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平壌アウェ―戦 行ったらどうなってた? 2019年当時の韓国は「1mも動くな」「食事が不足」の地獄

2018年の平壌の様子(写真:代表撮影/Pyeongyang Press Corps/Lee Jae-Won/アフロ)

「北での韓国と日本の状況は違うと思います。 この点ははっきりとお伝えしつつ、日本にとっても何らかの参考になればという思いもあり、インタビューをお受けします」

まだ今月26日の北朝鮮対日本@平壌の開催が予定されていた17日、大韓サッカー協会のスタッフにインタビューを行った。

この試合の出来事を聞きたかったからだ。

2019年10月15日 北朝鮮-韓国戦@平壌。

カタールW杯のアジア2次予選として行われた。試合のステイタスとしては、ちょうど今の日本代表と同じ状況だった。

日本代表の3月26日の試合中止への流れでは、完全に日本が振り回されたかたちとなり、憤懣やる方ない。久保建英は北朝鮮での試合について「好奇心はある方」と話し、長友佑都は「試合がしたい」とも。森保一監督としても活動期間の貴重な1試合が削がれるかたちになった。ネット上では「行かずに済んで良かった」と安堵の声も。

いっぽうで、4年半前に平壌遠征に行った韓国ははどんな経験をしたのか。これは「直近」のサッカーA代表の平壌遠征の記録でもある。

キム・ドンギ氏は当時、大韓サッカー協会戦略強化チーム長として、北朝鮮やAFCへの交渉を担当した。いわば現場のトップ。元プロ選手というキャリアで協会入りした事例は韓国では珍しく、貴重な人材としても注目を集める。現在は同部署で昇格し、部長として同協会に勤務する。

試合は日本代表も試合をする予定だった金日成競技場で行われた
試合は日本代表も試合をする予定だった金日成競技場で行われた写真:アフロ

最初の段階で決めた「平壌滞在期間をできるだけ短くする」方針

カタールWのアジア2次予選のグループ分けが始まったのは2018年7月17日だった。その後大韓サッカー協会が10月15日のアウェー北朝鮮戦への準備を始めたのは9月27日。

交渉作業はまず、大韓サッカー協会のスタッフ一人が北京にある北朝鮮大使館と、韓国大使館を訪問するところから始まった。

「北朝鮮側には、主にビザの話をしにいきました。選手団、メディア、サポーターのビザの話ですね」

韓国大使館では、早速こんなアドバイスが出た。

「安全上の問題から、電子機器、携帯電話、ノートパソコンなどはすべて北京に預けて行くのがよいでしょう」

試合用の個人的な持ち物だけを持ち込むことにした。この時点で韓国側の北朝鮮遠征のスタンスは決まったようなものだった。

「できるだけ平壌滞在時間を短くする」

北京の北朝鮮大使館
北京の北朝鮮大使館写真:ロイター/アフロ

板門店経由の訪北は「韓国側からもあきらめの説得」

一方、ビザの問題は交渉が難航した。

「主にAFCを通じて交渉しました。間接的な交渉がほとんどでしたね。一部は北とも直接Eメールで連絡を取ってみましたが、必要な情報を適切な時期にくれた、というのはひとつもありませんでした。おのずと全面的にAFCを通じての連絡となりました。ただ、AFCとしても私たちの質問を受けて、その後北側に連絡をして答えを得なければならないというプロセスがあるので、業務を処理するのは簡単ではなかったと思います」

交渉開始から2週間以上経ったが、解決したのは選手団30人分のビザ発給のみだった。50人分を要請していたが、人数を大きく減らされた。ちなみに日本代表の海外遠征の場合は通常100人単位で移動するというからかなりコンパクトな人数だ。

北朝鮮出発前の韓国代表選手の様子 筆者撮影
北朝鮮出発前の韓国代表選手の様子 筆者撮影

10月10日の時点で、メディアやサポーターのビザ発給はあきらめた。もうひとつ、同時期にはこの点をあきらめざるを得なかった。

ソウルから陸路で、板門店を経て平壌入りすること。当時の状況としては、2017年に韓国女子代表がアジアカップ予選の平壌集中開催に参加しており、このときは非常にリラックスした雰囲気で、自分の携帯電話も持ち歩けるほどだったのだ。

しかし、このオファーは韓国内の事情もありあきらめることになる。

「韓国政府や国家情報院などの方々も関与して、話し合いましたが…実は給油の問題も提起されました。ソウルから平壌までバスで行くと途中で給油しなければならないのですが、給油施設が適切な場所になく(北側に頼らなければならず)、結局最後は北京を経由して飛行機で訪朝することに決めました」

2009年には南北の陸路往来が可能な時期もあった
2009年には南北の陸路往来が可能な時期もあった写真:ロイター/アフロ

平壌入り直後から「想定外」続出

10月14日の16時10分頃、平壌に降り立った。

現地の順安(スナン)国際空港からトラブルが発生した。悪名高い「入国審査」だ。

「一人ひとり、荷物の全てをチェックする。必要以上に長い時間がかかりました。3時間以上でしたね。さらにコックが持ち込もうとした食材をすべて没収されて…」

必要以上に時間をかける。空港を出た頃にはとっくに19時を過ぎていた。この姿を見て、キム・ドンギ氏はあることを思った。

「日が沈むのを待っているのではないか、という話になりましたね。順安空港から平壌までは24キロほどなのですが、その間の周囲の風景(田舎の寂れた風景)を見せないようにしたのではないかと」

