サッカー北朝鮮戦 平壌開催中止はなぜ? 3月20日に現地で報じられていた「金正恩氏のある指示」
「え? そうなんですか?」
試合後、長友佑都はむしろ記者団の問いかけに「逆質問」していた。試合直後は選手にも聞かされていなかったのだ。
「3月26日 北朝鮮―日本の平壌開催中止」
まさか、電撃的、衝撃…なんと表現したらいいのか。サッカー協会の現場担当者やメディアが気を揉みに揉んだ日本代表の平壌遠征がこんなキーワードで中止になったのだ。
「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」
日本での感染症の流行を理由に、北朝鮮側から平壌での試合開催中止を求めてきた。
北朝鮮側に立って何かを言うわけではないが、あちらの事情だけは調べておいた。「日本人を入れたくなかったから急に言い訳を作った」ということだけではない。あちら側の法的な根拠の存在する話でもある。先に結論を言うと以下の通りだ。
・21日に「日本で10人感染」と「労働新聞」が報道。
・北朝鮮国内では元々感染病危機報道あり。20日には最高指導者が「徹底した防疫体制」を指示したとの報道。
・少なくとも20日にはチームサイドも分かっていたのでは?
・強い強制力で予防効果を狙う北朝鮮の「伝染病防疫法」。
・国内で徹底するなか、外国人の入国は難しいと考えたと予測できる。
東京での北朝鮮戦当日 平壌では「日本で伝染病流行」報道
東京での日本―北朝鮮戦が行われた21日、朝鮮労働党機関紙(つまりあちらで唯一とっていい新聞)「労働新聞」でこんな報道があった。
日本で感染力の強い麻疹が蔓延 2024年3月21日『労働新聞』6面
日本で感染力の強い麻疹が蔓延している。最近の発生患者数だけでも10人余りに達するという。この伝染病は、風邪に比べて感染力が10倍も強く、感染経路が新型コロナウイルスと同じなのが特徴だ。
一旦感染すると、10日ほど発熱やせき、鼻水のような風邪症状が現れ、それから2〜3日後に39度以上の高熱と発疹症状が現れ、肺炎や中耳炎と合併することもある。免疫力のない人が感染すると、ほぼ100%こうした症状が現れ、患者1000人当たり1人が脳炎にかかることもある。麻疹ウイルスに感染すると体内の免疫が抑制されて合併症にかかりやすいという。
日本のある感染症専門家は、最初は風邪のような症状が現れ、新型コロナウイルス感染症と区別しにくいとしながら、高熱と発疹で区別できるが、このような症状が現れた時はすでに周りにウイルスが広がったことを意味すると明らかにした。感染者が周りの人と接触したり会話を交わしたり食事をする時、口から出た飛沫を通じてウイルスが伝播され、バスの手すりを通じても間接的に感染する可能性があるという。
この他に別の感染経路もあるが、それは空気感染だ。飛沫の水分が蒸発して空気中に漂うが、このような空気を吸い込むと感染する。感染者と一定時間エレベーターに同乗していても感染し、病院の待合室や食堂に感染者が1人だけいても同じ空間にいるすべての人が感染する。麻疹免疫のない集団の中で1人がかかると、12〜18人が感染する。大人が感染すると重症化しやすく、特に高齢者や妊婦の場合、重症度が高くなるという。
保健専門家らは、日本で蔓延している麻疹の感染力が新型コロナウイルス感染症を凌ぎ、これまで経験した伝染病の中で最も強いとしながら、マスクを着用しても感染を防ぐのは難しいと懸念を示している。
確かに日本でも関連報道はある。
「劇症型溶連菌感染症、全国で患者急増 過去最多ペースで感染拡大」(TBS/3月20日)
「致死率高い『劇症型溶連菌』 最多の昨年上回るペースで広がる」(毎日新聞/3月6日)
感染症への警戒は絶対に欠いてはならない。とはいえ、日本国内ではこの感染症により大きく生活が変わるほどの影響はないのが確かなところだろう。
20日に報じられた「金正恩氏の指示」
一方、「労働新聞」を振り返ると3月20日付けでこんな記事が出ている。ここに示された内容が今回の急なキャンセルの背景だということが分かる。
防疫事業を実質的に、責任を持って 2024年3月20日『労働新聞』5面
―綿密な作戦と指揮の下に―
(ここ最近)各地で防疫の安全を保障する上で、些細な偏向も現れないようにするための事業に力が入れられている。
敬愛する金正恩同志は次のように述べられた。
「すべての幹部が覚醒して、自分が担当する部門で隙間が生じないように責任を持って働いていかなければなりません」
クァチョン郡では、大衆の防疫意識を高めるための宣伝戦、思想戦を引き続き強度高く展開している。郡では、宣伝扇動手段を利用して勤労者が防疫規定と秩序を自覚的に守るようにするための事業を方法論的に進めながら、掌握と統制を強化している。幹部は、衛生担当成員(担当者)を覚醒させるための説明宣伝も行い、防疫宣伝事業で模範的な単位(要領)の経験も知らせながら、思想事業の実効性を高めている。
