Yahoo!ニュース

ミン・ヒジン氏会見で激白 「SMから社長就任の話もあった」 固辞のあと熱心に誘われたHYBEへ

(写真:ロイター/アフロ)

25日に行われたNewJeansプロデューサー、ミン・ヒジン氏の会見。HYBEによる「経営乗っ取り疑惑」を否定するためのものだったが、同時に「本人のあまりに赤裸々な告白・暴露」が話題となった。

自身はそもそも経営に関心がない、という点を示すために「前職のSMエンタテイメントを辞める際のくだり」および「HYBEグループ入社」の経緯も細かく話している。K-POP業界内の事情がよく分かるものでもあった。ここに本人の口調をできる限り活かしつつ、日本語訳して紹介する。

会見3日前に発表したミン・ヒジン氏サイドのプレスリリース全文「IILLTはコピー」

イ・スマン氏にかけていた言葉 かけられた言葉

「(2019年に)私がSMを辞めたきっかけは何だったかというと…元々イ・スマン(当時のSMエンターテインメント代表)さんは私が若かったとき、私を優秀だとよく見てくれていたみたいです。チャンスもくれて、まあ私もかなり大変でしたが、いろいろ我慢しながら仕事をしていました。

私は自分の仕事を大きくすることに没頭していたため、なかなか会社を辞められなかったようにも思います。

私はそうやって仕事をしていた最中に感じたことは、イ・スマンさんも以前とは少し変わったようだということでした。年を取られたのか、少し心構えといったものが変わられて、私自身ちょっとがっかりする部分がありました。もう私とは合わないかも、と思い始めていたのです。

当時、私はいつもイ・スマン氏にどう言っていたのかというと「お父さんだと思う気持ちからアドバイスしますよ、意見しますよ」と。そういう風に言っていたんですよ。ただ、最後には「合わないから、もう私が嫌だと思うなら、弟子が去るべきだ」と言っていました。

そして、私はある新しい事業計画をお話ししたんです。ガールズグループを作る計画があったので。私がそれを話し、「SMの登記理事ではなく、むしろ子会社の社長として出たいです」と提案をしました。なぜなら、私は(大きな芸能事務所の)肩書に欲がなかったからです。

新しいことをするには、今のSMの組織では少し難しい。私がそれを話すと、イ・スマン氏からは「有給休暇を取るか?」あるいは「少し休んで留学でもして戻ったら社長をして」と言われました。

私は今回の紛争以前にもSMの社長の提案を受けていましたんです。すごく感謝していましたが、私は社長が目標ではありませんでした。私が社長をしたところで、私が望む目的を達成するわけではないからです。

【公式】HIBE「25日のミン・ヒジン氏の会見を受けて」 26日に発表した公式見解=全文

LE SSERAFIMとの”因縁”

辞めた後は実のところ何の計画もなかった、という2018年当時のミン氏。しかし2日後に知り合いから「どうしても会ってほしい人がいる」と言われたという。誰なのか聞いても答えない。「でもどうしても会ってほしい」と言われ、一週間悩んで会うことにすると、そこにいたのがパン・シヒョク氏だったという。

「ガールズグループを一緒に作ろうと、言われました。でもパン・シヒョクさんは自信がないと…すべての(パン氏が直接率いていた社内レーベル)Bighitの力半分、ミン・ヒジンのクリエイティブ半分、こんな感じで押せばいいだろうと。

ファンの立場からはバンシヒョクがガールズグループをうまく作れるか疑うだろし、実際にも自信がなかったらしく、それで私にとてもお願いしたいという話があったんです。

(後で考えると)これが構造的に実は少し問題がありました。実はその当時、(社内で)ADORレーベルの設立予定がなかったんです。つまり、Big Hit Entertainmentという組織があって(子会社であり、後にLE SSERAFIMをデビューさせる)Sourceはまだその買収前でした。Big Hitではバン・シヒョクさんがプロデューサーとしていらっしゃって、私はCBO(Chief Branding Officer)として入社したのです。

シヒョクさんがさらに私に提案したのが「Big Hitは、BTSがいることでとにかく女性ファンが多いから、ここで女性グループを出すと、ちょっと大変になるかもしれない」「まあ嫉妬心とか、いろいろなことのせいで大変だろう。だから女性レーベルを1つ作らないといけない」といった内容でした。

その女性レーベルにはもう別のグループもいるから(ノウハウがある)、と。つまりはSourceを買ってくる予定だということなんです。ヒジンさん、私たち早くグループを作りたいなら、ここに練習生もいるから、と言われました。ここにいる練習生を使えば、早くできる。だから一緒に進行しようという提案でした。

写真:ロイター/アフロ

クリエイティブは私、シヒョクさんの音楽、マネジメントはSourceで担当するんだ。3者でやろうと。

でも私は正直、最初は嫌だったんですよ。それも伝えました。でもパン・シヒョク氏がずっとその提案をたくさんしてくださって。私も初めての転職だったので、とてもうまく協力したかったんです。

ただ、私は元々、私が最初から最後まで計画した通りに全部やらないと、ちょっと性に合わないスタイルなんです。

3者で既存の練習生からチームを作るのはできなそうだから、あ、これどうしようと。そのせいでちょっと口論はありましたが、喧嘩するほどではなくて。意見の相違はありましたが、私が最大限合わせるしかないと考えていました。

正直に言って皆さん、私がお金に執着があったら、最初から自分のレーベルを作って、そこに自分の資本金を投じて、そうやって始めるのが一番早いです。

どのバカがそれをわかっていても、なぜ無理にHYBEでやってきたスタイルでやるんでしょうか。

会見ではその後、SOURCEミュージックとLE SSERAFIMとの因縁も赤裸々に語った。

詳しくはこちら。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

吉崎エイジーニョの最近の記事