順安空港から平壌市内に入ったあたりの風景 2018年9月8日23時30分ごろバス車内より 筆者訪朝時に 筆者撮影
順安空港から平壌市内に入ったあたりの風景 2018年9月8日23時30分ごろバス車内より 筆者訪朝時に 筆者撮影

結局、前日練習のために金日成競技場を訪れたのは、19時30分を超える頃になった。そこでも北側からの強烈なプレッシャーをかけられた。

「スタジアムの周辺を…警察や軍隊がまったく人の入る隙がないほどに囲んでいるのです。我々のスタッフは、ADカードを持っているにもかかわらず練習会場である金日成競技場への入場を許されない者もいました。ただでさえ人数が少ないのに、一人で複数役をこなすことになりました」

その限られた人数に対しても、北側は驚くべき制約を課してきた。

「与えられた立ち位置から1メートルの範囲内で動くなと行ってきたのです」

結局、19時30分にスタジアムに着いた後、公式練習を始めるまでに1時間を要したのだった。

ホテルでは「夕食足りない」「無視」

前日練習を終え、高麗ホテルに入るとまた別の問題が起きた。

「韓国から帯同したシェフが現地の厨房での調理すら許されなかったのです。だから結局、現地のシェフが作る料理を食べることになったのです。一部の選手は『足りない』とまでも訴えていました」

北朝鮮側からは「一歩もホテルの外から出るな」と通告されていた。それは分かっていたからそうしたのだが、現地のホテルスタッフの態度は厳しいものだった。

「アンニョンハセヨ、と声をかけても無視ですよ。目も合わせてこない」

ホテルでの選手への連絡手段は「各部屋をノックして口頭で連絡」だった。これは想定されていたことだから問題はなかったが、予想よりも時間はかかった。平壌の地で大韓サッカー協会スタッフの通信機器の提供は約束されていたのだが、それは守られなかったのだ…。

北朝鮮のもっともグレードが低いホテルの夕食 イメージとして 筆者撮影
北朝鮮のもっともグレードが低いホテルの夕食 イメージとして 筆者撮影

韓国側にも、FIFAにも事前に知らせない「驚きの事態」

10月15日、試合当日を迎えた。

午前中からスタッフが先発隊として金日成競技場に行き、16時頃にスタジアム入りする選手団を待つ算段が組まれた。この日程はいつも通りのことだった。

16時頃、後発隊の選手たちが到着した。

まずやったのが、改めての芝生チェックだった。キム・ドンギ氏は指で押して、感触を確かめた。

「それほど良い、ということもなかったんですが、滑りやすいというとこもありませんでした。とにかく選手たちは人工芝でのプレーに慣れていない状況でしたから、試合でどういったスパイクを履くのかを確認していく必要がありました。人工芝専用のものも準備していましたから。韓国でも人工芝でのトレーニングをやってみたのですが、試合は別物。不安がありました。ソン・フンミンなどは『ドイツでのユース時代以来』と言っていました」

その作業が終わるころ、キム・ドンギ氏はある「異変」を感じ取った。

19時過ぎキックオフのゲーム、「3時間前には開場」と聞いていた。大観衆が入場してくると思ったが…

誰も入ってこない。

突如「無観客試合」へと変更されていたのだ。

「試合にはFIFA会長も視察に来ていたのですが、彼も知らなかったというんです。もちろん我々にも知らされていません。マッチコミッショナーの知らなかったと。驚くというよりほかありませんよね。そして当時のパウロ・ベント監督が立ててきた試合の戦略の一つが無意味となった瞬間でもありました。監督は『スタンドの歓声がとても大きく、選手間の意思疎通が難しい』という点を警戒していましたから」

後に北朝鮮政府関係者による決定だと聞かされた。

「むしろ、選手たちの声がスタンドの屋根に響いて反響する、ということになって…。でもまだそれはマシだったと思います。試合は結局0-0のスコアドローで終わりましたが、仮に観客が入っていたら、韓国はより厳しい試合展開を強いられていたと思います」

政治方面からの決定が、勝利のための一番有利な要素も放棄させてしまう。そんな出来事だった。今回の日本代表にまつわる「ドタキャン」については「最高指導者の気まぐれ説」も飛び交っているが、この突如の無観客試合実施の事実は「前例があった」というのに十分な事例だ。

試合後、FIFAの規定に沿って記者会見が行われた。パウロ・ベント監督と、ベテランのイ・ヨンが登壇者し、北朝鮮からは3人の記者のみが出席。登壇者の発言の後、質問は一つもなく終わった。

北側から与えられた試合映像は…

帰り道にはそれほど難儀なことはなかった。平壌の空港で没収されていた食材を受け取り、北京を経由してソウルに戻った。

ただ話はそこだけでは終わらなかった。

北朝鮮側から「試合映像」として渡されたDVDを見てみると… 韓国でのテレビ放映に耐えられる画質ではなかった。韓国では一部ケーブルテレビがなんとか画面に注釈を加え、ディレイ放送するに留まったのだった。

今月17日の時点で話を聞いたイ・ドンギ氏はインタビューの最後をこう締めくくった。

「日本代表の現地での健闘に期待しています」

21日の平壌遠征中止決定後、本稿を記すのはよっぽどやめようかとも思った。しかし今後、いつか平壌で試合をする時が来る時のためにも、彼の貴重な体験談を参考として綴っておきたい。

【参考記事】サッカー北朝鮮戦 平壌開催中止はなぜ? 3月20日に現地で報じられていた「金正恩氏のある指示」(筆者による)

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。フォローお願いします。https://follow.yahoo.co.jp/themes/08ed3ae29cae0d085319/

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