性があります」

オリンピック精神のユネスコ登録を

「オリンピック精神」は、かねてよりドゥリュ氏が強く主張するものだ。

昨年彼は、国際オリンピック委員会(IOC)の国際関係部門ディレクターのソフィ・ローラン氏とともに「オリンピック精神を、ユネスコの無形文化遺産に登録を」と、「パリ2024組織委員会」に提案した。

そして昨年10月、同委員会はマクロン大統領とIOCのバッハ会長に同案を提出、ギリシャ、ルクセンブルク、ヨルダンとセネガルの国々と共に協議されることになった。

ドゥリュ氏は「オリンピック精神とは共生、博愛(友愛)と尊敬です」と要約している。

そのように主張していた彼が、今回「一つの場所に、競技を定着させて開催させる」と言い出したのは、妥協したのだろうか。

ただ、以前から彼は「大会は二つの条件のもとに成功します。アスリートがちゃんと受け入れられること、そしてとりわけ予算が尊重されていることです。何よりも重要なのは、赤字を回避することです」と話していた。

新型コロナウイルス危機が起こる前から、費用の問題とオリンピック精神の問題は、ドゥリュ氏の主張のコアだったようだ。

にじみ出る危機感

ドゥリュ氏の論調には、危機感がにじみ出ている。今回France Infoに出したトリビューンの中で、「オリンピック精神の原則に忠実であれ」と訴えている。

彼は「五輪は有用である。ましてや危機の時代には」ということを、滔々と述べている。フランス人というのは、哲学的な演説調のセリフを好む傾向があるのだが、それだけではないと感じさせる、深刻な焦りが感じられる。

東京オリンピック延期の費用の負担もかさみ、これからコロナの影響で世界的な不況が訪れることが予想されるために、世界で「五輪不要論」が浮上すると考えているのではないか。これは彼だけではなく、五輪関係者に共通した不安なのかもしれない。

オリンピックには莫大な費用がかかる。

東京五輪については、昨年12月4日、会計検査院が、関連事業に対する国の支出が約1兆600億円に達しているとの集計結果を公表している。パリ五輪は約68億ユーロ(約8000億円)、その次のロサンゼルス五輪は約70億ドル(約7500億円)の予算と言われている。もはや金持ち国の贅沢イベントとなっている。

開催国内では「税金の無駄使い」という批判が絶えることがない。そこに来て、このコロナ危機である。「そのように費やすお金があるのなら、国民と仕事を救済しろ」「医療にお金をまわせ」という声が出るのは必至である。

東京五輪の延期を決定した日本の様子をOuest France紙がビデオにまとめている(それにしても延期決定の政治の場も、小池都知事以外、男、男、男である。アスリートの半分は女性なのに。さすが男女平等度世界121位である)

五輪が生き残るために

ドゥリュ氏はオリンピックを愛し、なんとしても続けることを望んでいる。

オリンピックとパラリンピックは祭典であり、あらゆる国籍と地域のアスリートにとって、一生涯の出会いとなるものです。五輪は世界を結びつけることを目的としています。

五輪は「ザ・スポーツ」です。普遍的な平和、出会い、そして他者への敬意を払う独特の一瞬(とき)なのです。

だからこそ、五輪は有用なのですーーましてや危機の時代には。

五輪と変化する世界との関連性を保ち、適合させるために、五輪を再考しなければなりません。現実の世界から切り離されて、どのような代価を払ってでも今のままで踏みとどまる、などということは出来ないでしょう。

そして彼は、『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンの言葉を引用して、今の時代に合わせた五輪が必須であることを繰り返し訴えている。

「生き残るのは、最も強い種ではないし、最も知的な種でもない。変化に最も適応することが出来る種である」とダーウインは述べています。

すべての人が、改革の必要性については同意しますが、この新しいモデルの「方法」を見つけるのは私たちなのです。

こう言って、トリビューンを締めくくっている。

ドゥリュ氏はかねがね、「組織によって物事を成し遂げるには、透明性がなければならない。でも秘密主義の信仰に執着している人がいる」と批判してきた。

このようなトリビューンを発表したのは、まずはフランス国民の間に、オープンに広く公に議論が喚起されることを願ってのことだろう。

この発表にどの程度パリ大会組織委員会が関わっているかはわからないが、危機や困難にあって強い個性が登場して、国民的議論を呼び起こそうと演説するのは、実にフランス社会らしいと言える。日本ではあまり見かけない。

果たして、パリ五輪とフランスは、どの程度、オリンピックに対する世界の世論を喚起することが出来るだろうか。

そして五輪の組織委員会は、自浄作用をもつことが出来るのだろうか。危機を乗り越えて、世界中の人々に受け入れられる新しいオリンピックをつくっていくことが出来るのだろうか。

それにはまず、次の開催国である日本、つまり私たち日本人が真剣に議論しなければならないのではないだろうか。

東京五輪の延期が決まったとき、トランプ大統領は、東京五輪は「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証」として開催すると発言した。五輪延期には暗い要素しか感じられなかった中で、「さすがアメリカ人、明るい前向きないいこと言うなあ」と関心したものだった。希望の光がともった感じがして嬉しかった。

そして今回ドゥリュ氏が発した「オリンピック精神の原則に立ち返り、現実に合わせた新しい五輪をつくる」も、負けず劣らず良い発言だと思う。

「人類がコロナを乗り越えた、記念の大祝祭」は素晴らしいだろう。でも、それだけでは、「金持ち日本がお金をふんだんに使った、大打ち上げ花火大会」になってしまうのではないか。それも悪くはないが、そんな余裕はとてもない。

東京五輪は、新しい未来の五輪の在り方が感じられるような大会に出来ないものだろうか。世界から「さすが日本だ」と尊敬を集められるような。コロナで全体的に弱っているし、時間の余裕もないが、出来るだけのことはしてみてはどうだろうか。大いに議論して、みんなで知恵を出し合いたい。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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