(中略/各地方での防疫の徹底ぶりをレポート)
敬愛する金正恩同志は次のように述べられた。
「幹部は、自分の部門、自分の単位のことは自分が全面的に責任を持つという立場で、担当する事業を革命的に進めていかなければなりません」
防疫事業で少しの隙間もないよう即時的な対策を立てることは、ヨンジュ郡(黄海南道)幹部が堅持している揺るぎない事業原則である。郡幹部は、まず防疫事業に必要な設備と資材など提起される問題を引き受けて解決するために積極的に努力しながら、どのような保健の危機にも対処できる強力な防疫の土台を構築するための事業を一貫して推し進めている。
(以下略)
最高指導者の指示が出た。あとは法に基づいた対策を実践するまでだ。加えて分かる点が「もともと北朝鮮では、ウイルスに関する警戒が始まっていた」ということだ。
北朝鮮の防疫法「ごみまで徹底処理」
日本とは社会思想の違う国の話でもある。北朝鮮の医療、あるいは防疫の考え方にも日本との考え方の違いがある。
予防の考え方が強い。
当局の強制力が強い。
2020年8月に改正された「朝鮮民主主義人民共和国伝染病防疫法」という法律がある。今回の事例に該当しそうな章がいくつかある。まずは第5章だ。
第5章 非常防疫
第36条 (非常防疫の定義) 非常防疫は、伝染病によって国家の安全と人民の生命安全、社会経済生活に大きな危険が生じる可能性があったり生じた時、国家的に迅速かつ強度を高く組織展開する、先制的かつ能動的な防疫事業である。
予防が重要という考え方だ。
また、次の第37条では、伝染病の伝播速度と危険性に応じて非常防疫等級を1級、特級、超特級に区分して定めることが示されている。現在北朝鮮がこの非常防疫体制にまで入っているかどうかは定かではないが、この第37条からは、その厳格さをうかがい知ることができる。
以下、本文。
特級は、伝染病が我が国に入ってくる危険が生じ、国境を封鎖したり、我が国で伝染病が発生し、国内の該当地域を封鎖し防疫事業を行わなければならない場合である。 超特級は、周辺国や地域で発生した伝染病が我が国に致命的かつ破壊的な災厄をもたらしうる危険が生じ、国境と地上、海上、空中を始めとするすべての空間そして国内の該当地域を封鎖し、集会や学業などを中止しながら、防疫事業を行わなければならない場合である。
また同章第42条には、いざ非常事態になると衛生防疫機関と医療機関、都市経営機関は「市内のごみから下水、排泄物までの処理」を徹底せねばならない点が記されている。同じく中央海事監督機関は、国境付近での「汚水やゴミの処理に注意を払い」、国家保衛機関、人民保安機関、朝鮮人民軍総参謀部は「国境と地上、海上、空中を始めとするすべての空間を封鎖したり、人員、物資、動植物の移動を制限または遮断する」としている。
すべては「先制的、能動的防疫」のためであると。
今後の試合開催への決定権は「日本にはない」
日本は2度に渡って北朝鮮に振り回されたことになる。2月に対戦したなでしこジャパンに続いてだ。日本サッカー協会田嶋幸三会長は21日の試合後、「本来なら2ヶ月前には(試合会場は)決めておくこと」と話したから、到底通常のスケジュール感とは言い難い。北朝鮮側からの平壌開催中止は日本側には昨日告げられ、日本サッカー協会側と詳細が話し合われたのは試合中だったという。第2戦もそのまま日本で行うことを提案してきたが、田嶋会長は選手団の日本滞在ビザが明日で切れることを理由に断りを入れた。
朝鮮蹴球協会側も当惑はあったものと思わる。当局の指示は強制力がかなり強く、かつそのバックグラウンドとなる防疫に関する法が国内でも定められているためだ。
最高指導者の指示が出た。そうなると法に沿って、防疫体制を作っていくことになる。国を挙げてその体制に入っているのに、サッカーの試合で首都平壌に外国人が入ってくるのでは示しがつかない。そういった背景が想像できる。それにしても「日本の感染者10人で?」という視点でも考えられるが。
日本のインターネット上では今回のドタキャンの事態に対し「ありえない」「不戦敗にしろ」「むしろ平壌に行かずに済んでよかった」という声が挙がっている。今後の展開については現時点では不透明だ。21日の試合後、日本サッカー協会のスタッフは「日本側に次戦に関する決定権は何もなく、AFCからの通達を待つのみです」といった。
今回の件、あちらには背景に国家の事情があった。日本としてはありえない開催条件変更があり甚大な迷惑を被った。それも2回連続でだ。これらの点をAFCやFIFAがどう判断し、北朝鮮側へのどんなペナルティーが下されるだろうか。20日の「労働新聞」での内容を見ると、せめてもう少し早く平壌開催中止を申し出る判断もできたはずだ。
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